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ランチに学ぶ- 演じることの本質「相手の立場に立つ」のリアリティー

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先日、某中華料理店に寄ったところ、根本を突いた応対に出くわしたKaoruです。

その場でこっそり、携帯にメモ入力しながら酸辣湯麺食べる私はアブナイ人に見えたに違いない….

お行儀悪い子!✖

さて、

その秀逸なやりとりが、こちら🐣↓

状況:

二人づれのお客さんがお店に入ってきました、明らかに食事のためといった様子。中年の娘さんらしく女性(以後娘さん)とその家族(おそらく父か叔父か)の老齢の男性(以後父)が着席します。

その中華料理店では普段はあまり配膳には出てこない風なおじさん(シェフ帽被ってるため以後シェフ)がメニュー、お手拭き、飲料水をテーブルに置きつつ、「決まったら呼んでください~」と言って去ります。

お店は8割がた埋まってますが、忙しいというほどではありません。

数分ののち、例のシェフがオーダーが決まった風な二人連れのテーブルに戻っていきます。

その時、なんとなくイヤな予感がした私です…。

娘さん「この『揚げ豆腐』っていうのは、どんなのですか?」

シェフ「豆腐を揚げたの」

❓❢😲

ここから、Kaoruのメモ取りがスタートです!

えええ!まさかの~💦地元では長く愛されているはずの老舗ではあってはいけないだろう会話!

よっぽど美味しいランチを食べたかったのか、常連と言うほどではないにしても、ローカルであろう娘さんは挫けなかった(笑)

ここからが恐怖である。

娘さん「ん~これは~……..どんな料理ですか?」

シェフ「豆腐を揚げてますっ、厚揚げを。」

言い切るおじさんシェフ。

❓😲

もう~、漫才かと!

しかし、ドン引く隣のテーブル、そしてその隣の聞き耳立てるKaoru….怪しい雰囲気が広がります。

ものすご~くモノトーンな言い回しで💦

娘さん「…………………じゃあ、このセットとこのランチのセットで、お願いします」

シェフ「はい」

🐤🐤🐥

私は….はやく食べ終わってお店を後にしたかった…….

この後、⚡雷が落ちるであろう予感がしたから…………

ウエイトレス含め、お店側の人達がキッチンやお会計に出払ったところで

娘さん「味を聞いてるんだよ!」

父「….(無言)…」

娘さん「醤油とか塩とかぁ、辛いのかとかさ~」

父「……………………….(終始無言を貫く姿勢らしい)」

娘さん「豆腐を揚げてることくらい分かってんだよ、そんなの」

そうです。

(おそらく)お店中のお客さんが同じことを思いました。

名前が「揚げ豆腐」なら、国語(日本語)に問題がなければ、豆腐を揚げたものであることは一目瞭然。

そうです、もしこれまで食べたことがなくても、漢字の性質上、子どもでも分かる名前だろう。

しかしお店側の発想(視点)は断固として、調理する側の立場から「豆腐をどうしたか」に終始しただけだった。

そうです。

ここはレストラン。(=二人がいたところは台所ではないのだ)

豆腐を前日に何かにつけていたとか、さいの目に切ったとか、先に湯通ししたなど….、

それらのことは調理する側の発想であり、興味の対象であり、行動である。

お客さんたちはもう店内に入っているのですから、「味」が最も気になるのは普通ではないでしょうか。(もちろん入店前であれば衛生や立地、利便性やお値段や評判も気になるでしょう)

しかし

シェフおじさんは頑固に自身の調理する側である立場から離れなかった。

お客さんはこれから「食事」をしようとしているのであって

「料理」をしようとしているのではないのだ!

例えば、ランチといえば、昨夜や朝のメニュー、果ては今晩のメニューともできれば被りたくないものだ(好物でなければ)

誰しも「自分が誰であるか」はこちろん大事だが、それと同様に大事なのが

相手は誰で=お客さん=食べる側の人=味わう人(料理する人、仕込む人、メニュー考える人、片付ける人じゃない)

ここはどこで=レストランの客席=味わうところ、食事するところ、人が来るところ=台所じゃない、裏の仕込みキッチンではない、 etc….

今はいつで=朝と夜の間でお昼時=食事の時間、ランチメニューが人気な時間帯=料理や仕込みをする時間ではない

そして、現実を形作っていくのは、

それぞれの人物の目的はなにか

です。

①自分(料理人、お店側、料理の提供側)例:美味しい自分の料理を食べて喜んでもらいたい、得意な料理で報酬をもらって生活したい、食材を食事に調理して売りたい…..etc….

②お客さん(食べる側、作らない側)例:自分で準備せず料理を食べたい、自分で買い物しないで今すぐ食べたい、自分で作れないものを食べたい、(相手と)自分が好きなものを食べたい、お金で食材ではなく食事を買いたい……etc…..

ということは、

みえるもの(気になる対象)も違う、

聞こえるもの(聞こうとしている内容)も違う

考えている内容も順番も違う

感じている感覚も違う(お腹が空いているか、早く終わらせたいか、嬉しいか、楽しみか、もううんざりなのか、飽きているのか)

=使う言葉も、ともなう感覚も当然、違う

したがって、上の事実が了解できておらず、お互いのことが想像できてないと(記憶にもないと)、

会話、不全!

😿

どちら側がいいとも悪いとも思いませんが、残念な結果でございました。

娘さんが「どんな味付けなんですか?」と言葉を選んで丁寧に聞いたって良かったが、それを言うならお店の人も「豆板醤で辛いソースだよ」とか「豆鼓醤を使ってます」とか(私の好み💓)言っても良かった。

お互いにつまらないこと、意味なく不快な時間を作った。

そして周囲がハラハラし、ちょっと不快になり、私にネタを提供した、ことも確か (笑)

リアリティー(現実感)というものは、

同じ事柄でも相手の立場からも想像し感じ、自分以外の人の視点からも多角的に想像し考え、実際に自分の言動を調節するという行動だろう。

だから、日常のよくあるやりとりではあったが、上の会話(とは呼び難いが)には

「リアリティーがなかった」

と思う。

ありふれた、日常生活で確率的にも多い、親しみの持てる、簡略で凡庸な(誤解)会話ではあったが、

「相手不在だった」

=リアリティーがなかった

🐈🐈🐈

本日のおすすめは名優のこちら。私の師匠の永遠の(?)ライバルでもある今も現役🌟の日本を代表する大御所俳優

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