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台本を活かすには①感じるために考える

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演劇歴30年越え、久しぶりに先輩に再会した演技コーチ鍬田かおる です

色々な方のご紹介あって、先日、10年か15年以上ぶりでしょうか、かつて大変お世話になっていた演劇教室の大先輩に再開することができました

つきない演劇談義、たくさんあったので、また近々お願いします

それにしても、記憶というのは不思議なもので、自分の良いように解釈していたのか、それとも当時から見たいものだけを見ていたのか、改めて当事者と事実を確認してみると、全然違うことってあるんですね

もちろんユーモラスな内容なら良いのですが、自戒も込めて、やはり当事者に直接確認することの大切さを実感しました

さて、本日のお話は、前回の台本の読解と重なる部分です

小説を読んだり、はたまた、仕事のために台本を渡されたり、それこそ音楽や他人の言葉を聴いていて、

私たちの(論理的)思考や想像力、刺激を受けている間、私たちはどんなふうに複合的に影響しあう、無意識で行われている連想や、身体の状態などを把握し、理解しているでしょうか

 

台本の読解について、監督や演出家から

「台本が読めてない」

「読みが浅い」

「中身がない」

 

などとお小言を頂戴する時、最終的に察すると、文章の意味をわかっているとか、国語力が高いとかそういうことを指摘されているのではなく、

「演じるのに必要な準備が、台本読むことを通じてなされていない」

と言う意味のように訳せます

本格的に(笑)文法の話をされる事はプロの現場では無いでしょうし、各種学生の場合や見習いの方でも、それはもはや台本以前の問題です

そう、実際に問題とされているのは

「すでに(他人によって)『書かれている』文章から、『書かれていない』ことを想像し、実現し得るまたは想像上、可能な展開や事の事情やいきさつを、ありありと自分事のように想像してみて、実際にみて、きき、行動をしてみせることなのです」

 

な、ながくて、ごめんね。

 

そうなんです、台本が読めてないと言うのは、実際の国語の読解力の問題ももちろんあるのですが、それ以上に、書かれていないことをいかに書かれていることから想像すると言う、まるでジャズミュージシャンのような作業ですね

マイルス・デイビス、ありがとう

 

さて

演出や監督が常に気を揉み、スタッフが悩み、そして名優たちの多くがどうも毎回自然とやっているように感じられる深く、内容のある、意味が何重にもなった、俳優としての仕事をまっとうするための読解…

それは

「感じるために、考える」

につきると思います

通常私たちは、(詳しい方に裏付けをとりたい位なのですが)感じないように考える仕組みを持っています

心理的に傷つかないためであったり、問題を先延ばししたり、それこそ、自分にとって都合の悪い事から目をそらすためであったりもします

自然な心の働きなのでしょうが、横にして「薬と言う他人のために傷つく」を含む演じる仕事の方々は、この極めて本能的な傾向に悩まされるわけです

だからあえて「感じるために」考える

と言うちょっと間接的なルートが必要になります

例えば、

役の人物が質屋さんに、自分が大事にしていた家族の大切な遺品の1つを持っていくのですが、その個人的な事情のいきさつ一つ一つを、慈み、悲しみ、ときには恨めしく思い、そして愛し、嫉妬しながらも、引き裂かれる思いを抱えながらも、表面上は歩いて道を開けて、包みを取り出す

と言うよりも

何か事情があって、非常に困っている様子で、どこかうしろぐらく、辛そうな面持ちで、仕方なしにしぶしぶ包みを出す

位の方が、心身ともに消耗や負担が軽くはないですか?

そうです、本能的に、私たちは、感情を動かし、疲れ、カロリーを消費し、つまり命を燃やし続けるようなことをしないものです

 

これが、私がしつこく10何年以上も言っている、
「本能的に、かつただ自然になんて、演じることができない」ゆえんです

ついつい、それこそ『本能的』に、感じないように考えてしまうんです! あああ!

 

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