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「自然にやろう」を目指すと…

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よくない演技、ダメなパターンとしてよく挙げられるのが

「自然でない」「不自然」「なんか違う」(苦笑)

のような、

「自然」に起きているようにみえない、本物のように聞こえないという『苦情』

そう、かくいううちのオカンも常々

「も~、日本のドラマは白々しいのよっ😡」
「あ~、ウソっぽ~い😠」

と不満をもらして、早ウン十年。(みなきゃ、いいのに…)

爆笑!

さておき、

そんな素人のオカンの訴えにも一理あり

何が、

白々しいの素で、
ウソっさの原因で、

不自然なんでしょうか?

🐣🐣🐣

ちょっと考えてみましょう

確かに、「現実は小説より奇なり」でもありますので、

日常生活でいろいろなことが(それなりに)、ひとそれぞれに(いろんなレベルや質で)起きているとは思います

が!!!

例えば、😲びっくり事件が起きたとき!

「よし!自然にやろう」

って思ってないですよね?

自分が当事者で渦中にいるとき、

誰が出て行ったとか、お亡くなりになったとか、転勤になったとか、誰かと誰かがどうこうなったとか(笑)、急に誰かが訪ねてくるとか、天災だの、嬉しいニュースだの、急な告白やら….

事件=問題解決

に向かっているとき、

「自分は白々しくなっているだろうか?」
「これは自然かな?」
「ウソっぽく見えてないかな?」

な~んて、誰も未だかつて、考えてなんかいない!

ですよね!笑 (嘘ついている場合は別です💦)

したがって、

俳優(歌手/ダンサー/演じて側)が

「自然にやろう」
「クサくないようにやろう」
「日常通りにやらねば!」
「いつもの風情でやりたい」

と願っても、

実際はそんなこと誰も意識してないから、

事実と違っているので、

逆に「不自然!」「白々しい」「ウソっぽい」「なんか強調してる」

というような残念な結果になるのです。

OK?

😊😊😊

あと2つ!

弊害があって💦

①「自然」を目指すと俳優(演じて)の既知の範囲を使いやすい=クセ出し易い

②「自然」止まり、すなわち「はっきりとした」不特定多数の他人に通じる、正体の明らかな(+テーマや意見や主張やコンセプトに沿った)、提示にはならない

ってこと。

分かってきましたかね?

自然であることを目的に設定できないのです。

ついでに今、ラバンのエフォートの入門クラス絶賛開催中!なので、参考までに書いておくと、

「トレーニングは自然ではない」

です。

負荷かけるし、

慣れないことやるし、

意図して、動くし、声つかうので、

そして新しい考え方、新しい感覚へ向かうので、

「習慣の延長でできるようなものは、トレーニングではないです」

スポーツやダンス、楽器演奏や語学の習得で考えてみてください。

そうです。

「自然な(日常の安心な)習慣に近い感覚を味わっているうちは、能力を『ストレッチ』(伸ばす)することはできないのです」

逆に言えば、

(ケガや病気にならない範囲で安全に)順序立てて、

慣れない感覚でも、あまり気に病まず、

楽しむつもりで、意識的に、繰り返せる形で、

注意力もつかいながら、自分にとっての印象や慣れているかにこだわらず

取り組めばいいのだ♪

本日は何を隠そう!私が最初に取り組んだ記念すべき?名作!

じゃじゃ~ん!サルトルの「トロイアの女たち」でございます。こんな新しい翻訳が出たようです、いいな~💛 これを高校生への課題に選んだ師匠はすごいですね💦

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名作には「自然」とは思えないほど、私たちの日常や既知の範囲を越えた、豊かな世界、力強い人間たちの生き様、人間のさまざまな様子が描かれています。「自然」の摂理にはしたがっていて、「自然」の法則にのとって「人間らしく」いる者たちのドラマ。

お楽しみください~

 

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「自然」から来たとは思えない、メルボルン動物園の営業部長の写真を添付しました😊

 

 

 

 

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