なぜ「最小限」が役立つのか?

最小限の「ちから」で最大限の能力を出すことが大切な理由は、

無駄に力を入れすぎたり、変な方向に酷使したりしないことでの「ケガの予防」も含みますが、

緊張させたままつかっているような、つまり、余計な負担をかけながらの活動を減らして、「健康」的に目的へ向かうこと、

……だけでなくて、

はたまた「美容」のため、

……だけではなくて(笑)

本来の活動そのものに注力してもOKになる「余裕」をつくるため、

なんですわ。

具体的にどういうことか、と言うと

・身体を窮屈に固めて、息ひそめながら、想像力を羽ばたかせられますか?

視野も変わらないのに?!😲身体の高さも、身体のパーツの方向も、変えづらいのに?!

ブレーキかけたまま、、ムリに進む!スピードも方向も変えたいけど、

「決して」固めていることは手放さない。。。。

おおぅ💦 それはそれは….変化を扱う演劇や音楽、ダンスやスポーツは….

特にむつかしいに違いないさ…….

例えば、明瞭に歌いたい、しゃべりたい

しかーし!

明瞭に歌い、しゃべるために必要なだけのちからがどれくらいかは「知らない」。

ただ、子供の頃から親や周囲の大人を真似てきて、やってきた「方法」。

慣れている、いつも同じ感覚の唯一の「方法」。

自分にとっては自然に感じられるくらいやり慣れている「方法」。

それだけ、で……..イイかな?

❔❔

よく見かけるのが、

しゃべりづらいのか、歌いづらいのか、

唇をやたら固めながら、「文句言っているヒト」の口になりながら、

必死の形相でしゃべり、歌っている方々。

こ、怖い!😢! (苦笑)

間近でみることの少ないお客さんは我慢できるにしても(笑)、相手役は可哀想に…

胸や胴体を固めている延長で、顔や首(喉ですよね)もあちこちいびつに固めながら歌ったりしゃべっていると、鼻声みたいな発声・発音…

😿!

これまた聞き取りづらく、響きもイマイチ。そしてなにより、内容が伝わりにくい…

「調節」する練習のため、

「調節」するときに基準とする感覚のため、

「調節」しやすく(自分が楽)するために…

「大は小を兼ねる」の類の取り組みを少しおさえてみませんか?

 

 

 

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