演技のカラクリ:①自然な反応の仕組み

戯曲読解の回に、何回もしつこく(!)

① まず「事実」に基づいて台本を読む(ただの妄想や希望的観測や印象でなく!)、

② 事実と事実から想像できることを分ける(事実はセリフではなく、行動だ!)

③ その後、戯曲構造に矛盾しないよう戯曲に書かれている因果関係などを分析する、

と書いてきました。

で、その先はというと、

④ 役の人物の感覚、生活、行動の事実を捉え、そのあとに身体化、視覚化、具現化し、さらに膨らませよ!

というのが概要なんですが (^-^;

リクエストに応じまして(笑)サービス♥

本日はその先の演技の実際のお話を紹介しておきますネ。

演じるときの「事実」=役の人物が実際にやっていること(行動)をどう演じるためにつかったらいいの?という役の人物の「反応」のお話です💙

役の人物も私たち人間たちと同じように、世界は違えど(笑)いろいろな時間に、いろいろな場所で、さまざまな人間関係の中で、みて、きいて、感じて、考えて、交流して、行動しています。変化しているのだ。この「変化」が肝、大事。

その「みて」、「きいて」、「感じて」、「考えて」、「交流する」+「行動する」というのは、実際には(究極的には存在しえない)「事実(現実)に対して」ではなく、役の人物自身のいわゆる「内面世界・内的状態」を通しての「反応」です。

確かに、目の前で起きていること、みえているもの、きこえているものに対しての「反応」なんですが、反応が「どのように」(無意識でも意識的でも)選ばれて出てくるのかについては、内面からなんですね。そして、この反応の連続が役の人物の「変化」です。ついでに言うと劇の場合、たいてい何らかの「イベント」(出来事)が直接のきっかけになっています。(がその前に間接的な理由は多数あります)

そう、実際に生きている私たちとそこも同じなのです。

*戯曲の人物だからといって「美化」されないよ💦そこ、要注意。(^^ゞ

自分たちと同じように、

今はいつで、ここはどこで、

自分は誰で、そして誰と?いま誰に向かって?

何を?何のために?どんな風に?

過去の記憶と比べて、どうなの?

どんな気持ち?感情は?どんな考え?思考は?

心の、頭の奥底には何がある???欲求、願望、願い、恐れ、超目的……..

そ、そ。そうなのデス。😊

役の人物の彼/彼女自身の生い立ちや環境に由来する「信条」とか、

その時代や文化風習、教育や家庭内での役割や職業が故の「行動様式」やいろいろな行動の「優先順位」、行動の「価値基準」、

役の人物にだってある「偏見」や「感情のクセ」……

役の人物だって、完璧な人間じゃないんだ!😊 笑

役作りとかキャラクターと言うと、すぐ1人の人物像を「固定」してこれだ!と「保持」したがるヒトいるけど、そういう演技ってステレオタイプ。嘘で、浅く、一面的で幼稚、とにかくつまらない。(なんか人間をバカにしている感じなんですよぅ。)

何より、実際の人間の仕組みを反映していないよね。

実際の人間の「仕組み」を通して「演じる」と上手くいきます。

それが「自然」ってヤツ☆😉

簡略化すると、

刺激は「外」から来るけど、

反応は「内」から来る、

という仕組み。

だから「原因」は内にあって、外は「結果」なのだ。(哲学的には鶏と卵ですが^^;)分かったかな?そのため、逆をやっちゃうと失敗するよ、意味分かるカナ?

例えば…

初対面の人にあったとき、(勝手に)まだ特に話も深くしていないのに、なんとなく「このひと、いいな♡」とか「信用できそうだな」って思っちゃうことあるけど(笑)それは、現実世界での状況もあるけど、何より、自分が今、「あ、幼稚園の時の●●先生に似てる♪」と無意識に投影を始めていたり、(たまたま)相手が似たような趣味の服を着ていることで、同じようなグループ意識に「属している」と判断したり、その服の色や形から昨日みた映画のシーンや先週みた広告を思い出して、(自動的に)連想したり…….こうやって、イメージが出来上がっていっているのよねぇ。。で、自分の中で思い出している「記憶」からのイメージや想像に対して感じていることが「感覚」とざっくり呼ばれているのだ。

そう、直接、物質や相手や環境から感じているものではないのだ

「投影した」のも、「属していると判断した」のも、「イメージして連想」したのも張本人。そして刺激されて起きてきた「記憶」も本人のもの

=「解釈」という一種の手間がかかっているのだよ。(ほぼ無意識、習慣的なモノですが)

だから、

まるで自分の内からすべてのイメージや感覚が湧き上がってきているような「感覚」がするけれども、それは中継している感覚器官(目・耳・鼻など)が自分の身体だからであって、実際には、相手の服の色や形や相手の声や匂いなどの「刺激」は自分(俳優/キャラクター)の外から来ているのだ。

したがって、

ただ、舞台上(稽古場)にあるものを客観的な事実としてフツ―に「みて」、「きいて」、俳優自身が状況を「感じて」、ストーリーを「想像して」るだけだと…….

….

ただの「観察」

になります。

いや、ホント、文字にすると笑ってしまいますが、ホントです。いるよね、舞台上でウロウロして、ただなにかを見てるらしきヒト。。。

観察、してちゃイケない。ダメ、絶対!😡

それ、「傍観者」デス、「当事者」になってない!

さあ♪ただ「観察」してないで、「反応」しましょう。

前述の、刺激と反応の仕組みを思い出して(↑)、反応すればいいんです。

カンタン!

そう、勘の良い方々はもうお分かりですね。

「投影した」、「想像した、連想した、イメージした」、「思い出した」

の部分を

「役の人物(キャラクター)」を反映して、自分の「感覚器官を通じて」、

人間の仕組みを省かずにやればいいんだよ。😊

目の前で起きていること、みえているもの、きこえているものに対しての「反応」が俳優のままだと「自意識問題」も手伝って、苦しく難しいものなり易いです。俳優がただ「観察」しちゃってると、『個人的な感覚体験を伴ったもの』にならないです。(T_T)

反応が「どのように」選ばれて出てくるのかについては、内面からです。

そう、実際に生きている私たちとそこも同じなのです。

本日はここまででいかがでしょう?

とりあえずこの「刺激は外から、反応は内から」を整理整頓してちょーだい。

まずは自分が普段どうしているのかな、の分析がおススメ。

皆様、良い週末を~、ば~い✋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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