プロ、アマ、学生、年齢性別経験問わず、あちこちで聞く(私にとっては意味をなさない)フレーズ「自然に」。。。
かつて私もその周りも頻繁に根拠や定義を確認しないまま使っておりました。(恥)( ;∀;)「自然な感じで~」「自然にやりたいので~」「自然体で…」「自然でいることを~」「自然にできないの?」「もっと自然にさ~」
あ~!もうっ!自然、自然って、うるさい、なんやね~んっ!(笑)
あのね、わざと「不自然にやろ~うっと♪」なんて人(特殊な場面を除いて)おらんのです。
一般的な意味で、多くの人々が、そこそこ「自然」にやりたいとは願っている。しかしできんのです。できないから、こういうフレーズが頻出するのよ。
で、まずは、
①一体、なにを目的とした「自然」なのか?そもそも「不自然」の反対という曖昧な印象でいいのか?
②おおよそ合意できそうな「自然」や「自然さ(らしさ)」の定義と根拠はなにか?
③「自然さ」なり、「自然らしさ」そのものは、方法としてどう扱えるか?その正体は何なのか?
あたりが気になる訳です。
私の長年の(?)研究による解答 A~C はこちら↓
演劇やダンス音楽等の芸術の実践における:
A「自然」の意味:他者からみて、また不特定多数の人々の基準を用いても、「不自然」であると解釈されるような「自然の法則に則らない」現象を用いていないこと。例えば「自然の法則である重力に逆らって」、無駄な緊張を入れて肩を持ち上げ続けたまま、日常の動作をし続けていて、その筋肉が、目的に合わない緊張状態がパフォーマンス中に長時間、または頻繁に、意図に反して繰り返される状態。
はい、たしかに「自然」ではありません。
B「自然」の役割:他者および不特定多数の人々から判断して、「目的に合わない非合理的および非生産的な方法」の査定とその評価基準を定めるため。また整合性や一貫性を証明するための一種のものさし。例えば、通常、何時間も人前で特定の声のトーンや強さや速度やリズムで発声していたにも関わらず、何らかの「意図」により、声色をつくるための「通常とは違った」発声方法で、「通常とは違った」声を出すこと。
はい、これは「不自然」と言われますね。その場合、イミは「いつもと違うじゃん」です。(笑)
C「自然」の目的は:他者にみられること、聞かれることを前提とした芸術において不可欠である稽古や訓練といったものによる技術のあとを減らすこと。意図しているのに意図を感じさせ過ぎない、一種「自然現象」に類似した感覚を引き起こせるかどうか、また意図的に選ばれている方法の連続にも関わらず、その選択がまるで必然的であるかのように感じさせる、または想像させること。
…かな~?と。
例えば、念入りに訓練および稽古を長時間長期間に渡って修得した技術を基に、ダンスや歌や芝居の作品に、実際は精密に方法を吟味し、綿密な計画に沿って「演出」しているにもかかわらず、あたかも「当たり前」で「偶然」かのように感じさせるような、技術の巧みさと表現が融合しているさま。
…かな~?と。
みなさん、いかがお考えですか?
本日はこれまで~。中編(?)へつづく。
*プロアマ及び用途は問わず、一部でもブログ内容を引用したい方は必ずご連絡ください💙
演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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