ブログ記事

有り得るかもしれない自分②イキイキ演じて、のびのび歌う秘訣

カテゴリー:,

クラス参加者の方、レッスンを長く続けてレベルアップしてる方の活躍が嬉しい、演技コーチ くわたかおる です。

7月のラバン入門クラスにご参加くださった方々もありがとうございました。

 

さて本日は、ジャンルはさておき、

台本に向かう時、これがオペラであっても、ミュージカルであっても、ストレートプレイであってもなのですが

 

・作品の中での出来事や、登場する役の人物たちのことをどのように捉えるか

 

もっと具体的に言えば、

・出来事や人物たちを、どう見て、

・役について、何を通じて理解しようと試み、

・役の言ったりやったりしていることを、どのように聞くのか

 

についてです

ここを整理しておくと、表現力も豊かになりますし、幅も広がります。

演技力も歌唱力もアップするので、数分間、お付き合いください。

 

◾️あちこちで広まっているが、誤った「もしも自分だったら」

この20年ほど、演技指導を中心に活動しておりますが、国籍や経歴、ジャンル問わずよく聞くのがこの「もしも自分だったら」
を考えてみます、と言う切り口。
これが、行き詰まる!
なぜなら、私たちは、そもそも、「その世界にいない」

その上、文章にすると、当たり前すぎるが、「その人ではない」からです。

多くの場合、作家という「他人」が書いた「他人」なので、他人度がアップしています。

まさに、遠い存在。

例えば、よくある間違いが、
「私だったら、絶対にこんなこと言わない」
「自分だったら、もっと良い仲直りの仕方が思いつくはずなのにな」
「(この時代だから、しょうがないのかなと思いつつ) こんな悪いことするなんて、信じられない(フィクションでよかった、自分じゃなくてよかった、ホッ)ああ、どうやって演じようかなぁ...」

に代表される、

「自分との違い」
を立てる質問。

これは、最初にプロジェクトの全体図を聞かされた時や、はじめて台本を読んだときに、一読者として思うのは自由で構わないのですが

「当事者として」行動したいのに、役の人物に共感しやすくなるでしょうか。

この、「もしも自分だったら」から批判や断罪へつながる、違いを際立たせる質問から脱却しない俳優や歌手の多いこと。
非常に残念だと思います。

なぜなら、

それは、自分の家族や友達、協力してプロジェクトを成し遂げたい同僚や、それこそチーム、座組のメンバーと自分との違いをいちいち批判して、
他人であることの価値や異なる価値観や原動力があると言うことを、背景に追いやってしまうからです。

まるで、
「私だったら、(A子みたいに)絶対にこんなこと言わない」 
「自分だったら、(母より/姉より)もっと良い仲直りの仕方が思いつくはずなのにな」 
「(この時代/世代だから、しょうがないのかなと思いつつ) こんな悪いことするなんて、信じられない(遠い知り合いレベルでよかった、自分じゃなくてよかった、ホッ)
ああ、どうやってご愁傷様と労おうかなぁ...」 

のようなものなのです。

「自分だったら、まるで、もっと他のより優れた、おそらく正しい方法をしっているかのような」
そんな相手と自分の固有の感覚の違いや、他人像、世界観までもを、斜め上からみちゃう、溝が深まる質問が、 「もしも自分だったら」なのです。

しかしながら

この質問の仕方を変えれば「やじうま臭さ」は消えます。

そして、そもそも、ある意味無理のある、異なった時代や全く境遇の違う役と言う他人を理解していく手立てになります。
ここを飛び越して、乱暴に「もしも自分だったら」と「自分のほうに近づけようとしてしまう」と、作品世界の批判や、役の断罪にもつながります。

非常に多くの方がここで損をしているので、これを変えるだけで、大きな一歩!

違いが生まれていくはずです。
では、次


◾️一部の体系立てて学んでいる方々や、抜きん出ている方たちがつかっている「自分に〇〇をさせるのは....」



「なにが、私に、〇〇をさせるか」

です。

そう、起きる出来事や起きるものとして、まず捉えています。

例えば、

「なにが、私に、〇〇を断らせているのか?」
「なにが、私に、誘拐を企てさせたのか?」
「なにが、私に、こんな愛の告白をさせるのか?」

という具合です。

決して、
「どんなふうに断るのか?」でもないし、
「なんで誘拐なんかしちゃうのか?」でもありません。

もう、「誘拐」も「断る」も台本に書かれている事実通り、起きる前提です。

「どうして愛の告白なんか、しちゃうのか?」ではありません。

ちょっとでも、
「私だったら、やらない」
「他にもっといい方法があるはず、いま、やりたくてやっているんじゃないんだから...」というマインドですと、

冒頭の「私だったら、そんなことはやらないから(言わないから)、難しいなあ、理解できないなあ、共感しづらいなあ...」になっていきます。

つかって欲しい構文は、

例で言うと、
「なにが、私に、これを言わせるのか?」
「なにが、私に、告白をさせるのか?」
です

私に「誘拐」や「告白」や「懺悔」や「主張」や「説得」や、それこそ「家を出ていって帰ってこない」などの『行動』をさせる原因/理由を想像むくむくさせてください。

「自分だったら、そんなのできない/ありえない」と言うのは、共感できていないから、より演じ難い。

「どんな」=HOW

ではなくて

「なにが」=WHAT

で紐解いてください。


私には有り得ない前提ではなく、

時代が違っていたら、こういう理由で、やるかも

性別が異なっていたら、そしてこういう原因があれば、やるかも

身体的/心理的状況が、違っていたら、私(ですら)やったかもしれない

もし、〇〇がなかったら/あったら、やるかも

こんな風に、質問を設定してください。


自分の価値観と役の価値観や、それこそ生まれも育ちも異なりますが、ご自身と重ねるための、「共感的」な質問設定、

しかも、「行動」へつながるものへ、導いていくということです。



スポンサードリンク

限りある時間の使い方 
人生は「4000週間」あなたはどう使うか? 
https://amzn.to/3XWkuOR

切実ですよね

そして、これは役の人物を理解するにも、実は大切な視点
だって、毎日やっていること、毎週いっている場所、毎年繰り返している儀式、
その方を形作っていますものね

面白い本ですし、演技にも役立ってしまう「時間」の具体的な本

夏のひといき、振り返りにもぜひ!

コメントを残す

WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com