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課題・お悩みを減らすには②量について

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初めてのオーストラリア、今年の修行先はヨーロピアンな街並みが嬉しい冬のメルボルンからお送りいたします~

前回は①「行動の質がイマイチ」でしたね😊

②「行動の量が足りない」を掘り下げたいと思います。

一般的にはマルコム・グラッドウェルの説、『1万時間の法則』が知られていると思いマス。(知らない人、OUTLIERS(邦題:天才!成功する人々の法則)を読んでね)

本日はそこではなく、それは前提として考えるとして、意味を考えたいと思います~

5月病の名残りもチラホラな6月末(苦笑)、例えば…

・好きで始めたのに、稽古が楽しくない、嬉しくない、稽古場に行くのが苦痛、

・現場(とアルバイト)で精一杯、現場で学ばせてもらってる、現場がないと何をしていいか分からない、

・自分一人で準備することが苦手、どこから手をつけたらいいか実は分からない、年々オーディションに受かり難くなっている気がする……

これ、大学生や養成所生に限らず、プロやセミプロ、果ては(実は)中堅からもよく聞きますけど…

なんだか変!

ではないかしら?

というのも、

現場は確かにありがたく学べることが(反面教師含めても)たくさんありますが、まあ、生きていれば、それなりにありますよね

意識や解釈、こちら側の意味づけの問題ではありますが、

現場はねえ、

あなたの学びのために存在してないのよ!

「現場でみなさんから たくさん学ばせてもらっています」

と可愛く言うと、20代なら謙虚に聞こえます、そしてきっとホントなんだろうし、許せますけど💦

じゃあ、お客様はあなたの学習時間にお金を払っているのかい?!😡

先輩や後輩、スタッフの皆様は、あなたのお勉強、技能習得や練習に付き合っているとでも?!

思わずこうツッコんでしまうことはないですか…?

私はあります。。

すまんのう。。

でもさ、

なんか変でしょ?そんなことない?

だって、プロスポーツや第一線のダンス公演、プロの音楽の世界でそんな言い回し、あまり聞かないのよね~💦

輝かしいハリウッドスター達にも世界の名優たちにも、身体のつかい方や動き、呼吸から声、発声発音の、そして演技のコーチもいるのです。それだけ一人だけで学べることは少ないのです。

だから、

自分一人で悩まなくてOKです。

「やりかた」や「切り口」をいくつかモノにして、より人間らしく俳優、歌手、パフォーマーとして「使える道具」を増やしましょう。

そのために書籍があり、演劇学校があり、大学(実技有りなら)があり、養成所があり、さまざまなレッスンやクラスに通える場所があり(ありますよ、日本でも)、20年、30年前に比べてクラスや学校情報自体も取り寄せやすくなりました。

今の時代、はっきりいって、やろうと思えば、自分次第でいろいろな組み合わせでも、そして海外からもあちこちで毎月誰かが招聘されてきていたり、優秀な方々が活躍してかつ情報発信してくれているので、自在な学習が個々の事情に応じて続けやすくなりました。

あ、ついでに宣伝?しておくと、私もセントラル演劇学校の修士課程終わって以来、細々とではありますが、プロの俳優のブラッシュアップのクラス、いろいろなレベルの方のための、各種クラス、季節ごとの学生も参加可なクラス、アレクサンダー・テクニークの個人レッスンだけでなく、オーディション対策講座やモノローグ道場(笑)、いろんな種類と目的に合わせたレベルの学習の場を続けております。(個人的に相談したい方はメールかメッセージください)

さておき、

「現場で」仕事内容に夢中になってOKな態度で臨むためにも、

「現場で」これまで学んできたスキルをつかって、経験を活かして、いろいろな要素を組み合わせて、楽しめて、他人と協力しやすくいるためにも、

そして、

「現場で」健やかな状態で「総合的な能力発揮を」するためにも、

学習、日ごろからしておきたい。

練習、自分でできることは自分で、仲間や同志、友達とできるものは彼らと、

やっておいてもらいたい。

変ですかね?そう思うのは?

だって、

例えば演出家は、

いわゆる「先生」やコーチや指導者ではないんですよ?(演出家になるための勉強と内容も違いマスし)

例えば監督は、

もちろん人生の先輩として、別の角度から同胞として、いろいろなアドバイスや提案はできますけど…..

それ、

学んできた相手(俳優・歌手など)、今も積極的に学んでいる相手にやりたいよね。。たぶん。前向きなら。真剣なら。ナルシストでないなら。ほんとの意味で謙虚なら。

演出家は第一に演出したい。演出を仕事としている、(おそらく)演出を学んできている。「演出」のためにそこ(現場)にいるのだ。

監督は監督したい。そう、監督するために呼ばれている(来ている)のだよ?

例えば、極端な話、

俳優のあなたが、セリフを覚えるのに付き合うために演出家はそこにいません。

台本の意味を一緒に考えたって構わないけど、自分で読んで来てなくて、国語の意味もあやふやで、自分の感性や感覚、自分の解釈や意味づけも提案しない俳優と、

何を(何の?)話せよ、と???

演出のために呼ばれている演出家、衣装デザインのためにそこにいるデザイナー、監督するために現場にいる監督、制作のための制作さん….

じゃあ、

あなた、誰?!

苦笑

🐈🐈🐈

結論「ひとは、長い時間やっているものに、なる」

と言い切ったのがうちの師匠たち(アレクサンダーのロビン師匠もムーヴメントのヷネッサ師匠も俳優指導の何名もの師匠ズも、そしてダンスの師匠ズも)

もちろん例外もあるでしょうが(災害や病、一次的なライフスタイルの変化など)、学ぶって楽しいし、本来は好奇心や変化への喜びもあったはず。

学校の「お勉強」とは違いマスしね、きっと。

「もっとできるはずの自分」、「もっと愉快に過ごせる自分」のためにやる、んですよ、最終的には。

🐕🐕🐕🐕

本日のご紹介は古典的名著!天才(というかやはり長い時間やっているものになったというだけの?笑)スタニスラフスキーのお話。このバージョンが私は好きですよ~

難しい内容ではないので、自伝などを合わせつつ、参考にしてみてはいかがでしょうか?

時代や文化背景が違っていても、根本を見直すきっかけになること間違いナシ♬

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