〜役の人物として世界を体験するアプローチ〜
先日のオンライン台本読解クラスにご参加いただいたみなさま、ありがとうございました!
演技に関する疑問や台本読解の課題、長年気になりつつも先延ばしにしていたお悩み
それぞれが真剣に取り組んでくださり、非常に充実した時間となりました。
それぞれみなさん、真剣に取り組んでらしたのでとてもよかったです。
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さて、ただ今、絶賛!スタジオでの演技実践クラスを開催中です。
このクラスでは、よく話題に上る「まとめたい」という欲求についても扱っています。
これは一見、便利で効率的に思える考え方ですが、
実は俳優としての深い演技や物語の本質を阻む原因になっているのです。
「まとめる」習慣が生まれる背景
学校教育がもたらした「まとめたい癖」
私たちは、小学校や中学校の頃からあちこちで、
「感想をまとめなさい」「調べたことをまとめなさい」と指導されてきました。
このマインドを盲目的に信じすぎていると、「まとめることは良いこと」、
「効率的で必要なこと」という認識が根付いています。
しかし、この思考が台本読解や演技においては問題を引き起こします。
なぜなら、私たちは「個人的な感情や考え、固有の感覚や解釈を通じて」物語るからです。
役の人物の行動や感情を「頼りになる叔父さん」「お人好しの叔母さん」
「お年頃の多感な若い女性」などとまとめすぎると
その背後にある複雑な感情や関係性が見えなくなり
なかなか役の人物の個人的な事情に入っていけないものなくなるのです。
俳優としての問題点:「まとめたい病」が演技を妨げる理由
現場で直面する具体例
例えば、今回キャスティングされた役は、叔母、叔父、新しい恋人、近所の方々、学校の知り合い、新しい職場の上司や先輩と、それぞれ固有の関係性を築いています。
だからこそ、悩み、苦しみ、些細なことで喜び、興奮しつつも、心配したり、不安になったりします。ここが、感情と感覚の体験です。
そして、ひとりひとりの一挙手一投足によって、本人の確信が深まったり、心配が募ったり、相手の幸福を祈ったりするわけです
しかし「まとめたい病」に陥ると、俳優として次のような問題が現場で起こります
- 自分事として行動できない
例えば、「頼りになる叔父さん」という固定観念を持ちながら演じると、その場で自分が「なぜ」彼に話しかけているのかが曖昧になります。観念的なイメージを、あらゆる場面に用いているため、シーンの動機や目的がぼやけるのです。
- 相手の反応に対応できない
相手役が笑顔で何かを尋ねても、「私は叔父さんを頼りにする」と文言を頭の中で唱えているだけで、「頼りにする」という抽象的な外面を繰り返しているだけでは、感情や行動の変化が生まれません。結果として、役の人物としての説得力や存在感が失われます。これは実際に、俳優が自分事として行動するのに役立ちません。「今、自分が、ここで、何のために」彼のそばに寄ってって、隣に座って話しかけているのかを忘れてしまいまうのです。
- 物語が停滞する
シーンの中で感情や関係性の展開が止まり、物語全体が薄くなります。「この役が何をしたいのかがわからない」「共感できない」と観客に感じさせてしまう原因になります。相手がせっかく自分の方を向いて笑顔で何か質問しても、シーンの頭にあった「頼りにする」を繰り返すだけで、感情も変わりにくいですし、2人の関係性も展開していきづらいです。つまり、自分事で生き生きと行動して、物語を展開させていこうと思ったら、「何が、私を〇〇させるのか」と考えないといけません。
- そして役を準備するとき、(仮)に設定するのは、「目的」であって「方法」ではありません。すなわち、私が叔父さんに、私が恋人と出かけるのを頼まなくても、快く許してほしいという 小さな単位での目的があって、その目標である叔父さんの笑顔や、「オーケー(いいよ)」という言葉や、こっちの顔を見ているときの特有の動きや、途端に視線が合うこと、などがあります。その上で、もうちょっと大きなスケールでの「 家族 みんなで幸せになりたい」という目的があります。だからこそ、急に「頼りにする」とまとめてしまうのではなくて、相手の一挙手一投足に意味を見出して、しかも自分も「〇〇したい」がむくむくと膨らんだり、変化していくものなのです。
- 演じ手が密かに「まとめたいな」と願っていると、つい、「頼っている」を説明した動きになってしまいやすいですし、「頼るために必要な信頼や尊敬」を飛ばしてしまいます。大雑把になってしまうという事です。その結果、同じ方法を繰り返し使ったり、場合によっては、相手から自分(役)が欲しい言葉や動きがもらえていないのに、自分の見たり、聞いたりしたい目標を下げ伸ばしし、欲しい目的に近づいていないのに、待ってしまう!これがよくある「状況はわかるが、どこへ向かってるのかが、よくわからない」
「なんとなく、考えている事は伝わってくるが、どうも共感できない」
そんなシーンに共通している「 まとめちゃった結果」です
演出や作家にも影響する「まとめたい思考」
「まとめる」思考は、俳優だけでなく、演出家や作家にとっても危険です。
演出家の場合
キャラクターの個々の事情や感情を掘り下げず、「この役はこういうタイプの人だから」と単純化して指導すると、シーンはフラットに、物語全体は単調になります。ひとりひとりの役が持つ背景や感情の奥行き、構造はシンプルでも層になっている人間の仕組みを見逃しがちになるため、白黒がはっきりしすぎたり、説教じみた印象や、説明過多な感覚を与えがちです。
作家の場合
登場人物を類型的に描くのは良いのですが、個別の事情を深く事実に根ざしておかないと、多様な価値観やダイナミズムが失われます。一人ひとりが特徴があり、人間としての層を内面にを持つキャラクターでないと、例え、ドタバタ・コメディーや漫画が原作であっても、物語全体が平坦になり、信じにくい、没入しにくくなり、物語る力が弱まります。凝縮して描くからこそ、細部に宿る性質が重要になっていきます。
残念ながら、ジャンルを問わず
いろいろなキーワードやホットな話題を詰め込みすぎた結果、まとまってないと思ったのか
多様でからこそ、イベントが起きていた人物たちを、似通わせてしまうと描き方もあります
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特に単純化及び一般化しやすいのは
「まとめよう」と個人の事情や心の機微、思考の変化、個別の関係性を平らにしてしまった時なのです だから、セリフがなければ、実は、ケンカや傷心、 離別や親密化も起きません。変化に乏しいのです。
なぜなら、その世界にいる人物ひとりひとりの、「緊急で重要な」問題やその解決が、セリフになっている言葉以外に、実はないからです。
私のクラスやレッスンでは、一人ひとりが際立つよう、そしてより役の人物たちが魅力的に伝わるよう指導していますが、これは「まとめる」ことからではなく、「解きほぐす」ことから来ています。
そうです、俳優や歌手の仕事は、まとめることではなくて、
「ときほぐす」
となのです。
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身近な例で考えよう!
あなたの非常に親しい方、家族や友人や大切な方が
何か事件に巻き込まれたり、解決せねばならない問題があったりするとする。
そんな時、あなたは、「あぁ、それは嫁姑問題だね」と 一言でまとめてしまうのでしょうか。
おそらく違うと思います。
相手の問題を一緒に解決したい、もし一緒に解決することができなくとも、寄り添いたいとか、気持ちを理解したいと 心底から願い、一緒に泣き、笑い、 相手の幸せや自己実現を願うなら、
「誰にそう言われたの?」
「 え、いつそう感じたの?」
「 なんで、〇〇したいの?」
というように、一つ一つ丁寧に理解しようと努め、仮の質問を立てて、 ひも解いていくのではないでしょうか。
決して、「 それはあなたが悪いよ」とか「彼はダメ人間だ!」 と、事情や背景をよく知ろうとしないのに、まとめて断罪しないと思います。
今回の話が役立ったなら嬉しいです!
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演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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