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「わかりやすくしよう」とするほど、演技が嘘っぽく見える理由

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台本を持った俳優が鏡の前で表情や姿勢を確認している演技レッスンのイメージ

「わかりやすくしよう」とするほど、演技が嘘っぽく見える理由

俳優や歌手だけでなく、演出家や監督も、良かれと思って、ついこのように考えてしまうので、顔・声・動きを足す前に、立ち止まれるといいなと思います。

「わかりやすくしよう」とするほど、演技が嘘っぽく見えることがあります

観客に伝わるように演じたい。

大事なセリフの意味を、きちんと届けたい。

役の人物が何を感じているのか、見ている方に分かってほしい。

そう思うこと自体は、決して悪いことではありません。

むしろ、俳優としてとても自然な願いです。

私自身、子供の頃からそのように言われていましたし、とても大事なことだと思います。

ただし、その「伝えたい」という気持ちを、顔、声、姿勢、動きで直接見せようとすると、演技が急に説明っぽく見えることがあります。

一生懸命やっているのに、なぜか嘘っぽく見える。

丁寧に工夫しているはずなのに、どこか白々しく見える。

その原因は、感情が足りないからでも、才能がないからでもありません。

もしかすると、演技を「結果」から作っているのかもしれません。

この順番、重要です。

観客に伝えたい気持ちは、決して悪いことではありません

「もっと分かりやすく演じた方がいいのではないか」

「このセリフは大事だから、ちゃんと強調した方がいいのではないか」

「ここは悲しい場面だから、悲しそうに見えた方がいいのではないか」

ちゃんと伝わってるかなぁ…

このように考えることは、俳優にとってよくあることです。

特に、真面目に準備している俳優ほど、台本に書かれていることを大切にしようとします。

セリフの意味を理解しようとする。

場面の流れを考える。

役の人物の気持ちを想像する。

その姿勢自体は、とても大切です。

問題は、その理解をすぐに、直接的な「見せ方」に変換してしまうことです。

悲しいから、悲しそうな顔をする。

しかも、これが、現代を受ける、自分の価値観での「悲しそう」になってはいませんか?

怒っているから、強い声を出す。

その役の人物のコミュニティーで「成立する」声、になっていますか?

動揺しているから、呼吸を乱す。

それ、どこかで見た、誰かの真似になってないですか?

緊張しているから、姿勢を固める….

こうした選択は、一見すると分かりやすく見えます。

でも、役の人物の中で何が起きているのか、相手に何を起こそうとしているのかが整理されていないまま形を足していくと、演技は説明になってしまいます。

何より、多くの方は、つい自分の思う「強そう」「はしゃいでる」「落ち着き」に行きがちなので、ずれてる可能性があります。

 

結果を先に作ると演技は説明っぽくなります

演技が説明っぽく見えるとき、俳優はたいてい「結果」を先に作っています。

悲しい顔。

怒った声。

弱々しい姿勢。

大きな歩幅。

意味ありげな間。

強調された抑揚。

もちろん、表情、声、姿勢、動き、間そのものが悪いわけではありません。

問題は、それがどこから生まれているのかです。

いつ、どこで、何のために、役の人物が相手に何かを起こそうとして、その結果として顔が変わるのか。

それとも、「ここはこう見せたい」と決めて、先に顔を作っているのか。

この違いは、観ている側には伝わります。

現実の世界でも、「あ、なんか作ってるな」、「ずいぶん演出しようとしてるな」と気づいた事は無いでしょうか。

俳優本人は「工夫しているつもり」でも、観客には「こう見せようとしている」と見えてしまうことがあります。

そうなると、演技は出来事ではなく、説明になります。

場面の中で起きていることではなく、俳優が用意した表現の発表に見えてしまうのです。

もったいないです。
 
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