ゴールデンウィークはリフレッシュしたにもかかわらず、積読と観るものリストが増え続けている演技コーチの鍬田かおるです。
なぜなんだろう…
さて、最近は、対面でのオーディションも増えてきた印象があります。みなさんの周りはいかがですか?
書類審査は、もちろん、対面での演技の課題や歌唱、それこそ、何らかのダンスであったり、場合によっては必要とされるアクションなどの特殊技能や特技なども披露する場面もあると思います。
私も、かつて、小学生の頃、お相手のプロダクションが要求している小学生蔵から大分外れた様子でオーディションに参加し(今思えば全くイメージが違う。)、
その上、審査員たちの期待していたであろう、素人にも非常にわかりやすい、子供らしくかつ親しみを感じる明るい曲ではなく、その時の習い事としてのピアノの課題曲だったお固めの激しい曲を披露してしまった苦い記憶があります。
本当に、配慮も、プロの対策もなにも足りませんでした。
マネージャーが社長も一生懸命やっていてくれたのに、他にもオーディション….いつも…申し訳なかったです。
さて、本題。
そもそも、オーディションて、今だから振り返りますが…
ちょっと「不自然」じゃないですか?
笑!
もともと知り合いではない場合も多く、ともすると、書類を見るのも初めて。
知らない方同士が、なんとか相手を探そうとしあっている….
募集する側も、(大人の事情以外では)周囲にいないと感じ、決断したからこそ、多くの場合はオーディションを開催するのだろうと思います。
よく言われる
「新しい才能に出会いたい」
「幅広く役に合う人を募集したい」
「日頃、私たちの活動をしている人たちの中で、適任の方を」
と言うポジティブな動機で、お忙しい中、ことあるごとにオーディションを開催している方も多く、本当に頭が下がります。
一方、
「私が気になっている演出家や監督の作品になんとしても出たい」
「私に合った役を見つけたい、これでブレイクしたい」
「とにかく現場に出て、仕事がしたい、役が欲しい、セリフが欲しい」
など、日ごろから多方面で努力されている方も本当に大変だなと思います。
そうなんです…
なんだかこれ、似ているものが身近にないですか?
そうです。
ちょっと例えがズレていると感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、あえてわかりやすく、簡略化しますと
「マッチング」
なんですね。
私の職業柄から、俳優や歌手の方側からの説明を優先すると、オーディションに受からなかった、キャスティングされながらだからと言って、全てが終わりではないと言うことです。
反対に、オーディションに受かった、キャスティングされたからといって、全てを認められているわけでも、今のままで良いわけでもないのです。
真面目で思い詰めてしまっているのか、コミュニティーがとても狭いのか、オーディションに落ちる確率の方がどう考えても、社会通念上はどうしても多いのに、連続して4.5.回落ちると、
「私の演技力が悪いんだ」
「私の何がいけないんだろう?」
「こんなに努力してるのに、私の演技(や歌唱や表現いろいろ)が認められないんだ。認めてもらわねば!」
と激しく、憤ったり、絶望してしまう方もいるようです。
確かに、一理はもしかしたら、少しはあるのかもしれません。ほんとに奇妙なパフォーマンスや在り方なら緊急で学ぶ必要大ですが…
ただ、ほんとに、実力が認められなかったんでしょうか?日ごろの努力が実らなかったんでしょうか?
自分に何か欠陥や至らない所があって、足りてないから受からなかったんでしょうか?
必ずしも、すべてがそうでもないと思います。(確率の問題もありますよね)
そう、
「マッチング」
と考えると、少し論点がずれていませんか?
それでは、極端な話ですが、反対からの視点も。
「ハッとするような子が来ない!自分たちは何がいけないんだろう?」
「全然、自分たちと熱心に働きたいと思ってくれている人がいない…」
「こんなに一生懸命準備したのに、思ったほど人数が集まらなかった、作品の何がいけないのか?!」
こんな風に思ってしまう団体や主催者の方もいらっしゃると思います。
みな本当に辛いです。我慢しすぎる環境も多く、そして、真面目で一生懸命な方ほど、お悩みだと思います。
「マッチング」
と考えると、自分たちの日頃の活動や様々な広告や宣伝及び募集要項にはその世界観や理念、ビジョンや方向性等が伝わるよう描かれているでしょうか。
努力したにもかかわらず、伝わっていないことが多いのであれば、内容を悲しむ必要はなく、むしろ、伝え方や前提から、なのかもしれません。(いつも通り自戒も込めてです、が)
私が今日この記事で何を言いたいのかと言うと、お互いが、コミュニケーションしやすくなると、もっとスムーズだなと思っている部分です。
オーディションを「勝負」のように、考えているコミュニティーや表現もお見受けしますが、ちょっと違うなと私はいつも感じます。
勝ち負けというよりマッチング。
ましてや仕事で、プロの労働ですから、条件があまりにも合わなければ、いくら好きでも難しい。
自分の実力やこれまでの努力を見せつけよう!
自分の苦労や我慢をなんとか認めさせようー
私(たち)はこんなに忍耐して、がんばってきたんだから、相手もそれに見合うべき!
お互いに、これら↑がとてもダークで、辛い表現につながっている場合もあるような気が多々します。
それこそ
被害と加害にわざわざ当てはめて考えたり、
毎回、ゼロか100か?!みたいな発想も、実は不健康ですし、
それこそ、スポーツに似てはいますが、勝ち負けか….のような枠組みをいったんおいてみませんか?
演技力アップ、必要なスキルや得意を磨くことも大切
昨今の宣材写真や経歴の見せ方や伝え方もアップデートしていくことも親切
募集する側も、活動の環境や労働の条件を具体的に提示して、安心材料や信頼のもとを増やして欲しい、
それこそ審査の基準がすこし言語化できると、(特に若手には)励みになります。
(そもそも自分がなにを欲しいのか、今、自分(たち)がどこへ向かっているのか等の自己洞察も、双方に責任が生じます)
二極の思考の枠から外にあえて出て、身体も(声も)想像力も思考や分析力も養っていければと、自分自身についても常々思っています。
本日のオススメはこちらです。
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演技や作品づくりに直接はつながりませんが、思いこみや被害者意識、ゼロ100思考は立ち止まったほうが演技にも便利で有益です。
「フェミニズム」と聞くと誤解する方も日本ではまだ多いようですが、女性や性のことというより、「人権」のことです。
価値観や多様性をアップデートしていかないと、奇妙な期待、慣例だけに則った思い込みを強化する作品をつくってしまいます。
…そうそう、6月のクラス開催のご希望がある方は、各種メッセージやメールなどでお知らせくださいね。
個人レッスンを初めてお申し込みの方は、お問い合わせフォームやDMなどを使ってくださいね。その際、まず簡略で構いませんので、プロフィールをお忘れなくお願いします。
公式LINEをご登録の際には、ぜひトークからメッセージや自己紹介を一言いただけると嬉しいです。
演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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