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国語の読解と台本/セリフは何が違う?

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低空飛行、それでも演劇、舞台芸術、はては俳優養成とプロのブラッシュアップは休まない!(笑)

先日の4夜間のズバリ!クラスもありがたく無事に終了いたしました。ご参加のみなさまお疲れ様でした。そしてちょいと今、不自由な私のために運転してくださったJちゃんもありがとうございました。

それにしても…….

最終日、久しぶりに残業したわ!

演技を考えるにあたって、究極的には

「私たちが日常(無意識でも)やっていることは、『役の人物もやっている』」

……と思えば、いろんなことがクリアになりますよ~

国語は基礎ですし、前提でもあり、もちろん便利で必須なのですが、

国語=一般的、観念、利便性のため、共通認識、

であるが故に

「あるある」になりがちです。

そう、ちょっと「ヤジ馬っぽい」

安全な距離をとったままセリフをいれて、稽古場へ

…ですと、意見のない、感情の動かない、

「どうみえるか」「どうきこえるか」

を意識しすぎたスタートを切ってしまいます💦

そしてちょいと単純化しすぎたり、客観的すぎたり、説明が混じったりしてしまいがち。

ということは、

社会通念や「信じたいこと」、(善くも悪くも)特定の倫理観から「断罪」してしまう可能性も高いんですよね。

個人的というより、平均的。

一人称ではなく、「あるある」

これだと、やはりセリフもト書きもただの言い換えや国語的な解釈の域で終わっちゃう

🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈

一方、本題の台本/戯曲読解は、

セリフやト書きを「国語の意味」からの「言い換え」ではなく

自分が(ほぼ無意識のうちに)普段やっていることの連続。

例えば、

①何をみたから、何をきいたから(刺激→感覚器官/感情)

②どう感じて、(感覚器官⇔記憶や連想)

③どう思った(感覚器官⇔感情/思考)

がゆえに、

④どの行動を選択したのか(応答)、

⑤そして実行したのか(身体化、運動化)

ですね。

その過程で、

私たちはどうみえているか、どう聞こえているか、を先に用意してなぞろうとしていないです

これ、重要。

ということは、

『意味づけ』=個人的、主観の世界、目的、方法、そして状況に対する応答次第….

面白い♬

もっと演技を極めたい方、世界スタンダードの健全で長年つかえる本物のスキルアップをしたい方、ぜひ各種レッスンやクラスへどうぞ♪

さて、本日のおススメコーナーは、

小学生の私に衝撃的だった名作品

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オペラにもなっていますよね。そのオペラ版の上演台本がうちにあって、びっくりして面白くて(生意気な子どもです)、父の部屋で読みながら

「これは、どういう舞台?」(@_@)

「これがオペラ?歌?どんな人達がやるの?!」😲

とあまりにも不思議だった第一印象。

そしてのちに、まさか自分も演劇するとは~💦

普遍的なテーマ、ユーモア、それをオペラにしちゃうところが痛快でした。

 

 

 

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