「自然にやればいい」
「ありのままでいい」
「何も考えないで、ただいればいい」
「そんな作らない方がいい」
演技の場では、このような言葉を耳にすることがあります。
たしかに、外側から作りすぎた演技や「どんなふうに」を先回りしすぎたやり方では、わざとらしく、また説明っぽく見えることがあります。
そしてセリフを上手に言おうとするほど、表情や声の形を固めてしまうこともあります。
前回の記事では、セリフが説明っぽくなる理由について書きました。
セリフが説明っぽくなる理由|自分ごとで演じる俳優と、外側から固める俳優の違い
https://kaorukuwata.com/acting-lines-sound-explanatory/
では、その反対に見える「自然にやればいい」「何もしない方がいい」は、本当に演技を助けるのでしょうか。
ここにも、別の落とし穴があります。
外側から固めることを避けようとして、今度は何も起こさなくなってしまう。
「ありのまま」「自然」「力を抜く」という言葉を使って、役の人物として何を見て、何を受け取り、何を変えようとしているのかを見ないままにしてしまう。
人物不在、行動不在です。
そうなると、場面には変化が起きません。
そして、映像でも舞台でも、ただその場にいる様子を記録したホームビデオのように見えてしまうことがあります。
それは、とてももったいないこと。
何も起きないことは、リアリティーでも、存在感でもありません。
ドラマの基本は「変化」です。
これは戯曲、脚本の根本にあります。
今回は、「自然にやればいい」と思っているのに、演技がホームビデオのように見えてしまう理由について書いてみます。
「自然に」のつもりが、ホームビデオのように見えてしまうことがあります
「自然にやろう」としているのに、なぜか場面が立ち上がらない。
声も大げさではない。
表情も作りすぎていない。
動きも落ち着いている。
それなのに、舞台や映像の中で見ると、役の人物としてそこにいるというより、ただその場にいる人を撮ったホームビデオのように見えてしまうことがあります。
これは、力が抜けているからよい、という話ではありません。
役の人物として何を見ているのか。
相手から何を受け取っているのか。
その場で何を変えようとしているのか。
そこが動いていないと、見た目は落ち着いていても、場面は動きません。
ホームビデオは、そこにいる人を記録します。
でも、舞台や映像作品の中の演技は、役の人物がその場で何かを起こそうとする時間です。
この違いは大きいです。
そして、そもそも「自然」とは何を指していたのか。
不明瞭なことが、非常に多くはないでしょうか。
仲間うちでは見えても、観客には届かないことがあります
仲間うちでは、伝わっているように見えることがあります。
その俳優の性格を知っている。
普段の声を知っている。
これまでの関係を知っている。
その場の空気を知っている。
そういう間柄なら、バックグラウンドをある程度共有しているわけですから、「自然にそこにいる」だけでも、何かが伝わっているように感じられることがあります。
勝手に、連想も働きます。
でも、舞台や映像で出会う観客は、多くの場合、その俳優の日常を知りません。
その俳優が普段どんな方なのか。
どれくらい繊細なのか。
どんな背景を持っているのか。
どんな意図でその沈黙を選んでいるのか。
それを、最初から知っているわけではありません。
だからこそ、演技では、時間が凝縮され、空間が選ばれ、視線や沈黙やセリフの使い方が、物語の中で再構成されている必要があります。
ホームビデオは、知っている相手が見るから成立する部分があります。
でも、舞台や映像作品は、不特定多数の他人が初めて出会っても、何が起きているのか、何が変わったのか、何を見ればよいのかが伝わるように構成されています。
ここが抜けると、「自然にやっているつもり」でも、作品としては届きにくくなります。
本人は真面目にやっている。
無理に作っているわけでもない。
でも、観客やカメラに届く形まで再構成されていない。
それは、やはりもったいないことです。
何より、「文脈」がないため、意味を解釈することが難しい。
映像でも舞台でも、ここで離脱されます。
「自然に」は、何もしないことではありません
「自然に」という言葉は、とても便利です。
力を抜く。無理をしない。
作りすぎない。ありのままでいる。
大げさにしない。感情を押し出さない。
そういう意味では、必要な場面もあります。
でも、「自然に」が「何もしない」の言い換えになってしまうと、演技は止まります。
何も考えない。
何も選ばない。
相手に働きかけない。
場面を変えようとしない。
ただそこにいるだけ。
それでは、演技ではなく、待っているだけになってしまいます。
そして、おそらく「リアクション」と日本語で呼んでいるものは、応答や反応ではなく
「条件反射」になってはいませんか。
役の人物は、ただ自然にそこにいるために登場しているわけではありません。
何かを見ている。
何かを受け取っている。
何かを守ろうとしている。
何かを避けようとしている。
何かを変えようとしている。
その動きがなければ、見た目が落ち着いていても、場面は動きません。
「自然に」の中から、物語の視点が抜けていませんか
「自然に」という言葉の中には、大事な要素もあります。
身体の仕組み。
呼吸。発声。
運動。想像。
反応。行動へ。
相手とのコミュニケーション。
これらは、本来、人間の自然な仕組みに基づいています。
だから、力みすぎたり、外側から形だけを作ったりすると、演技が不自由になることがあります。
ただし、ここで忘れてはいけないことがあります。
演技は、ただ自然に起きているものをそのまま置いておけば成立するわけではありません。
舞台や映像の中にある演技は、物語の中で再構成されたものです。
絵画と同じです。
すでに作家の目を通していますから、もうその時点で、解釈はなされています。
現実の風景をそのまま置いているように見えても、実際には、どこを見せるか、何を強調するか、何を省くか、どの順番で視線を導くかが選ばれています。
映像なら、編集もあります。
舞台なら、客席から見える距離、時間、空間、関係性があります。
つまり、演技における「自然」は、ただの無加工ではありません。
物語の中で、役の人物が何を見て、何を受け取り、何を変えようとしているのか。
そこに沿って、身体、声、沈黙、視線、距離、セリフが使われている状態です。
自然の仕組みを使っている。
でも、物語の中で再構成されている。
この両方が必要です。
ここを抜かしてしまうと、「自然にやっているつもり」が、ただのホームビデオのように見えてしまうことがあります。
何も起きないことは、リアリティーではありません
リアリティーのある演技は、何もしないことで生まれるわけではありません。
大きく動かない場面でも、役の人物の中では何かが起きています。
言葉を飲み込む。
相手の反応を待つ。
言うか言わないかで揺れる。
相手を試す。自分を守る。
相手に気づかれないように隠す。
黙っているように見えても、内側では何かをしています。
そこがあるから、静かな場面にも緊張や変化が生まれます。
反対に、何も見ていない。
何も受け取っていない。
何も変えようとしていない。
ただ力を抜いているだけ。
その状態では、舞台上やカメラの前で、時間だけが過ぎていきます。
それは、リアリティーではありません。
ただ、何も起きていないだけ。
相手の変化を見逃しがちになっていませんか
これは、前回の記事で扱った「外側から固める俳優」と、実は同じ構造です。
外側から固める俳優は、相手を受け取るより、準備した形を守ることに意識が向きやすくなります。
ここで見る。ここで間を取る。
ここで感情を出す。
ここで声を変える。
そうやって準備した形を守ろうとすると、相手の変化を見逃しやすくなります。
一方で、「自然にやればいい」と思って何もしなくなる俳優も、別の形で相手を受け取りにくくなります。
何もしないことを守る。
力を抜いている状態を守る。
作らないことを守る。何も決めないことを守る。
方向は違います。
でも、根っこは似ています。
相手に何が起きているのかより、自分の中で決めた方針を守ってしまう。
外側から固める方針。
何もしない方針。
どちらも、相手とのやり取りから離れてしまうことがあります。
セリフは方法であり、アクションの一部です
ここで大事なのは、セリフの扱い方です。
セリフは、ただ口から出てくる文章ではありません。
セリフは方法であり、アクションの一部です。
役の人物が、相手に何かを起こそうとするために使う方法のひとつです。
だから、言葉として聞こえる形になって、外に出ている部分だけがすべてではありません。
言葉になる前にも、役の人物は何かをしています。
相手を見る。
相手の言葉を受け取る。
黙る。避ける。
近づく。隠す。
待つ。試す。止める。
譲る…
その延長に、セリフがあります。
つまり、セリフは独立した音ではありません。
役の人物が、その場で何かを起こすために使う行動の一部です。
この動きがないまま「自然に」と言っても、セリフはただ出てきません。
出てきたとしても、相手に向かう言葉にはなりにくいのです。
静かな演技と、何も起きていない演技は違います
静かな演技には、強さがあります。
声を荒げなくても、相手を動かすことはあります。
ほとんど動かなくても、場面の空気を変えることはあります。
小さな声でも、相手に届くことはあります。
でも、それは「何もしていない」からではありません。
見えているものがある。
受け取っているものがある。
選んでいるものがある。
黙っている必要がある。
相手を変えたい方向がある。
だから、静かでも場面が動きます。
何も起きていない演技は、これとは違います。
静かにしているだけ。
言葉を待っているだけ。
相手の変化を受け取らず、自分の状態を保っているだけ。
この違いは、客席にも、カメラにも、相手役にも伝わります。
役の人物は、ただそこにいるだけではありません
役の人物は、ただ存在するために場面にいるわけではありません。
場面には、必ず何かの条件があります。
相手がいる。
出来事がある。
欲しいものがある。
守りたいものがある。
隠したいものがある。
変えたいことがある。
だから、その人物は言葉を使います。
沈黙も使います。
身体も使います。
距離も使います。
視線も使います。
何を使うかは、場面によって変わります。
でも、何かを使っているという点は変わりません。
「自然に」という言葉のもとで、そこを見なくなると、役の人物はただそこにいるだけになってしまいます。
それでは、場面が進みません。
準備とは、身体と声にどんな跡をつけるかということ
演技の準備は、何も考えないことではありません。
かといって、全部を外側から固めることでもありません。
大事なのは、どこに、いつ、どれぐらいの跡をつけるのかです。
一度身体に跡がつくと、次に声に出した時、身体も声もそこをなぞりやすくなります。
だから、役の人物として相手を見て、受け取り、変えようとする方向に跡をつけていれば、次に演じる時もそこへ戻りやすくなります。
反対に、ただ「ここで自然にする」「ここで何もしない」「ここで力を抜く」といった状態だけを何度も繰り返していると、その跡が身体に残ります。
スキーで、わざわざ木にぶつかるルートに何度も跡をつけるようなものです。
一度深い溝ができると、次もそこにはまりやすくなります。
だから、準備でつける跡は慎重に選ぶ必要があります。
何も跡をつけないことが大事なのではありません。
役の人物として、相手に向かうための跡をつけることが大事なのです。
感情を足すことと、何もしないことは、どちらも演技を止めることがあります
セリフが説明っぽくなると、気持ちを足そうとする俳優がいます。
もっと感情を込める。
もっと強く出す。
もっとわかりやすくする。
一方で、それを避けようとして、何もしなくなる俳優もいます。
自然にする。
ありのままでいる。
考えない。
作らない。
この二つは、反対に見えます。
でも、どちらも演技を止めることがあります。
感情を足しすぎると、相手より自分の感情に意識が向きます。
何もしなさすぎると、相手に向かう行動が消えます。
どちらの場合も、役の人物として何を見て、何を受け取り、何を変えようとしているのかが薄くなります。
大事なのは、感情を足すことでも、何もしないことでもありません。
その人物として、その場で何をしているのかです。
リアリティーは、準備しないことで生まれるものではありません
リアリティーのある演技は、準備しないことで生まれるものではありません。
むしろ、準備の仕方が大事です。
ただ形を固めるのではなく、役の人物として何を見ているのかを準備する。
ただ気持ちを決めるのではなく、何が変わったのかを準備する。
ただ自然にするのではなく、何に向かっているのかを準備する。
その準備があるから、稽古場や現場で変化に対応できます。
相手の言葉を受け取れる。
相手の反応で変わることができる。
予定していたものと違うことが起きても、役の人物として戻る場所がある。
リアリティーは、何も考えないことではなく、必要な条件が自分の中で動いている時に生まれやすくなります。
自分ごとで読む、自分ごとでしゃべるために
「自然にやればいい」と言われた時、ただ力を抜けばいいとは限りません。
何も考えない方がよいとも限りません。
むしろ、読む時点で何を自分ごとにしているかが、その後の演技に大きく影響します。
その人物として、何を見ているのか。
誰に向かっているのか。
何を変えようとしているのか。
なぜ、その言葉を使う必要があるのか。
そこが見えてくると、セリフはただの音ではなく、方法になります。
アクション、つまり行動の一部になります。
そして、言葉になって外に出ていない部分にも、役の人物としての動きが生まれます。
「自然にやっているつもり」なのに、場面が動かない。
「ありのまま」でいようとしているのに、ホームビデオのように見えてしまう。
その状態から抜け出すには、もっと頑張って感情を出すことでも、何も考えないことでもなく、読む段階から役の人物としての方向を持てるようになることが大切です。
クラスで目指す変化
このクラスで目指すのは、台本を読んだ時に、最初から演じるための視点が持てるようになることです。
セリフの意味だけをにらめっこするのではなく、その人物として、何を見て、何を受け取り、何を変えようとしているのかが見えやすくなる。
「自然に」と言われた時に、ただ力を抜くのではなく、役の人物として何に向かえばよいのかが整理しやすくなる。
相手の変化を受け取った時に、準備した形を守るだけでなく、その場で何を変えればよいのかを試しやすくなる。
沈黙や静かな場面でも、ただ何も起きていない状態ではなく、役の人物として何が動いているのかを扱いやすくなる。
セリフが飛ぶ不安だけに振り回されず、場面の内容や相手への方向に戻りやすくなる。
こうした変化を、知識だけで終わらせず、実際に身体と声を使って試していきます。
頭でわかったことを、声に出した時に使える感覚へ。
読んだ内容を、相手や状況に向かう言葉へ。
「自然に」のつもりがホームビデオのように見えてしまう状態から、物語の中で何が起きているのかが伝わる演技へ。
そのための準備を、オンラインとスタジオで段階的に扱います。
6月27日・28日の演技クラスについて
6月27日土曜のオンライン準備クラス、6月28日日曜のスタジオ演技実践クラスでは、「自分ごとで読む」「自分ごとでしゃべる」をテーマに扱います。
6月27日のオンライン準備クラスでは、声に出す前に、台本や抜粋をどの順番で見ていくのかを整理します。
6月28日のスタジオ演技実践クラスでは、オンラインで整理した視点を、実際に身体と声を使って試します。
声に出してみる。
想像を当事者視点にする。
受け取ってみる。
違う方向から試してみる。
その過程で、「わかったつもり」だったことが、身体と声の感覚として残りやすくなります。
体験するから、感覚が変わる。感覚が変わるから、納得できる。
納得できるから、次に台本へ向かう時の迷いが減っていきます。
6月27日土曜
19:00〜22:00
オンライン準備クラス
参加費 9,000円
6月28日日曜
13:00〜17:30
スタジオ演技実践クラス
世田谷区内スタジオ
両日参加 19,800円
スタジオ演技実践クラスは、6月27日のオンライン準備クラスに参加された方のみご参加いただけます。
オンラインのみの参加も可能です。
詳細は、こちらの記事でご案内しています。
6月27日・28日開催|セリフが自分の言葉にならない理由と演技クラス
6月27日・28日開催|セリフが自分の言葉にならない理由と演技クラス
個人レッスンで扱えること
そのほか、個人レッスンでは、現場の準備や、ご自身の今の課題に合わせて、さらに細かく扱うことができます。
もっと活躍したい、準備を進めたい。
台本を読むと説明っぽくなりやすい。
演技の幅を広げたいけど、伸び悩んでいる。
「自然に」と思うほど、何も起きなくなる。
セリフは入っているのに、相手に向かう感じが薄い。
感情を出そうとすると、身体や声が固まる。
映像や舞台で、自分がどのように見えているのかを整理したい。
オーディションや現場前に、台本の準備を具体的に見直したい。
こうした課題は、一人で考えていると、どうしても同じ跡をなぞりやすくなります。
個人レッスンでは、今どこで止まりやすいのか、どこに余計な跡がついているのか、どの方向に準備し直すと相手や状況に向かいやすくなるのかを、実際の身体と声を見ながら扱います。
自分では「自然にやっているつもり」だったところが、実は何も選んでいないだけだった。
自分では「力を抜いているつもり」だったところが、相手への方向まで抜けていた。
自分では「セリフを大事にしているつもり」だったところが、相手に何を起こすための言葉なのかが曖昧だった。
そうしたことが見えてくると、次の準備の仕方が変わります。
一人で同じ準備を繰り返すだけでは見えにくかったことを、役の人物、台本、身体、声、相手とのやり取りの中で整理していきます。
よくあるご質問
「自然にやればいい」と言われたら、何も考えない方がいいのですか
ちょっと違います。
「自然に」という言葉が必要な場面はありますが、それは何も考えないという意味ではありません。
そもそも、ほとんどの大人は、何も考えないことはできないのです。これも忘れないでね。
役の人物として何を見て、何を受け取り、何を変えようとしているのかを扱わないまま何もしなくなると、場面には変化が起きにくくなります。
だから、他のことをしたくなったり、クセが出やすくなったりもするんです。
ホームビデオのように見える演技とは、どういうことですか
仲間うちでは伝わるかもしれないけれど、不特定多数の観客やカメラに向けて、物語として再構成されていない、不特定多数の他人に伝わるよう、編集されていない状態です。
その俳優の日常を知っている相手には何かが伝わるように見えても、初めて見る観客には、何が起きているのか、何が変わったのかが届きにくくなります。
何のために作品を作っているのか、誰に届けたいのか、どんな効果があるのか、そういったインパクトを想像することも、(規模が大きくなればなるほど)、大切な側面だと思います。
リアリティーのある演技は、作らない方がよいのですか
外側から形だけを作りすぎると、演技が説明っぽく見えることがあります。
ただし、何も準備しないことがリアリティーにつながるわけではありません。
大切なのは、形を固めることではなく、その人物として必要な条件、目的、相手との関係を具体的に扱うことです。
リアルとリアリティーを混同している方が多いので、ブログでも、解説しておりますが、それについての記事もまた増やしていきます。
セリフを自然に言うにはどうすればいいですか
セリフを自然に言おうとする前に、その言葉で何をしようとしているのかを見る必要があります。
セリフは文章ではなく、役の人物が相手に何かを起こすための方法です。
何を変えたいのか、誰に向かっているのか、なぜ今その言葉なのかを扱うことで、セリフが行動に近づきます。
静かな演技と、何も起きていない演技は何が違いますか?
静かな演技では、声や動きが小さくても、役の人物の中で何かが起きています。
相手を受け取っている、選んでいる、待っている、隠している、変えようとしている。
何も起きていない演技では、その内側の動きや相手への方向が薄く、ただ時間が過ぎているように見えます。
ビフォー・アフターがない状態です。
見ていたあなたにも、特に何らかの影響はなかったのではないですか?
この記事を書いた講師
鍬田かおる
演技コーチ、アレクサンダー・テクニーク教師。
俳優、歌手、ミュージカル俳優、声優、映像や舞台で活動する方に向けて、台本読解、演技実践、身体と声、相手とのやり取りを扱うレッスンを行っています。
また、インティマシー・コーディネーター(ディレクター)として、映像や舞台における親密な場面、身体的な距離、同意、境界線を含む演出の相談にも対応しています。
演技を、気持ちだけでどうにかするのではなく、台本、身体、声、相手、状況を具体的に扱えるものとして整理することを大切にしています。
クラス案内・個人レッスン・講師依頼について
演技クラス、個人レッスン、教育機関・芸能事務所・映画スクール等での講師依頼については、下のお問い合わせフォームよりご連絡ください。
現場の準備、台本読解、演技実践、身体と声、歌手やダンサーの方のためのアレクサンダー・テクニーク、インティマシー・コーディネーター(ディレクター)としての映像や舞台の現場相談など、別の目的に応じたご相談もいただけます。
演技レッスン、指導、コーチングでは、事務所・マネージャーの方で、
「所属俳優にレッスンを受けさせたい」
「講師として招聘を検討したい」
といったご相談も歓迎しています。
オンラインでのヒアリングも可能です。
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演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching



