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パフォーマンスの上達には、気合い・根性・なぜ忍耐?!

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みなさん すっかり秋の装いの中、まだまだ夏服で働く演技コーチ、くわたかおるです。

暑いの、いつからか苦手になってました!

さて

よくあるお問合せに共通するお悩みの根っこと、

弊害の多いおかしな「努力という名で呼ばれがち」な「似て非なるもの」についてです。

 

語り部であったり、神楽であったり、お能や浄瑠璃、狂言などなど、さまざまな伝統芸能といまは呼ばれるアートを経て、歌舞伎や新派、そして新劇なるものの展開へつながる

混沌とした「日本の演劇」、そしてあったようでないような、引き継いだようで、いろいろ混ぜつつ進化をさせていたはずの「演技法」でございます。

 

それぞれのジャンルの今も受け継がれる美学や素晴らしい伝統、そして専門に特化した特有の技術や卓越した様式には、眼を見張ることは間違いありません。

で、本日のお話はそういった歴史は各々で知っておく必要があり、体験できるに越したことはないのはもちろんですが、さらにその先の、

「いま」

のお話です。

 

日本国内では、その昔から、伝統芸能や芸術だけではなく、スポーツや楽器演奏、歌唱やダンスでまで、なぜか「気合い」や「根性」や「忍耐」といった、

実は「受け継いできたようだけど、統計をとったわけではない」、いわば体系だった方法のない「精神論」によって、

それこそ本人に自発的に「芸はみて盗め!」のように、各自に任されてきた傾向もあるようにお見受けします。

 

私はそれを全面的には否定はしておらず、前近代、近代、現代(の前半?)では、それはそれでいい部分もあった、とも言えると考えます。

例えば、遊びやいわゆる「ひやかし」で入門する方は少なく、相当な時間やお金やエネルギーを割いて年単位で取り組まなければ、「みて盗め!」の「みる」ことすら難しいのですから、

中途半端な、半ばプロに対して失礼な言動の方は少なくなると考えられます。

それによって教室のレベルが保てたり、貴重の師匠たちのお時間を無駄にすることも少なかったはずです。

また「みられていて、盗まれるかもしれない」側にだって、そういった緊張感がいい意味で競争を生み(そもそも安易には盗めないのが芸のはずです)

芸の卓越やさらなる高みを目指す原動力になっていたかもしれない、とさえ、今でもときどき思うのです。

 

ではこの、日本国内において、長い間、芸術や演技に関して頻出しがちな「気合い」、「根性」、「忍耐」といった抽象的な概念の意味を誰が精査したでしょうか。(学者?)

私は実演家ですが(学術をサボっていて申し訳ありません!)、

いわば心構えのような部分やライフスタイルの一部の順守や儀礼的な言動が強調され、現代に必要な、それこそ諸外国と娯楽や舞台芸術、芸能と芸術両方の世界で切磋琢磨していくには、ちょっとムリのある、具体的な方法やトレーニングが度外視されてきた部分が気になるのです。

そもそも「心構え」は行動に反映されるから、行動の量を増やさなければならないのは自明のはずです。

また包括的な理解あっての「儀礼」は大切なコミュニケーションの一部でもありますし、類い稀な工芸や匠の技を絶やさないためにも、「自律」が必要な面は否めません。

 

例えば、私自身は伝統芸能のクラスや授業やお稽古で、「芸は盗め」の文脈は、個人の(学校や養成所やそれこそ師匠のお教室でもない)、いわば自己啓発に委ねられていた印象があります。

ここが難しいところかな、と。

個人で自己啓発、自己洞察、自己研鑽がしづらいからこそ、養成所なりお教室やクラスで多くの先生方から教えてもらいたいわけでもあり…

振り返れば、私自身もトンチンカンな受け答えや無礼な言動、興味本位の質問や物見遊山なお立場から、お気楽に「気合いをいれた」風な儀式をし、「根性があるような」発言をしつつ、

実際、「忍耐していた」のではなく受け身でいたわけで、「自分で行動を試して、積み重ねて、経験の分母を増やす時間」を積極的に、率先してつくっていた場面は少なく感じます。(恥!)

今だから感じる、投げ出さなかった数々の師匠ズ、先生方のありがたさ….

 

また、もう一つややこしくしている要素に、

特定の有名な俳優や先輩が、ご自身のアプローチや態度を真似することからで成功を収めた例が多く存在し、そのやり方が「お墨付き」のようにされてきた面はないでしょうか。

出版ですら、「成功例」が多く、紆余曲折の末に、ある程度、社会的に成功といいますが、認知度の高い方が必然的に目立ちます。

それこそ、何らかの複数の事情で有名になった俳優や先人のどなたかが「お墨付き」を与えた、(申し訳ない言い方だが)自己流のやり方や取り組みの態度や心構え(この言葉も精神論です)をそのまま真似れば良いと言われてきた世代も多かったと思います。それでうまくいっていた方、ハッピーだった方は問題ではありません。

でも…..

・・・・・・だから今、困っていませんか?

だから今、若手や先輩後輩に不満があるのではないですか?

だからこそ、優れた方が理不尽に耐えかねて出ていってしまったり、もったいないほどの人材が流出していってしまった面もないでしょうか。

 

いまはだいぶ変わってきていますが、芸能事務所や養成所、さまざまな研修機関でも、昔はとくに具体的なスキルやトレーニングが二の次にされていました。

具体的なスキルは「一声、二顔、三姿」といってはいたものの、明言化が少なく、抽象的な言い回しもあいまって、また一部の有名な俳優が自己流のアプローチで成功を収めたことから、多くの若手アーティストはその方法を真似ることに焦点を当てていた印象です。これはいまも形を変えて引き継がれていますよね…..

 

私自身、芸能事務所でもバレエスタジオでも、とにかく先生のやっていることを見て真似る、聞いた音を真似ようとする、とりあえず「外郎売」(!)を覚えて唱える、先生の見本のあとに動いてみる、先輩のセリフをきいて真似る、そして、台本の読解や基本的な内面を「具体的」に掘り下げるうごきや感覚のトレーニング方法を具体的にハッキリと学ばないまま、詩の朗読や古典の暗唱、シーンをひたするやる事、上演の実習などに何年も費やしました。

「真似」ができたら認められる、「見本」に近づいたとされるとOKがもらえる….実際、これは半分くらいを占めるだけでよかった気がするのです。

(外郎にも学ぶことはもちろんあったのですが、大学で再び外郎をやるとなった際には正直、もう3度目でしたので、若い私にはツラかったです)

 

私自身も芸能事務所やバレエスタジオで、他の方法を取り立てて学ぶことなく、単に模倣することに焦点を当て、教師や先輩に倣うことに多くの時間を費やしました。

まさに!

「試行錯誤」

でした。

これは無駄という意味ではなく、ある程度ガイドがあったほうが、創造的かつ自覚的にトレーニングできるのにもったいないという意味ですが…

 

基本的な身体(顔も声も含む)の扱い、うごきからの感覚や感情のトレーニング、いわば「自分をまるごとどうやって使う」という方法や台本の具体的な、演じるための読みとき方やそれこそ「質問設定」をズバリ!指摘されたことはありませんでした。

例えば、役の「深層心理」とは言うが、体系立ってはいない。「人生経験」みたいなものに「想いを馳せる」になってしまう。

 

それこそ「歩き方」「姿勢」「声の高さ・大きさ」という言葉は出るんですが、それらは「結果」であるから、ほんとうは「原因」と「仕組み」を学びたいのに、具体例がほとんどない。(1名の俳優や演出家の1作品、1シーンでの成功例はある)

声の表現力のための身体や意識の準備というよりは、「演出家(や監督)が欲しい音や抑揚」(これも「結果」です)に焦点が当たっている稽古場で、「覚えなきゃいけないことがたくさんある」感覚で大変だったのを覚えています。

この「覚えなきゃいけないことがたくさんある感覚」が稽古やリハーサルを先に占める弊害を実感します。例えば、役の背景への深い理解、個人的かつ具体的な役の事情、作家の切り口、シーンのテーマ、上演の狙いなどです。

 

時には、他の俳優の「見本」や、また今思うと慄きますが、演出家ご本人の「お見本」を真似ることが奨励されました。

みて学ぶこと、参考にさせてもらうことのありがたさが百も承知ですが、それでも、「実際に自ら考え、想像し、間違いや失敗からも学びつつ、好きなもの、できることを増やしていく」時間が圧倒的に少なかったと思うのです。

この「間違いや失敗」がたった数名の演出家や先輩方のご希望とズレていたこと、で判断されてしまうのは、悲しくもったいないこともでもあり、トレーニングとは違うと思います。

さらに苦手を減らしする「できることを増やす」がトレーニングの根っこにあると思います。

例えば、「観察」にしても何のために観察するのか、何に着目するとどうなるのか、違いを実体験して、しかも言語化して振り返る、その経験をふまえて演技に応用して、で1セットになります。

 

そして、なんともいまだに根強く信仰されていて恐ろしいのが、「現場で学べばいいんだ!」

という学習を軽んじた、無責任な発言。



そもそも、人間である以上「現場」でもどこであっても学ぶ方はなんでも学ぶので、わざわざ「現場で学べばいい」と投げ出すのも、乱暴だと感じます。

多くのお客様だって歌手や俳優が「学んで」いるのをみたいわけはなく、「学んだ」結果をつかって、さらに他人と作品をつくりあげて能力発揮しているところを、みたいはずです。

「学び」そのものではなく、学んでいるからこそ、「そしてどうなったのか」をみたいと思いませんか。

 

人間は経験から学び続ける存在です。

学びたいと思えば、どこでも学ぶことができるでしょう。

現場で学びながら進歩することは重要ですが、学んだことを活かし、実践できる能力を発揮することが更に重要です。

私たちの観客や聴衆は、単に学び続けている姿勢を見るのではなく、学んだ結果、どのような成果を出すかに興味を持っていて、生み出される魅力的な演技や芸術的な表現に魅了されます。

学びそのものだけでなく、学びから生まれた変化や成長を共に楽しんでいけたら、それに越した事はないのと感じます。

 

学びたいと思うなら、学びの機会はどこにでも存在するからこそ、あえて「具体的かつ体系立った」トレーニングを併用することで、さらに差がつきます。

私たちは学び続ける姿勢を持ち続ける一方で、学んだことを実践し、具体的なスキルや才能を開花させることを加速できます。

 

 

 

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日本では、芸術や演技には「気合い」や「根性」といった抽象的な考えが主流で、具体的な方法やトレーニングはあまり注目されていませんでした。しかし、私の演技クラスやレッスンは違います。

多くのアーティストは、成功を収めた有名な俳優や先輩から学び、その経験を尊重しています。

しかし、学ぶだけでなく、学んだことを実際の演技に活かすためのサポートも提供しています。

具体的な例として、台本の理解や感情の表現、動きのトレーニングなど、アーティストとして必要なスキルを磨く方法が豊富にありますから、それらをどんどん実践します。

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