いよいよ年末でですね、絶賛クラス開催中のコーチ、かおるです
みなさん熱心な方ばかりで、私もやりがいがあって、とてもうれしいです。
さて、そんな一生懸命な方々ばかりにもかかわらず、どうしても見えてしまうのが残念なバラバラ事件。
「身体がやっていること(呼吸含む)」と
「そこから出てきているはずの声」と
「その声を使ってのセリフ」
があまりにも乖離している、生理的に矛盾している件です。
しかもこれ、表面上はとても器用に、何十年も様々なジャンルで活躍していたり、得意なキャラクターや重宝される役回りで仕事があったりするから難しい。
と言うのも、一見うまく行っている風なとき、
なかなか自分では、
「生理的にあまりにも矛盾している」
「どう考えても、これは不自然である」
「自分が行き詰まっているのは、ここではないか」などと立ち止まる事は難しいからです。
なぜって、
他人はそこまでじっくり見ていなかったり、結果だけを享受し(例えば演出、お客様)、そのプロセスにはあまり興味を持たない方だってもちろんいるからです。
なんとなくの違和感や、退屈さ、それこそ身体的な窮屈さすら慣れてしまい、繰り返すことで自分の1部になってしまうんですよね
1種、徐々に強化していった癖みたいなものです。
例えば、体を固めていて、十分に周りの環境や相手からも刺激を受け取ってないのに、いかにも受け取ったかのようなふりをして、呼吸も変わっていないのに、怖い色を作ってしまう
日常の自分の防衛のパターン(筋肉の緊張、固める癖)を維持したまま、演技に入ってしまい、ブレーキをかけながらアクセルをかけるようなことになってしまい、動きがぎこちなくなってしまう
身体の筋肉の緊張の弛緩や、それこそ動きが特にないのに呼吸が変わらないからと言って、自分でわざとぜいぜい口呼吸してしまう、だからこそ、次のセリフが不自然になるわけで…
枚挙に暇がありません。
そうなんです。
「自分が想像力をたくましくして、ドラマの状況でよく見て聞いて、相手と関わり合った時」
身体は影響受けるはずです。
影響受けないようにしているのだとしたら、それを外せば良い。ただ問題は影響受けないようにしていることに気づいていない場合、ありますよね。日常の癖ともいえます。
また、
身体が変化するから、呼吸が変わるのも当然です。
こうやって文字に書くとあまりにも当たり前ですが、
例えば、興奮や緊張、それこそ役の「〜したい」と言う欲求や願望が身体を通じて理解できてきたときに、身体は変わろうとしているのに、それを無視してしまうくせ。
身体が変わったのに呼吸を変わることを許さなければ、息苦しく、深い感情と結びつくことも難しく、またただでさえ雄弁にしゃべりづらいはずのドラマの設定と矛盾してペラペラ技術的にしゃべるか、もしくは喋りづらいのをわざと作ってしまう。
本末転倒です。
身体が影響受けて変化するのを認めつつ、
相手の働きかけも止めず、
だからこそこ呼吸も変わっていき
この1連の変化によって、自分のセリフももちろん影響受けていく…
だから面白いと言えます。
そうなんです、変化が面白い。
自分自身も、自分の思わぬ面に気づき、また意外な意味を発見したり、不思議なところで、それこそ「訳」に使えそうな気持ちが見つかったり…
いいじゃないですか!
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演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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