やってはイケない:演技のNG集②独りカベ打ち!

演技ってのはな~、「リアクション(反応)」なんだよぉ~

といううんちく(?)が流行って、はやウン十年。そう、歴史はちょい古いのデス。

その昔、私も大学やら養成所やら、あちこちで聞いた懐かしいフレーズ(笑)

で、その出典はというと(私のロンドン大学時代のリサーチによると)おそらくアメリカの一部の演技教室のActing is Reaction!という派みたいね。。でそれがActing is Believing!という想像力重視な人達とちょいとぶつかったって言う…苦笑 (-_-;)

さておき、本当にそうなの?

それで、演技できちゃう?

反応してれば、ドラマが進むのかい?反応だけで人物造形がハッキリするんですか~?戯曲の構造に堪えられるのかしら~ん???

いいえ!NO!

反応、それは、確かに大切だし、必要だし、もちろん自然なことなんですが…(◎_◎;)

どうも、多くの場面で「反応して!」、「リアクション足りない」、「リアクションが悪い」、「反応が違うよ」などと演出家や相手役やコーチに言われるとき、

それは、

「応答」を意味しているようなのですよ。。。💦

で、その「反応」しているって思ってる人達が実際にやっていることをみてみると、往々にして、

「反射」してるんだね、これが。。。

ここが、誤解の始まり、すれ違いの悲劇。。。(T_T)

Oh….no…..😭

そう、

刺激の受容(感覚器官を通じて)→ 反射(生命にかかわるような+条件反射)

だけだと、ただの「自分」です。(笑)

刺激の受容(感覚器官を通じて)→反射+「反応」しないとね~

この「+反応」の部分がいわゆる流行っていた「反応」のことなんだ。(^-^;

例:電話の音が聞こえる(刺激の耳による受容)

→予期してなかったので驚く(生命維持と学習された条件による反射)

→「誰かな?」と思う&昨日の事件(言われた事等)を思い出す

(ココが反応&情報の消化)

→相手の顔が思い浮かび、真実を聞き出そうと何らかの方法を想像し始める

(もう1段階の反応:内面のアクションへ)

→電話に向かって、不安を感じながら、歩きはじめる(身体行動へ)

かな?ちょっとおおざっぱですが(笑)

ですので、「反射」部分しかしてない人の演技は、まるで「カベ打ち」です!(T_T)

残念ながら、よく見かけるのが、ただ驚いている人達(笑)

そりゃね、驚くよね、いろんな場面で、いろいろな相手のさまざまに…..だって…

ドラマ!だから!(笑)

驚くことが多くて、当然です。

だからって、ただ驚いているだけじゃ、演技になってないのよ。😠

どういう考えを持つ人なのか、どんな様子で、何を感じる人なのか、それらがどう行動へつながっていくのか、という美味しいところを捨てちゃってるんだな。

あ~、もったいない。

「独りでカベ打ち」しててどうするの~!?確かに楽なんだけど(笑)、それって試合じゃないのよ。

ただ「願ってる」ヒトも重くてウザかったけど(笑)、ただ「驚いてる」ヒトも思考も感情も深くなくて、とっても悲しい。。。😡

その先を知りたいのに~、感じたいのに~、共感したいのにィ~ (T_T)

反射だけしてる「カベ打ち」の「驚いてるだけ」の亜種には、

ただ「困ってるだけ」、ただ「躊躇してるだけ」ってのもあるよ。

そりゃ、「困ってる」に決まってるよね、戯曲のほとんどが「問題解決」なんだから!!これまた、戯曲の構図やドラマの仕組みを考えれば分かるはずよ!

…というわけで、

ただ「驚いている」、ただ「困っている」

のは、やめましょう!

思考も感情もつかってなんぼです。条件反射だけじゃ、ダメよ。

ちゃん、ちゃん。

 

 

「見学」って…何のため?―見ていたい人々

①「ケガのため、授業を見学させてください。」

②「~の勉強をしているので、クラスを見学させてください。」

③「参加を考えているので、最初、見学させてもらえますか?」

…ワタクシにはさっぱり分かりません。

一般的には、やる気があり、失礼のない、どちらかというと推奨される行為のようで、一種、優等生的な対応またはご丁寧なお申し出のようですが…

ワタクシには理解不能!(趣味や娯楽クラスの場合や取材は別ケースと思います)

①「ケガのため、(動けないので)授業を見学させてください。」

一時的に動くことが難しい場合ですね。はい、そこはOK。

でも、もとの授業(やクラス)が実際に本人がうごくことを前提にしているのなら、本来は参加できないはず。実際に活動することと見学が同等ではない時点で、『見学=参加』にはならないよ?そこを勘違いしている学生やその親よ、ケガや病気が中期~長期に渡るなら、休学なり休所なりして『授業内容に見合った(健康)状態になって」から再開するのが本人と周りのためにもなるでしょうに…

そして、

最大の問題は体調が悪いのに無理して座っているとか、拷問。はやく帰ったり、病院へいったり、水平になったり、どこか冷却したり…治療に集中したほうが何倍もよい場面もあります。

見学!という根性は要りません、健康第一。

そして見学用のスペースを確保するのも効率的でない場合もあるってことを想像してないよねぇ~。

また見学者という立場の者がいないからこそ、クラスの平等感や緊張感、集中度が保たれているというのもあります。😡

どう考えたら、実際に活動した人とただ見てた人に同じ価値の単位をあげたり、ましてや成績がついたりするんですか?本当の意味での公平を考えていただきたいものです。

②「~の勉強をしているので、クラスを見学させてください。」

はて、なんだろう?…この一見、正しいようで、やはり間違っている感は。

それはね…学習(勉強)の本質から、遠~~くかけ離れているから。

「学ぶ」ということが分かっていないんですね。

ズバリ言いましょう。

「○○の勉強してて、そのクラスに来るなら… …」

「見てないで、やれ~い!」

見学して何か気に喰わなかったり、自分の予想やご希望と違ったら、諦めるのかい?

「いや、そんなっ!」と言うなら、真剣にやっている人が目の前にいるんだから、安全なところに座って批評家然としてないで、とにかく試してみないと!

「やってみる前から、意見を持つことはできません。やってもないのにどうこう言う事、それは意見ではなく『偏見』です。」

と言ったのはパリ在住のチェロ奏者でもありアレクサンダー・テクニーク教師でもあるペドロ・デ・アルカンターラ。

まさにその通り。😠

③「参加を考えているので、最初、見学させてもらえますか?」

尚、意味が分からない。ワタクシには。

だって、どうせやるんでしょ?(笑)

じゃ、今から、始めたら?(笑)

たまに聞かれるんですよね。イギリスで演劇学校はどうやって調べましたか?とか、ロンドン大に入学する前はロンドンに行ってたのか?語学留学してたのか?ホームステイしてたのか?など…

NO! いいえ、まったく。(笑)

ヨーロッパには観光旅行すらしたことなかった。

だって…イギリスに行っても、観光客がいくところに毎日行く訳じゃなし、天気が悪くても素晴らしい舞台を生み出している人々はいるし、多少不便だったり不衛生だったりでいろいろ日本と違っても…どうせ勉強するんでしょ?笑

じゃあ、大学を事前に見学しようが、ロンドンに行ってみようが、行動はほぼ同じじゃないですか?学ぶのは自分なのだ。環境や他人によって学べたり、学べなかったりするなら、学ぶという基礎能力があまりにも欠如しているのだ。(学びやすいという傾向はあるにせよ。

例えば、資料がたくさんある、優れた「秀作・傑作」がたくさん間近で毎週お安く観られる、のような。

という訳で、1回や2回「見学」したからといって印象以上のものが分かる訳でナシ。

やりたいこと、学びたいことがあるなら「体験」してみるのが早いでしょう。

結論:「まず、やってみよう」

実行あるのみ!

このハイテク時代でも、私たちは「見る」ことでなにかを身につけることや学ぶこと、理解を得ることは、(ほぼ)できません。

私は運転や道路を20年以上も見ていたはずでしたが、教習車を運転するまで、「車とは?交通とはいかに!」をさっぱり想像もしていなかったことに気づきました(恥)

その苦労は想像に難くない。恥。

文字面の情報は大量に探しだせるけど、コンサートでオーケストラや歌手を「見て」も楽器が演奏できるようにならないもんね~。

私も何年も練習しまくる音楽家や歌手を「みて」いますが、自分は歌えるようにも演奏できるようにも、全くならない。(笑)

みることは喜びでもあるけど、やる側になりたいなら、自分が「やってみる」しかないよ。

教訓:「みてないで、やりましょう」

 

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今日の写真はマレーシアの熱帯雨林でFlying Fox(ロープにぶら下がって『ターザン』)する前の図。地上150メートルで、530メートルの距離を2本、時速80キロ~でターザンする。。実際、高速で空中を移動するターザンよりも、ビル以上に高い木に立てかけてあるハシゴ(!)に登る方が辛かったし、さらにヤブ蚊に刺されまくる方がキツかった。(笑)

Flyingfox

やってみないと分からんことばかりです。

ちゃん、ちゃん。