観劇日記「オイディプス」-ルーマニア国立劇場@東京芸術劇場

先日はルーマニアの歴史あるルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場の来日公演「オイディプス」を拝見してきました。

http://www.geigeki.jp/performance/theater101/

全身で感じて、動いて、しゃべる、生き生きとしていて、迫力のある俳優たち。男女ともに、しなやかで屈強な肉体と伸びのある声の持ち主たち。

シンプルながら美しい美術、照明、簡潔ながらもストーリーが際立つ演出と独特の世界観の音楽と映像の融合、確かにとっても素晴らしいです。

…でも、私の個人的な観劇や鑑賞歴のせいかもしれませんが…モジモジ 汗 (;^ω^)

どことなく、クリスチャン・ボルタンスキーの美術作品(インスタレーション)と、

ヨーゼフ・ボイスの美術作品(インスタレーション)と、

イリア&エミリア・カバコフ夫妻の美術作品(インスタレーション)と、

とても似ているっ!似すぎ!

シンプルで線や色が際立つセットと肉肉した俳優たちと、明るい照明によって付けられる陰影と衣装の古典的なデザインと妖艶な色合いと、とにかくとても似ているのだ。そして使われていたビデオ映像も90年代に流行っていた多くのビデオ作品ととても似てる。こういうビデオ作品、ニューヨークでもロンドンでもベニスでも、90年代後半に世界中で流行っていたな。。。(^^;

とにかく作品全体がこれまでみてきた美術作品たちにとっても似ているのです。

東欧やロシアはお互いにもちろん影響し合って、美術史や演劇史をリードしてきたこともあり、影響力あるアバンギャルドなアーティストを生み出してきたこともあり、当然、、似たような美学や発想、アーティストの生まれ育った年代によっては特定の衝撃的なアーティストに強く影響を受けることもあるでしょう。照明や色調のせいかもしれませんが、物語の切り取り方や表現方法の選択基準が似ていると言ったらいいのでしょうか、さらにピナ・バウシュの作品にも似ているのです。(^^ゞ 女性の裸体や衣装のつかい方も似ているなぁ…。

…でそうなると、だったら、もっと近い距離でギャラリー内でカバコフのインスタレーションに実際に歩いて入って、音も自分の耳で直接聞こえて疑似体験できた作品みたいに感じたいし…でも額縁舞台劇場ではそれは叶わず。(T_T)

そうなると、ボイスやボルタンスキーのように政治的な、宗教的な、民族的な主張があっても良いし…でも、それはあまり私には感じられず。(´;ω;`)

…と考えると、ピナ・バウシュのようにユーモアがあるかと言えば、無い…

会話劇なので、言葉もそれは美しく、みごとに明瞭に語られているのだが…どうも内臓の叫びというか、腹の底からの音は感じられない。

イギリスの劇団「Punchdrunk」のように、観劇する側が自分の意思で建物中を歩き回ってダンスも芝居も間近で体験する体験型の演劇だったらうまくいったのかもしれません。去年、ニューヨークで観た「Sleep No More」がシェイクスピアのマクベスを基にしながらも、俳優の吐息が聞こえる距離で共有できた感覚が本当に素晴らしかったことを思い出し、しばし…Kaoruちゃん、ホームシック。(苦笑)

さらにロンドンでも衝撃を受けた同じくPunchdrunkの「Sleep No More」ではWoyzeckやヒッチコックの世界が陰影共にジャンルの違う音楽やダンスもうまく取り込まれて、一貫して美しく使われていたことを思い出し…さらに…Kaoruちゃん、ホームシック。(笑)

う~む。。。

結果、今回の公演は…消化不良。。スミマセン。

独特の世界観、美的感性、哲学があっても、それを十分に全身で生に感じられなければ、つらいです。ましてや、ずっと座ったままの、ただでさえ、字幕を見続けなければならない会話劇の公演で…(T_T)

私の体調が優れなかったのか、判断基準が厳しすぎるのかもしれませんが、そんな感想でした。

ガクッ。。

 

 

 

 

 

虎の巻:初回「試験」や「オーディション」の目的を考えよう!

試験やオーディションの多い季節(?)になりました。

どうしよう!?緊張する!受かりたい!心配だな、なにするんだろう、いや、困ったな!ま、いいや、ありのままで!でも、どうしよう…など(笑)

永遠のテーマの一つと思います。

オーディションを受ける側から、はやウン十年(笑)、今はちらほらと養成所などで、ちょいと審査委員することもあるので、実践的なアドバイスをいたします。

①「試験」や「オーディション」の『目的』を考えよう!

この前提なしには、まともなコミュニケーションはおろか、言動がトンチンカンになる恐れがあります。面接で見当違いな受け答えをしたり、場合によっては願書におかしなことを書いてしまう恐れも!ひー!(T_T)

課題の歌やセリフ、ダンスや特技など、事前にせっかく準備をするにしても『目的』が腹の底から了解できていないと、その「分かってない」感じ、出てしまうんですよ。ははは 涙。。。

オーディションの名目で資金集めや別部署の人員をあさるなどの怪しいところはさておき、今回は養成所や劇団の入試やオーディション。(現場編は後日♪)

目的はズバリ!あなたがおおよそどんな人で、どこの誰で、今まで何してきて、これからどうなっていきたくて、今はどんなこと考えていて、どんなこと感じているのか、です。つまり「Who are you?」=どちらさまですか?

なので、「自分が誰で、どうなりたいのか」に合わない言動や様子はほぼマイナス、となります。矛盾しているのも×です。(^^;

審査員はほぼ初対面です。(知り合いもいるが 笑)それでもオーディションでは自分がどこの誰なのか、どこから来て、どこに行きたいのかを明かす必要があります。(文学的な意味だけではなく)

ですから、例えば、顔もみえないような髪型や服装は基本的に×。

みてもらいたいからオーディション来てるのに、顔や姿がみえないようにしている、って矛盾しているんですよぅ。

前髪や襟なども流行やファッションかもしれませんが、自分が「明らかになる」よう、「みてもらいたい」態でいることは大前提。

ましてや人前に出る仕事を希望しているのですから、多少緊張していても恥ずかしくても、出しましょう。出ていないものは評価の対象になりません。

これは声やうごきにも言えること。自信がないからと会場でちゃんと聞こえないような声では判断できません。それどころか、失礼。相手に聞こえない声でしゃべる=聞いてほしくないのか?とこちらは思ってます。うごきもうろ覚えだからとモジモジしていると、あなたが存在していることすら、みてもらえない可能性大。

出ていないものは、対象外!なのです。

隠すことに時間やエネルギーを割くのをやめましょう。

己を出すために、出したときに何を、どう出したいか。そのために練習や訓練を積みましょう。

それにね…

見えないように隠されてるものをみようとするって…

とっても疲れるんです!!!(笑)

審査員も人間です。(´;ω;`)

真剣にみているのに隠されてると、悲しい。

そして見づらい&聞きづらい=判断しづらい=疲れる=あまり好印象でない=

…こんな連鎖です。

どうかお気をつけください。

お疲れモードの方々にアルゼンチンでのケーキ画像を送ります💙

次回へより複雑な現場編へ、かな?

 

 

 

「自然に」の真意。自然、その実体は…?中編

演劇、ダンス、音楽…そして日常でも、さまざまな場面で話題になる「自然」さ。

生真面目な前編を書いたKaoruです。そして、なぜそんなに「自然」に多くの人が長年こだわるのか…(^^;

正直、分かりません。だって…

「不自然」といえば不自然だし、「自然」と言えば自然ではないですか~!もともと。(笑)!突然、歌いだすとか踊りだすとか、ましてや物語のなかで他人の役割を果たすとか、日常の自我やアイデンティティーはさておき、なぜか他人と結果が決まっている(台本がある程度)のに交流して、他人の立場から他人と物語るとか…。日常らしくないという点までさかのぼってしまうと、絵画も彫刻も写真もオペラもバレエもミュージカルも、みんな自然ではないカテゴリーに入ってしまうので、もう芸術作品やそのプロセスが「自然かどうか」はそれほど気にしなくていい時代かなと思います。(^^♪ 自然に近づくことが一種芸術の崇高さや至上主義に含まれていた時代は終わりつつあるのかなぁ…と。

ただ、歌いたいこと、踊りたいことは「自然」なので方法の自然さと動機の自然は別ですね~。

では、未だに現場で実用問題として物議を醸しだす「方法」の方の「自然」問題は何なのか、整理しとこうと思います。

前編にあった

A「自然の法則に則らない」現象を不自然と言う。

=自然の法則に逆らわずに、声を含め身体や感情をつかって欲しいらしい。

B「目的に合わない非合理的、非生産的な方法」および「通常とは違っている」こと。

=目的に合っている方法を用いているかどうかが争点。

C 「技術を用いて意図して方法をつかっているのに、「自然現象」に類似した方法の選択が、まるで必然かのように感じさせる、または想像させること、

=そうとうな熟練や質を要することが多い。

さあ、自然との融合まであと一歩です。(^^♪

後編へ続く!

 

「自然に」の真意。-自然、その実体は…?前編

プロ、アマ、学生、年齢性別経験問わず、あちこちで聞く(私にとっては意味をなさない)フレーズ「自然に」。。。

かつて私もその周りも頻繁に根拠や定義を確認しないまま使っておりました。(恥)( ;∀;)「自然な感じで~」「自然にやりたいので~」「自然体で…」「自然でいることを~」「自然にできないの?」「もっと自然にさ~」

あ~!もうっ!自然、自然って、うるさい、なんやね~んっ!(笑)

あのね、わざと「不自然にやろ~うっと♪」なんて人(特殊な場面を除いて)おらんのです。

一般的な意味で、多くの人々が、そこそこ「自然」にやりたいとは願っている。しかしできんのです。できないから、こういうフレーズが頻出するのよ。(T_T)

で、まずは、

①一体、なにを目的とした「自然」なのか?そもそも「不自然」の反対という曖昧な印象でいいのか?

②おおよそ合意できそうな「自然」や「自然さ(らしさ)」の定義と根拠はなにか?

③「自然さ」なり、「自然らしさ」そのものは、方法としてどう扱えるか?その正体は何なのか?

あたりが気になる訳です。

私の長年の(?)研究による解答 A~C はこちら↓

演劇やダンス音楽等の芸術の実践における:

A「自然」の意味:他者からみて、また不特定多数の人々の基準を用いても、「不自然」であると解釈されるような「自然の法則に則らない」現象を用いていないこと。例えば「自然の法則である重力に逆らって」、無駄な緊張を入れて肩を持ち上げ続けたまま、日常の動作をし続けていて、その筋肉が、目的に合わない緊張状態がパフォーマンス中に長時間、または頻繁に、意図に反して繰り返される状態。

はい、たしかに「自然」ではありません。

B「自然」の役割:他者および不特定多数の人々から判断して、「目的に合わない非合理的および非生産的な方法」の査定とその評価基準を定めるため。また整合性や一貫性を証明するための一種のものさし。例えば、通常、何時間も人前で特定の声のトーンや強さや速度やリズムで発声していたにも関わらず、何らかの「意図」により、声色をつくるための「通常とは違った」発声方法で、「通常とは違った」声を出すこと。

はい、これは「不自然」と言われますね。その場合、イミは「いつもと違うじゃん」です。(笑)

C「自然」の目的は:他者にみられること、聞かれることを前提とした芸術において不可欠である稽古や訓練といったものによる技術のあとを減らすこと。意図しているのに意図を感じさせ過ぎない、一種「自然現象」に類似した感覚を引き起こせるかどうか、また意図的に選ばれている方法の連続にも関わらず、その選択がまるで必然的であるかのように感じさせる、または想像させること。

…かな~?と。

例えば、念入りに訓練および稽古を長時間長期間に渡って修得した技術を基に、ダンスや歌や芝居の作品に、実際は精密に方法を吟味し、綿密な計画に沿って「演出」しているにもかかわらず、あたかも「当たり前」で「偶然」かのように感じさせるような、技術の巧みさと表現が融合しているさま。

…かな~?と。

みなさん、いかがお考えですか?

本日はこれまで~。中編(?)へつづく。

 

*プロアマ及び用途は問わず、一部でもブログ内容を引用したい方は必ずご連絡くださいネ💙

 

 

 

 

軍曹ドリル I ー ウォームアップの例 ①

鬼軍曹です。(笑) ちなみに命名したのは同世代の演出家Kクン。さすが劇作家、絶妙ね。

先日も、秋というのに汗を拭きながらのウォームアップをしでかしたワタクシ。部屋は冷房入れておいたのにな~。

ウォームアップって「ウォーム」ですよ。急にアキレス腱のばしたり、突然ストレッチは危ないよっ!

…と叫んだのはセントラル演劇学校(修士課程)で同級生だったダンサーで振付家のレンちゃん♥ すでに優れたダンサーで振付家だったレンは、さらにダンスシアターを作って活躍するために、オランダからロンドンへ演劇の勉強に来ていたのだ。

さて…

はい、レンの言うとおり、「危ない」です。。

朝いちばんにあちこち勢いつけてストレッチしてる方、おやめくださいっ。(T_T)

もちろん関節を柔らかくしたり、神経系統を刺激したり、正しい筋肉のつかいかたをさせたいのですが、ストレッチはからだが温まってから。多少額に汗が出るくらいからでないと危ないです。

なので、まず、ちょいとスピードを変えてあちこち見ながら歩き回る+軽く駅へ急いで行く程度のジョグを10分程度いたしましょう。このあちこち「見ながら」ってのがポイント。決して、目をかためる練習をしてはなりませぬ。そして「軽く」急いで駅へ行く程度の気楽さでやることが大事。脱力しすぎず、適度に、そして首を固定したりしていない「機能的に有利なつかいかた」でそそくさと(笑)ウロウロしましょう。10分程度で十分です。ウォームアップで疲れてちゃ、ダメですからね。(^^;

次は私のお勧め。スイングなうごきの一つ

・両足を肩幅より広く開いて、仁王立ちになります。

・両足は床につけておいてOKなので、そこから、デンデン太鼓のワイルドバージョンのように、骨盤の向きを右へ、左へと交互に変えます。骨盤の向きが変わるので、ひねる動きが生まれます。その結果、腕がぶら~んとついてきます。

・骨盤の向きを変えた結果、ひねるうごきが起きるので、それにつられて、頭もついていって、右、左、右、左と、骨盤にちょっと遅れて、左右を交互に向くことになります。

・足首、膝、股関節、背中、首などを硬直させないでやってね。

・腕も硬直させてペンギンのように?整えるのではなく、重さをぶらさげておいて、胴体のうごきからつられてついていく感じに。

・重心は下げ気味で、安定した状態でやりましょ。が、バレエの2番ではありません。

・骨盤はニュートラルにね。いわゆるタックイン状態や反り腰はダメよ。

・結果、前(顔が向いている方)の膝がのびているとき、後ろの膝は曲がっており、その上に胴体と頭が乗っている状態になります。で、反対向きになって、同じく。

・リズミカルに体重を移動させながら、胴体全体をつかって繰り返すこと、数分でOKです。

・胸をひらくつもりで左右にひねりが生まれます。目は行った先をはっきりみてね。うつむきがちやぼんやり顔はやめましょう。顔も身体です。

意外に、キます。平和にやってください。

 

本日の軍曹ドリルI-①はここまでです。Chau~♪

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からだの「表情」ってなに?シーン発表 後編 「先輩、現る!」

先日、私の敬愛する素敵な先輩センセイをお迎えしました。私と同様にイギリスに留学され知り合ったご縁もあり、バレエや演劇が好きなこともあり、ときどき一緒にお仕事させてもらっては学ばせて頂いたり、愉快にお付き合いさせてもらってます…と先輩自慢はさておき…肝心の!!

シーンスタディーの続きを掘り掘り、掘り掘り…1作品、1シーンの冒頭1分程度を磨くのに、2時間かけてみましたっ!

うっ!(^^ゞ

な、長い…

でもね、こうやって、実際に、なにが、どうおかしいのか、どういう原因で、どんな関係性で、いろいろ素敵でないことや意図しない変なことが演技中に起こっているのかを具体的に分析して、「その場ですぐに『解決する方法』を身につける」こと、これが授業やクラスやWSやレッスンの醍醐味でもあります。あとはその原理を応用すればOKだから~♪

演技を磨きたかったら、さまざまなエクササイズやトレーニングを通じて、演技中の(自分の&他人の)問題点がみえるように、聞こえるようにならにゃ~、なりません。自分で気づけないものは基本的に変えられないよ、ま、だから教える側も学ぶ側も時々、苦しかったり、忍耐がいるのですが…(T_T) ははは。

という訳で、③フィリッパ・グレゴリー作「ブーリン家の姉妹」から。

スカーレット・ヨハンソンとナタリーポート・マンの姉妹役映画化されて話題にもなっていた、史実を基にした歴史大作。権謀術数渦巻くイギリス新興貴族たちの宮廷を舞台にした家族も親戚も巻き込んだ愛憎まみれる、生き方も性格も違う姉妹の紆余曲折の人生模様を通じて、人間の普遍的な姿や生きることのテーマや歴史のさまざまな側面を描き出す。

そんな作品なんだけど…

どういう訳か、メアリーとアンが友達同士!な身体だったダメな稽古期間を経て、今は…召使いとアンという謎な様子になってしまっている。。このシーンでそりゃ、ないよ、処刑前ならともかく…苦笑

本日はメアリーがアンに自分が結婚したこと、子どもを身ごもっていることを伝える場面。アンは夫の浮気疑惑でそれどころではない、流産もしているし…など差し迫った状況と長年の確執を抱えた面白いサスペンス&ドロドロ場面♪

なのに…まず…ん?!

あれ~?2人とも、歩き方からが変だぞ~?!(^^ゞ

どこからきて、どこに行き「たい」人なの???

アンがメアリーを宮廷から追放すると言い放ち、部屋から追い出すまでのシーンを一通りみたあと、ゲストで御呼びしていた素敵なティンカーベル先輩が、

先輩「…???…」

と私の方をみて、

Kaoru「こんなです。技術はさておき、なにがしたいのか、目的不明のうごき、内容不在のセリフがこんなに…さっぱりわからんのですよ(苦笑)、なにしたい人なのか、まず。そこから×。」

先輩「えっ?!…こ、これをどうしろと?かおるチャンっ?!」

Kaoru「はっきりさせたいのです(#^.^#)」

その後、しばしご歓談。(笑)

ヒヨコ俳優たちはただ話に聞きいる、少々緊張の面持ちで。(笑)

そして、

先輩「う~ん…あら~…(苦笑) まず、どこに行きたいの???…からだに『表情』がないよね。(^^;」

その後、私がシーン分析を質疑応答しつつ内容を解明しつつ、シーンの冒頭を1時間ほど掘る、掘る、掘る。

やっと俳優も役の人物が「やりたいこと」、「感じたいこと」、「避けたいこと」、「恐れていること」、「どうしても今すぐやり遂げなければならないこと」などが明らかになりました。ほっ。

素晴らしきティンカーベル先輩は、ちょいちょい俳優に質疑応答しつつ、私と会話しつつ、実際にからだのうごきをガイドしつつ~♪俳優が今のシーンを演じるのに役立たない変な無意識のうごきやクセやシーンの邪魔になっているワンパターンな反応を防ぎつつ、演技を始めるのに適切な身体のつかいかたの状態と意識の内容へ向かいます。そこから役の人物へ…2時間が経過。

まずは俳優自身が自分の実際の身体の様子をまあまあ現実的に、客観的に感じ取れるように。!(^^)! 硬めまくっていた(泣)胴体も解放して、不可思議な体重の移動や不自然すぎて誤解を招いていた反応のマンネリもやめて、このシーンの冒頭に相応しいうごきが2人ともできるようになりました。(*^^)v

ほっ。。。ここからスタートじゃっ!

他のヒヨコ達も、これに続けっ!

先日、シンガポールのクラーク・キーで絶品蟹ディナーを前に飛び立つKaoruの写真をつかってみました。!(^^)!

別記:ちなみに、映画版「ブーリン家の姉妹」の姉妹のお父さん役のマーク・ライアンスはイギリスを代表する舞台も映画も賞を総なめの歴史ある名優でもあります。かの有名なシェイクスピア・グローブ座の芸術監督でもありました。彼の「リチャード2世」は面白すぎて、3時間立ち見にも関わらず、感動!だったよ♪

 

 

「落ち着いて」って何のため?

「苦言」を呈する予感がしているKaoruです。意外に(?)マジメにアレクサンダー・テクニークの個人レッスンのご案内やらムーヴメントのグループクラスのお知らせなどを季節ごとに出している私ですが、そんなとき、直接でもメールでも、電話でもよく言われるのが(私には謎な)フレーズ。

「落ち着きましたら、ご連絡します。」「ちゃんとやりたいので落ち着いて通いたいです」「落ち着いたらレッスンお願いします。」

まぁ…(^^ゞ

みなさん日本語圏の方が多いので、やんわりとした断り方の見本として本に書いてあるんでしょうか?私、ずっと違和感を感じてます。みなさんが結果、参加をすべて断っている訳でもないので、私は「先延ばし作戦💙」の1つとして分類しています。(もちろん天災や事故及び手術や介護や引っ越しなどは除く)

あの~、率直に申し上げて…僭越ながら…

「レッスンに通い始めたり、レッスンへ行くために、落ち着く必要ありません!」

同じく、

「1年に数回、1回1週間程度のクラスに通うために、「『落ち着き』は要りません。」

むしろ…落ち着かないとできないって…どれだけ大変なことやろうとしてるの?笑

そして…

「今の状況や現時点での自分の能力に『落ち着き』感じてなくていいから!笑!」(T_T)

多少、興奮していても、浮かれていてもいいです。(笑)(^^♪

少々、迷っていても、悩んでいても、ごちゃごちゃしてても、不安でも、心配事あっても、他人に迷惑がかからなければOKです!

それらも含めて、レッスンに通うことやクラスに定期的にでることで、ライフスタイルも、生活習慣や思考の癖も変えていくことができます。それも学習です。

一般的な意味での「落ち着き」がない社会性の欠如は困りますが、自分のワンパターンな行動やお馴染みのやり方だけやりたいというような「落ち着き」は感じなくて良いんじゃないかな、と思います。

ちなみに、私のアレクサンダー・テクニークの最初の師匠のロビン・シモンズ氏は多才で素晴らしい情熱溢れる快活な先生でしたが(私と同い年の息子が前妻との間にいたにも関わらず?)まったく「落ち着き」がなかったデス。(笑)

テニスっ♪太極拳だ!アーチェリーもやる!引っ越しっ!ベアトリス(奥様)に花束だっ!観劇チケット!レストラン行く!卒業パーティーだぁ!合宿するっ!ギリシャでワークショップする!と毎週毎月騒いでいたあげく…スイスに移住していきましたとさ。ちゃん、ちゃん。

…その後も…ロビン師匠はアイルランドやギリシャやロンドンに、結局は飛び回っているという…で先日久しぶりにメールが来まして「やあ、かおる!元気?今、ボクは学会に来てるよ!スイスは、こーであーで…(中略)今ボク、こういう本出してさ~(中略)日本にも行っていい?」と。(笑)

『好奇心はすべてに勝る』のかもしれません。!(^^)!

 

 

あるある in グループクラス②

グループあるある② 謎の存在。「質問すること自体が目的になっている人」

確かにね、日本人は質問しないとか大人しすぎるとか自己主張が足りないとか言われて久しい21世紀。だからって…笑

ただ質問の時間に「発言」すれば良いってものでもな~い!(;´・ω・)

アレクサンダー・テクニークのWSやムーヴメントのグループクラスでも、はたまた通訳でどこかの大御所のクラスについたときも、とにかくグループの士気を下げ、半ば「KY」な空気を漂わせてしまうのが、質問そのものを目的とした質問。

(に聞こえてしまうような発言も含まれます 泣)

無意識かもしれませんが、おそらく「自分、ちゃんと参加してますよアピール」や「私、積極的です、真剣です」みたいな自意識過剰に近い感じがあるんでしょうね。

なので、質問の目的や意図がずれてしまっていても気づかない。もったいないです。

例えば、今の時点での「分からないこと」を聞かれているのに「感想」をたらたらと述べてしまう。自分の考えを言葉にして整理したいのは山々ですが、「質問」とは違いますよね?話初めに何を聞きたいのか、まず1~2行程度の文章をシュミレーションしてみると良いです。「今のエクササイズが実際の芝居にどうつながるのか、確認させてください。」とか(笑)「これを上達させるためには、他にはどんな方法がありますか?」とか。

日本語の文法の語順だと特に「質問するはずが…感想になっちゃった」。これが起きやすい。文章の終わりまでいかないと、終着点が定まらないことが多いので、考えながら話すとあちこち行きやすいんですよ…(^^ゞ

他に気を付けたい傾向は、「つぶやき」型。

率直や正直が良いからといって、ただ感じたがままを口にすると、

「…えっとぉ…すごくからだが軽くなった感じがして…ていうか、感じなんですけど…背筋が伸びたって言うか…あ、あと途中で、いつも首が痛いんですけど…それがあまり…なんか楽っていうか…昔、部活でケガして…それからなんですけど…地に足ついてるみたいな…で…さっき言ってたじゃないですか?…あの~…」

中略。。。

こ、これはっ!まさしく!

…「まるで日記!」キャーッ、赤面でございますっ!

…という訳で、

ワンポイント アドバイス:自分の文章の「構文」が「疑問文」またはその仲間の体になっているか、一瞬考えてから質問すると自分も周りも楽です。もしくは、最初に「質問したいことは○○です」と言ってしまうと良いですよ。お試しくださいね♪

Kaoru

 

 

 

 

シーンスタディー入門の発表会 中編

先日のシーン発表のご報告、続きです。

いや~ん!私の大学の先輩でもあるいつも朗らかなI先輩(演出家)が言葉に困り「いや~、なんて言っていいかな~」とこぼすほどのビックリ!が起きてしまっていた。。とほほ。

例えば②デュマ・フィス作「椿姫」

パリの社交界で栄華を極める美貌の娼婦、別名「椿姫」がお金持ちの旦那達ほどの資産はない未熟な青年アルマンに出会い、困難な状況のもと、懸命に愛し合うことで、さらに破局へと向かっていく、19世紀を代表する悲劇恋愛小説の名作の一つ!

なのに…な…

なんとも…うごきが日常のスケール。まるで現代東京のファミレスかコンビにいる人々の所作や視線と感情のうごき。。。(T_T)もっと想像力つかって練習すればいいのになぁ、残念。。。

そして、やはり聞いてみた。

Kaoru「これは…何についての作品なの?」

アルマン役「娼婦との恋愛です」

Kaoru「えっ?!…そうなの?!」

アルマン役「はい、で、ボクはお金が足りなくて、で彼女にはパトロンが居ていて…」

Kaoru「いや、うん、確かにそうなんだけど、それがテーマの作品?!作者は何が言いたいんだろう?おおよそ、どう思う?想像してみて?例えば、父親に反対されているし、でマルグリットは自分のカシミアやショールや馬車やダイヤを質に入れているけど…」

アルマン役「……」

娼婦との恋愛が主題なら、なぜ膨大な借金があり、しかも肺病を患っているマルグリットは、自分の財産売り払ってまで娼婦生活をやめ、田舎へ行こうとするのだろうか…?

とは考えないのかいっ?!(-_-;)

これまた表面的で悲しい分析なのでした、ち~ん。

椿姫にちなんで、某美女先生宅で、「マルガリータ様」をなでる図。

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自分の癖ってどんなかな?アレクサンダー・テクニーク in 大学

国際イベント参加のためシンガポールに行っていたKaoruです。

一週あいて、今年度から大学に新設された舞台表現学科の授業に行ってきました!

遠足の常連でもある「小江戸」でございますよ~、ああ世田谷区からは…遠いっ!(´;ω;`)

でもね、遠くても、新しくて、清潔で、充実した素晴らしい設備での授業は快適ですよ💙

同じく、ミュージカルコース、ダンスコース、演劇コースの大勢の学生はそれぞれ紆余曲折はあるんでしょうが、まあ、なんだかんだで楽しそうに元気にやっておりますよ。(#^.^#)

今、私がやっているのは、アレクサンダー・テクニークの伝統的な個人レッスンの手法に頼らずに、専門用語なしに、グループでアレクサンダーの原理がつかえるようにすること。フフフ。しかもうごきながら、ムーヴメントの課題にも取り組みながら、というお得なプログラム♪

今日はたくさん他人を細かく観察することから発展して、いろんな人の「つかい方」を真似てみよう!というチャレンジ!

自分の癖も、いったん自分のからだから離れて他人の手に渡って、距離をおいてみると面白いよね。思わぬところが固まっていたり、うっかり脱力しすぎていたり、意識しすぎて反対に硬直していたり、「自然」を目指しすぎて、結果、逆に不自然な動きになっていたり…。

善悪や良い悪い論ではなくて、実際に「事実」としてどう見えているのか、どう解釈され、どうなっているのか、という事。

良い悪いはさておき、まずはどうなってるかな、に興味がないとね。!(^^)!

この「自分がやっていること」と「自分がやっていると思っていること」の距離感が調節できると、演劇もミュージカルもダンスも良い意味で冷静なトレーニングができるし、無駄に悩むことも減るよね。

「え~!」とか「う~ん。。。」とか言いつつも、結局は真面目にやっちゃう可愛い学生たちなのでした。観察力も育ちつつあり、嬉しい限りです。

みんな~、今学期もこの調子でがんばってくれ~い!と陰ながら(?)応援する軍曹なのでした。

(今日はハンサムな学部チョー先輩にご指摘されたので、『鬼軍曹』キャラはマイルドにしてみました 笑)

Kaoru

 

ワタクシがかつて涙をして夜なべした(ホント)F.Mアレクサンダー著「自分のつかい方」初の日本語完全翻訳はこちらから。

http://www.bansei.co.jp/