台風が続いておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか、演技コーチのかおるです。
先日のオンラインでの台本読解クラスおよびスタジオでの演技の実践にご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。
今回は、名作を原作にした著名映画の脚本を使って、改めて台本の重要性と、しっかりと準備してきた方々の演技の力を感じました。
海外からのオンライン参加あり、忙しい現場の合間を縫っての参加あり、みなさん、お忙しい中ありがとうございました。
真剣で前向きなとても良いチームでした。せっかくですので、また年内、できればと思ってます。ご希望がある方はお知らせくださいね。
さて、台本の読解で、いつも問題になるのが、
今日のお題にある、役を演じるために役立たない「白黒思考」です。
これは少し、演出や監督業となると変わってくると思います。
もちろん、白黒思考が良い悪いと論じる時点で、ブーメラン、そんな矛盾をはらんでいるのですが、
白黒思考に気づかない場面、うっかり白黒思考してしまう状況もあると思うので、そこを整理したいと思います。
例えば、
台本の読解の1つ目「このシーンはいつなのか?この作品はいつなのか?」
誰しも人間なので、冬は気が重いなとか、雨の日は憂鬱だなとか、それこそ、人によっては、夜は怖いなぁとか、いろいろな記憶に左右されて、印象と言うものがそれぞれあると思います。
でも、必ず立ち止まりたいのが、「役の人物、本人にとっていつなのか?」と言う点です。
現実の私たちの生活でも、朝7時を早いと感じる方もいれば、それじゃ明日の待ち合わせには遅いよ、今回の飛行機には間に合わない、もっと早くしなくちゃ!と感じる方もいらっしゃいます。
こんな些細な、言葉にしてしまえば、当たり前なことでも、ついつい「良い悪い」に関連させてしまうのが機能的かつ効率的な私たちの日常のマインド。
例えば、「約束の時間に遅れるのは悪い」、「早めに着いておくのが良いこと」、「早起きは良いものなのである」、「夜に、わざわざそんなところに行くなんて…」とちょこちょこ批判的になっていませんか。
これが、のちに、役の人物と自分を重ね合わせたときにつまずくところになります。
では、次の例です。
シーンの鉄則①ドラマの基本は「問題解決」
姿を変え、形を変え、必ず出てくるのが「問題」の解決。
これもまた厄介で、「問題」がないのがそこそこ平和で、ありがたく健やかで、様々な事柄がうまくいっていると考えているのが、日常生活、現実の世界。
とは言え、世界のどこかに必ず問題はあり、自分の周囲にたまたま際立って多くの方々巻き込まれるほどの問題を抱えた方がいないように見えていても、必ずその影響は周囲にあるものです。
インターネット然り、世界情勢然り、経済、自然環境、それこそ発明も、科学に歴史に宗教にすべて…
ただ、この、「問題」がある状態を悪いもののイメージにしていると、なかなかその解決に向かっていけない。
場合によっては、一見悪いものであるように見えないからと言って、「問題」がないわけではないので、台本が読み解けないということにもなりかねない。
ここでもまた、「白黒思考」が邪魔します。
演じ手が役の人物を「自分事」として行動して、作品の状況で実際に、見て、聞いて、喋って、動いていくためには、「白黒思考」ではなく、
「固有の感覚、個別の事情」にフォーカスを移すとうまくいきます。
それは、例えばどういう意味なのか。
最近の例で言えば、オリンピックを見てみましょう。
勝つ方、選ばれる方がいると言う事は、そちら側にいる人間にとってはおそらく良いこと、望まれることでしょう。
一方、必ず負ける側、選ばれなかった方が(往々にして、膨大な数)溢れている。これは当人たちにとってみれば、良いことではなく、望んでいたことでもなかったでしょう。
結局、自分を置く側次第で、勝つ方、負ける方、選ばれた方、選ばれなかった方が決まってしまう。
その上、中長期的に見れば、逆転はあるわけで、それこそ10年20年単位になれば、何が良かった、あの時の負けのおかげで、次のレベルに行けた、ある意味「良い」ライバルの出現で、さらに記録が伸びたと言うこともあるでしょう。
これもどういう時間軸で捉えているかによって、意味合いがいかようにも広がっていく。
今回のオススメの作品「リトルファイヤーー彼女たちの秘密」を例に使うと、
アッパーミドルクラスの一見、何も問題がなく、恵まれているかのように見えるエレナは、家族、仕事、友人関係、地域コミュニティー、夫婦関係、とあらゆるところで問題が実はあります。それが、タイトル通り、小さな炎につながっていくわけですね。
一方の、もう1人の中心人物ミアも、自分の娘との関係、仕事、金銭、現在だけでなく、過去の人間関係、そしてこちらも現在だけでなく、過去の家族…と、様々な問題、日々のお困り事から、中長期的な悩みまでを抱えています。
さらに、登場する人物が、子供たちですら、皆それぞれの事情があり、毎日、毎週、毎月何らかの解決したい問題や、葛藤の根っこ、お悩みの状況にあるわけです。
だからこそ、見ている側ハラハラドキドキし、当然共感にもつながるのですが、お客様と言う、いわば作品を鑑賞する、距離のある安全な立場からなら、ともかく、当事者は演じるとなると、「自分事」になります。
という事は、ある場所で、エレンの選んだ行動が正しいとも言い切れず、ある特定の時点でミアの言わなかった真実が悪いとも言い切れず…と言う、
なんとも中途半端にも感じられるエピソードが最終8話目まで続き、最終8話目の終わりであっても、問題は山積みのままなのです。
つまり、私たちは、
特定の人物だけが悪い
いくつかの直接的な因果関係のある出来事だけを正しい
自分にとってわかりやすい数名の人物だけを良い、
今の自分に引っかかった言葉や行動を悪い、
と言うように、くっきり、はっきりと線引きをするだけでは、内容を理解したことにはなりません。
引いては、「役の人物と言う他人」を演じる側にとっては、この白でもなく、黒でもない間を行き来し続けることになります。
「白黒思考」は、自分を安全な場所に置いたり、他人を断罪するのに便利かもしれませんが、様々な人々の立場から想像して、共感して、内容を理解しようと努める、その作品創作の場においては、注意して扱いたいパターンに違いありません。
みなさんの、何らかのお役に立てれば嬉しいです。
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https://youtu.be/xjO2ld1rB94?feature=shared
演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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