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演じ手の秘訣ープロとアマの違い6つ

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寒いときこそ、さあ読書、そして運動で身体の内側から温まる、演技コーチのくわたかおるです。

2023年も、志高い俳優や歌手、ダンスなど、表現のプロとプロを目指す方のために、現実的かつ役立つブログが書ければと考えてます。

ご質問も、各種SNSなどで受け付けております。

さて、日本では、プロとアマチュアの境界線があまりはっきりしてない面も多いですが、それぞれの社会的な意義やその良さと強みはさておき、本日はプロを目指している、もしくはプロとして、不特定多数のお客様からお金を頂戴していると言う前提で、ちょっと分析したいと思います。

プロとして仕事もあって出演はしているけど、なんとなく行き詰まっている方、

プロを目指しているはずなのに、どうも自分の周囲の環境に違和感がある方、

そしてもっともっと活躍したい方々の参考になれば幸いです。

 

演技等における実演家のプロアマ考察

①影響力

強さと大きさとも言えるかもしれませんが、それは身体的に力を込めるとか、顔を緊張させるとか、緊張につながる類いのものではありません。

いわゆる働きかけによって、何が引き起こされるかと言う、インパクトの話です。

プロは、往々にして影響力が非常に強く、アマはいろいろやっているにもかかわらず、影響が弱い様子です。

お相手やお客様が受け取れない弱さ、弱くて小さければ、何なのか分からないのです。

思い込みや自己暗示などで、自分で自分自身を刺激していても、やはり外に具現化されて、声や動きになって現れないと、伝わりません。

意味を想像したり、共感したりしてもらうためにも、これは避けて通れません。

ただ、所作でお大きな音を立ててやればいいと言うことではなく、身体を固めると言う意味でもないので、筋肉の緊張の度合いと直接に結びつけないことが大事です。

インパクト強めるには、周囲の空間への働きかけ、歩行や高さや距離等に意識的になることが重要です。

 

②うごき(変化)の質

とにかく、①にも含まれますが、これに尽きます。

心理の変化はもちろん、A地点からB地点への移動、低くなったり高くなったりなどの高さの色を含め、思考の進み具合も含まれます。

プロはとにかくひとつぶひとつぶがハッキリしています。
アマはもやもやしていて、正体がわからない、もしくは大きくざっくりと括られてしまっている。

アマは切り替えも曖昧で、何をきっかけにしているのか、何が直接の引き金になったのか、どれが伏線なのかも分かりません。いろんな風な解釈の幅があると言えば、人聞きが良いですが、意見やつくり手側の世界観や伝えたいことがあまり定まっていないともいえます。

プロは高低なのか長短なのか強弱なのか、一つ一つが粒立っているから、お相手もお客様も受け取れます。受け取れるからこそ、解釈の対象に初めてなるのです。

野球のボールなのか、わたあめなのか、ふさふさの毛玉なのか、四角い箱なのか、尖ってて重たくて冷たいのか、つるつるしていてあったかいのか…

これは比喩表現ですが、得体が知れていて、初めて相手を受け取ることができ、またお客様もやりとりを目撃することが可能になります。

 

範囲の狭さ、距離のなさ、運動の不正確さはすべて表現の不明瞭さにつながります。

はっきりしているものを、わざとぼかすと言う手法もありますが、それは絵画でも同じで、もともとはっきりしているからぼかせるのです。もともとないものもぼかすことはできません。

プロは種類も豊富です。

1つの作品の中で、たった2つや3つの手法をリサイクルし続けると言う事は少ないようです。

私たちの脳は新しいものに非常によく反応します。

それを経験的にも感覚的にも知っているからこそ、必ず変化をつけて、働きかけに使っています。よくよく観察してみてくださいね。これがいわゆる進んでいる感じ、推進力にもつながります。

 

③プロの一人称

プロと言えば、役の人物を自分事にとらえることが得意です。

自分の経験したこと、周囲で起きていること、容易に想像できることから、どんどんストレッチしていて、異なった時代や、文化背景、違った、胸部の方々と自分との距離を縮め、共感的に役に迫ります。

後ろ姿、歩き、一つにも、役の人物の価値観やライフスタイル、自分像や他人像が現れています。

特に、役が様々な場面でとっている役割、お立場に的確で、メリハリのある緊張と弛緩のバランスで、ドラマの状況で何を感じているか、どんなことに困っているのか、どうしていきたいのかが、直接的、または間接的に意味付けされます。

 

④境界線ーバウンダリー問題と自己洞察
役と自分を重ねる準備はもちろんするのですが、現代のプロは、役の人物を文学か報道のように批判することも、また強烈に入れ込んで溺愛することもありません。

役という他人だからこそ、台本に書かれている事実をもとに、どんなライフスタイルなのか、価値観なのか、生い立ちなのかなどを検証していきます。

もちろん、自分と重なるところがある場合もあるでしょう。特に、近しい年齢で配役されることが多いですから、往々にして、他人が自分に期待する人物像と、役の人物の人物像が重なるキャスティングと言うものはよくあります。

役という他人を考えるにあたって、「時代や場所が違っていたらあり得たかもしれない」、「もしかしたらありうるのかもしれない」と考える事は、健全な範囲です。

いわば親しい人と関係を深めていくのに、似ていて、共感に基づいて、何らかの出来事や人物に関して意見が合わなかったとしても、気持ちを理解しを、感情を共有しようと試みます。

意見を合わせる事に躍起になるアマチュアは、なぜか聞かれていないのに、自分の反対意見や強烈すぎる同意を熱く語ります。すると、自分との適切な距離がなくなりますので、見えなくなります。

私たちには、自分の姿をある程度把握するには、全体像を掴むための距離が必要なのです。

都市伝説もほどほどに。

 

⑤想像力の使い方

私たちは冷静に考えれば、捕まらない怪事件の暗殺者なることも、時代が多いに動くような革命を起こすこともきっとできるのでしょうが、多くの場合、そういった時代や環境に生まれておりません。

自分が体験したことをただ思い出して使うのだと言う考えはアマチュアです。私たちは忍者で会ったこともなく、貴族だったこともほとんどの方がないので、フィクションの作品のために思い出したくとも思い出すような思い出がないんです。ほんと。

ただ、直接的に同じ体験をした事はなくても、類似した体験、感覚的に似ていると思われる体験、また、フィクションの既に作品となっている映画や文学や絵画や音楽などを通じて、その人物や体験に迫っていくことはできます。

私は学生の頃から恐ろしいなと思っていたのですが、例えば役の人物が、特定の職業だからと言って、アルバイトでその職業の体験に入る….

えー、まずその職業をやっている人は、アルバイトで「体験するため」にやってないでしょう。ともすると、少々「やじ馬感」あります。

その時点でだいぶ動機が違いますし、目的意識も、差し迫った、緊急性も異なり過ぎています。

殺人犯になったり、誘拐されたりするわけではなければ、ある程度の体験が、さらなる想像力をかきたてる種になるのも事実です。

しかし、なんでもちょっとかじって体験したつもりになるのもおかしい。

このバランスは非常に難しい問題ですので、疑似体験するにしても、実際に体験してみるにしても、非常に留意して判断せねばならず、また自分のたった数回のもしくは、場合によっては、たった数年の経験を買い被ってはならないといつも思います。

「体験『すればできるはず』と考えるのがアマチュア」

「体験『がないにもかかわらず』想像力を駆使して、擬似体験や実感を伴えるようになるには、と考えるのがプロ」とも言えるでしょう。

 

おまけ…

取り組みに関するプロ・アマ考察…

⑥やる気やお気持ちとの付き合い

お気持ちでは乗り切れないと知っているのがプロの性。

いくら好きでも、得意でも、疲れもすれば、無理もある。

現場が多い方ならではのお悩みでもあり、芸歴が長い方のお作法でもあります。

「気合い」を入れることを是とし、「気持ち」を盛り上げようとがんばるのはアマチュアならではかもしれません。

もちろん、それが合う方もいるでしょう。

しかし、現場やレッスン、いろいろと忙しいプロほど、うつろいやすい気分や気合いには頼らず、「仕組み」を作っている方も多いです。

申し込むのか見送るのか、書類を出すのか出さないのか、はたまた誰に相談するのか、いつまでに、どうするのか……「決断」を要するものが多いとハードルがあがります。

いちいちやりたいか、好きか嫌いかを検証しないのも、一つのコツかと思います。

例えば、「歯磨き」を好きか嫌いか、望ましいかどうか、サボってもいいかどうか、考える方は少ないと思います。

お礼一つにしても、すぐにその場で行う。台本にしても、とっとと取り掛かる(笑)。

運動も決められた日時にたんたんと行う。それで済むことはたくさんあります。

ある意味、お気持ちがあるのは当たり前かもしれません。
例えば、好き…だから?上達には必ずしも結びつかない。ただ、ある程度好きてなければ続けにくいのも事実。

お客様なら「好きだから」、それでOKな表現や手法もあるでしょう。

では、お気持ちをみえて、きこえて、意味あるものにして、伝わるために、どうするか…

そこを徹底して検証し、切磋琢磨していくのがプロであるとも言えるでしょう。

 

さて、最後の項目は、言動に滲み出る決定的なこちらです

 

⑦技術のあり方

私の先生方はダンスでも音楽でも、演技でも、ムーヴメントでも、アレクサンダー・テクニークでも、みなさん揃って「技術は必須」、「技術は責任」と唱えるつわものばかりでした。

偏っていると言われればそれまでですが、やはり責任を伴うという感覚は否めません。

ジャンルや場面によっては、例えばアクションや喧嘩シーン、ダンスを含めての振付などでは、技術がなければ周囲にケガをさせてしまうことがあります。

自分が困るだけなんだからいいじゃん、と考えられないのが仕事というものの性質でもあります。

チームで仕事が回るからこそ、そして相手がいるものであるからこそ、一人以上の力が発揮できるありがたさと同じく、責任も生じます。

不必要に他人を傷つけないための「知識」や「技術」もあると思います。

 

というわけで

プロとプロを目指す方の参考になれば幸いです。

そしてアマの方も、より気楽に、自分が楽しむためにも、周囲と平和に協力していくためにも…

 

優劣ではなく、それぞれの目的を見失わないよう、ちょっと考えてみるヒントになれば幸いです。

 

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