「今回は、特に何も言われなかった」
「監督から細かく直されなかった」
「このやり方で、ずっと仕事をしてきた」
経験を重ねている俳優や歌手ほど、こういう時期がやってきます。
ありがたいことに、仕事もある、応援してくれる方もいる。
大きな失敗をしているわけでもない。
現場にも呼ばれている。
ちゃんと仕事もできている。
だからこそ、
「今の自分は、これでいいのだろうか」
と、あえて立ち止まる理由がなくなっていく。
そんなこと、ありませんか。
でも、ここには少し厄介なことが潜んでいるかもしれません。
何も言われなくなったことと、もう更新する必要がないことは、同じではありません。
もしかすると、これはどの業界でも、どんな仕事でも同じかもしれません。
経験を重ねるほど、細かく指摘されなくなる
新人の頃や、学校・養成所などで学んでいる時期には、
「今、何を見ていますか?」
「そのセリフは誰に向かっていますか?」
「身体が先に固まっています」
「その前に何が起きていましたか?」
と、一つひとつ止めて指摘してもらえることがあります。
むしろそれがクラスや授業の目標でもあったりします。
ところが経験を重ねると、周囲からの扱われ方も変わります。
「これまでやってきた人だから」
「あんまり言うと悪い」
「ご本人のペースで」
「このくらいは本人が分かっているだろう」
と、良かれと思って指摘されないこともある。
また、期待されているからこそ、任されることも増えます。
限られた時間の中で、作品を成立させるために必要なことだけが伝えられる場合もあります。
それ自体は、おかしなことではありません。
むしろ経験を積んだからこそ、任されるようになったとも言えます。
ただし、
「誰も言わない」ことを、「もう問題がない」と読み替えてしまうと話が変わります。
現場は、その俳優一人を育てるためだけにある場所ではない
撮影にも、舞台の稽古にも、時間があります。
作品全体の進行があります。
共演者がいて、スタッフがいて、成立させなければならないシーンがあります。
これは、みなさんご存知だと思います。
監督や演出家が、その俳優の台本の読み方、身体の使い方、声の癖、準備の順番まで一つずつ診断して、別の作品でも使える能力に育て直すことが、毎回の現場の目的とは限りません。
むしろ、時間がない現場、リハーサル時間が10分取れない撮影、どうしても小屋入りがギリギリになってしまう事情もあるでしょう。
これは、演出が足りないという話ではありません。
演出と、演技を学ぶことでは、そもそも目的が違うのです。
その場面を成立させるための演出を受けてきたことと、
自分の演技そのものを長期的に見直してきたことも、
同じではありません。
だからこそ、うすうす違和感を覚えたり、なんとなく気になったりしていたのではないでしょうか。
「何も言われなかった」には、いろいろな理由がある
そのままで十分よかったのかもしれません。
その作品では問題にならなかったのかもしれません。
ほかに優先順位の高いことがあったのかもしれません。
時間の関係で、そこまでは扱わなかったのかもしれません。
仕事をしていれば、当然、社交辞令やお世辞もあります。
「よかったです」
「さすがですね」
「またぜひ」
と言われることと、
今の自分の演技の状態を正確に把握できていることも別です。
嬉しいですが、やはりちょっと、解釈も難しい。
だから私は、
現場で何も言われなかったことだけを、自分の現在地を測る物差しにしない方がいい
と思っています。
初心は、忘れてもいい
以前のブログにも、詳しく書いたことがあるのですが、「初心を忘れないこと」は、よく美徳として語られます。
でも、俳優や歌手として活動を続けていくなら、私は、忘れていい初心もあると思っています。
好きな映画を観て、胸がいっぱいになった。
かっこいい舞台を観て、自分もあそこに立ちたいと思った。
憧れの俳優や歌手を見て、
「私もこんなふうになりたい」
と思った。
そういう気持ちが、最初の一歩になることはあります。
時々思い出して、ワクワクするのも素敵です。
でも、その感動した気持ちのまま何年も活動していたら、視点はずっとお客様のままです。
観客なら、
「すごかった」
「泣いた」
「かっこよかった」
「私もあんなふうになりたい」
でいい。
でも、作る側に回ったら、それだけでは足りません。
なぜ、あの場面で観客の呼吸が変わったのか。
なぜ、あの俳優はあそこで動かなかったのか。
なぜ、そのセリフが、あのタイミングで必要だったのか。
相手との関係は、そこまでにどう積み重なっていたのか。
身体、声、空間、台本、演出、カメラ、編集、音楽。
何がどう組み合わさって、あの体験が成立したのか。
「感動した」で終わる側から、感動がどう作られているのかを考える側へ。
「出たい」から、作品の中で自分が何を担えるのかを考える側へ。
それは初心を失ったのではなく、作り手として次の段階へ進んだということだと思います。
「何も考えないで」は、なかなか無理です
撮影やリハーサルで、
「そんなに考えなくていいよ」
「考えすぎないで」
「そのまま自然に」
「何も考えず、一回やってみよう」
と言われたこと、ありませんか。
私自身、俳優の先生からも、演出家の先生からも、何度もあちこちでこのように言われ、実際、訳がわかっていませんでした。
それが、うまく余地を作る言葉として働く時もあります。
必要な隙間や伸び代の条件が揃っている時かもしれません。
色々と考えあぐねて固まっている人に、
「もういいから、一回やってみよう」
と促すことが有効なこともある。
そこは分かります。
でも。
大人の人間に「何も考えないで」は、なかなか無理です。
人間なので。
しかも経験を積んできた人なら、なおさらです。
考える力がある。
先を読める。
似た状況を経験したことがある。
何が起きそうか予測できる。
周囲に迷惑をかけないよう段取りを考えられる。
限られた時間で効率よく準備することも、以前より上手になっている。
それは、せっかく何年もかけて身につけてきた能力です。
捨てる必要はありません。
問題は、
考えることそのものではなく、何を、いつ、何のために、どう考えているかです。
経験者に必要なのは、頭を空っぽにすることではない
初心に戻って、一から全部やり直す必要もありません。
勢いで「えいやっ」と飛び込めば解決するわけでもない。
経験を重ねた人に必要なのは、もっと地味に見えがちかもしれない作業です。
やっていること、やっていないことの棚卸しをする。
台本に書かれている事実と必要な項目の整理・整頓をする。
今となっては邪魔になっているクセやパターンをやめる。
知らないうちに増えた思い込みを、少し剥がしてみる…
昔は必要だったけれど、今はもう使わなくてもいい準備を手放す。
そして、
準備の方法そのものをアップデートする。
たとえば、
役を理解しようとして、役の「気持ち」ばかり先に考えてはいないか。
一人で全部決めてから、相手のいる場所へ持っていってはいないか。
台本を何度も読むことが、読む目的になっていないか。
急いでセリフを入れることで満足していないか。
何かを足すことばかり考えて、本当はやめた方がいいことを増やし続けていないか。
これは、考える力を捨てることではありません。
せっかく持っている考える力を、もう少し精度よく使えるようにすることです。
「ありのまま」は、技術の代わりにはならない
演技では、不思議と、
「もっとそのままで」
「自然に」
「ありのままで」
「その瞬間に飛び込んで」
という言葉がよく使われます。
もちろん、その状態が必要になることはあります。
でも、これまで20年以上教えてきて、ときどき思います。
歌手に、
「楽譜はまあいいから、ありのまま歌って」
とだけ言い続けるでしょうか。
ダンサーに、
「技術のことは考えず、自然に踊って」
だけで済ませるでしょうか。
たぶん、済ませません。
音楽にもダンスにも、
「自由にやるための」技術があります。
どちらにせよ、技術は使ってしまうものであり、
繰り返しても大きく崩れにくい技術があります。
スポーツも、同じですよね?
思い切ってやっても、戻ってこられる土台があります。
だから信じられる、だからのびのびできる。
こういう時、多くの俳優や歌手の方がキラキラし始めます。
演じることも、同じです。
技術が安定していないから心配になる。
上手くいったのに、なぜ上手くいったのか自分で分からないから、次もできるか不安になる。
ある程度の技術は身についているのに、その仕組みを自分で納得できていなければ、なかなかのびのびとは使えません。
すると、
経験は増えているはずなのに、考えることも増えてしまう。
必要かどうかも判断できないが、念のための準備が増える。
「失敗しないように」先回りする。
どんどん頭でっかちになる。
そして今度は、
「考えすぎないで」
と言われる。
……なかなか苦しいループです。
一生懸命やっているはずなのに、ぐるぐるしてしまう歌手や俳優の方は、ここにはまっているのかもしれません。
経験が増えたからこそ、準備を更新する
だから必要なのは、むやみに経験を減らすことではありません。
せっかくの経験を使える形にすることです。
「ずっとこのやり方でやってきた」
は、大切な事実です。
でも、
「だから、これからも同じ方法が一番いい」「この作品も同じやり方が良い」
とは限りません。
経験があるからこそ、
何を残すのか。
何をもう使わないのか。
何を別の方法と組み合わせるのか。
どこを磨き直すのか。
選べるようになります。
脱皮するからといって、これまで積み重ねてきたものを全部捨てる必要はありません。
むしろ、
何を残し、何を手放すかを選べること自体が、経験者の強みです。
俳優としての「Chapter 2」を始める
駆け出しの頃は、何を習えばいいのか。
どのメソッドを学べばいいのか。
何を増やせばいいのか。
と考えることが多かったかもしれません。
何せ、必要とされる技術の習得も重要ですから。
でも、ある程度の年月を重ねたら、問いそのものを変えてもいい。
今の自分には、すでに何があるのか。
何年も使ってきたものの中で、今も役立っているものは何か。
逆に、自分の選択肢を狭めているものは何か。
次に進むためには、何を増やすより先に、何を整理した方がいいのか。
俳優修行や歌手修行の第一章は、もう終わっているのかもしれません。
だったら、同じ第一章を何度も読み返さなくていい。
初心へ戻るのではなく、
今いる場所から、Chapter 2を始めればいい。
10年前に気づかなかったことを悔やむより、今日気づいたことを使った方がいい。
気づいた日は、更新を始められる一番早い日です。
私のクラスで、題材や方法を毎回変えている理由
私は年間を通して、まったく同じ課題を繰り返すクラスを作っていません。
台本、ジャンル、題材を変えます。
読解でも、「個人化」でも、必ず視点を変えます。
学ぶ環境だけでなく、シーンや抜粋をつかう条件を変えます。
オンラインで台本を整理することもあれば、スタジオで身体と声を使って、相手と実際に試すこともあります。
なぜなら、
役や作品が変わっても使える力にするには、一つの成功パターンを覚えるだけでは足りないからです。
オンラインの台本読解では、まず、演じる前の準備を整理します。
どこを読んでいるのか。それはなぜなのか。
何に注目しているのか。何の役に立つのか。
何を早く決めすぎているのか。どこが効果に結びついているか。
逆に、何をもっと具体的にした方がいいのか。
スタジオの少人数制クラスでは、それを身体、声、空間、相手のいる状況へ持っていきます。
頭で分かったことが、本当に使えるのか。
相手が変わったらどうなるのか。では、今できることは何か。
身体が動いたら何が変わるのか。では、明日は何を持ってきたらいいか。
自分では気づいていない習慣が、どこで出てくるのか。
少人数だからこそ、一人ひとり違う課題も見ながら試していきます。
「正しい演技」を一つ覚えるためではありません。
自分の準備を、自分で観察し、試し、必要なら更新できるようになるためです。
私自身も、学術的、知的に満たされるだけでなく、体験から変わっていくことが、実演家には大事だと感じます。
誰かに指摘されるのを待たなくてもいい
仕事をしている。
現場にも出ている。
以前より経験も増えた。
でも最近、
自分の演技について、誰かから具体的に見てもらう機会が減った。
準備の方法が何年もあまり変わっていない。
役や作品が変わっても、なぜか似たところで引っかかる。
以前ほど、自分が変化している実感がない。
もし、どれか一つでも引っかかるなら、
それは「もう遅い」というサインではありません。
次の章へ進めるだけの材料が、すでに手元にあるということかもしれません。
今までやってきたことを否定する必要はありません。
一度ほどいて、
棚卸しして、
使えるものを残して、
いらなくなったものを手放して、
今の自分に合う準備へ組み直す。
個人レッスンでは、現在取り組んでいる役や台本、オーディション、現場で感じている課題をもとに、一人ひとりの現在地から見直します。
また、2026年8月29日(土)のオンライン台本読解クラスでは、声に出して演じる前の準備から扱います。
8月30日(日)は、少人数制のスタジオでシーンを実践。
8月31日(月)は、その先の発展クラスです。
詳細はこちらをご覧ください。
【2026年8月開催】演じるための台本読解オンライン+シーン実践|もう、一人で考え込まない
https://kaorukuwata.com/acting-script-analysis-scene-practice-202608/
初心に戻らなくていい。
ここまでやってきた経験を持ったまま、
次のやり方を見つければいい。
誰も何も言わなくなったところから始まる、俳優としての次の章もあります。
個別の台本やオーディション課題を扱いたい方へ
グループクラスの日程に参加できない方や、個別の台本、出演予定、オーディション課題を扱いたい方には、個人レッスンがあります。
時間を自分の課題に集中して使えるため、準備や修正が早く進んだとおっしゃる方もいます。
初回は、現在の活動、今困っていること、今後必要になる準備を確認し、取り組む順番を整理します。
ダンスや歌唱では個人レッスンが一般的でも、演技の準備は後回しになってしまう方が少なくありません。
一度、自分の準備や課題を棚卸しすることも、次へ進むための大切なステップです。
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経験年数は実力を証明しない|キャリアを重ねた俳優に必要な対応力
クラス案内・個人レッスン・講師依頼について
うちの事務所でもレッスンをしてもらいたい、所属の俳優に指導してほしい、モデルから俳優へ転向する方をサポートしてほしいなど、演技クラス、個人レッスン、教育機関・芸能事務所・映画スクール等での講師依頼については、下記よりご確認ください。
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お急ぎの方、公式LINEから、次のレッスン情報を早く受け取りたい方、LINEもご利用いただけます。
こちらからのトークのスタートはできませんので、お一言ご挨拶かスタンプお願いします。私の方では、トークの表示がされませんので、お願いいたします。
安全な学びの場づくりについて
当クラスでは、俳優同士がその場の流れや即興判断で、急に身体接触を行うことを禁じています。
身体的接触を含む可能性のある場面は、台本上の必要性、目的、手順、同意、境界線を事前に確認した上で扱います。
安全とハラスメント防止に関する詳細は、以下の固定ページをご確認ください。
この記事を書いた講師
鍬田かおる
演技コーチ/STAT認定アレクサンダー・テクニーク教師/IDC認定インティマシー・コーディネーター(ディレクター)。
俳優、声優、歌手、ダンサーに向けて、台本読解、身体と声、セリフ、相手とのやり取り、現場前の準備を扱うレッスンを行っています。
必要なのは、努力を否定することではなく、見ている場所を変えることです。
そこを具体的に整理すると、演技や歌唱、ダンスの手応えも変わってきます。
見ている場所が変わると、考え方が変わり、演技や歌唱、ダンスで選べることも変わります。
その選択肢が、現場で相手と協働し、作品へ具体的に貢献する力につながります。

演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching



