まとめるから、演技がつまらなくなる
ちゃんと読んでいるはずなのに、なぜか演技がつまらない。
台本は読んでいる。
人物関係も整理している。
場面の意味も考えている。
気持ちも一応つかんでいる。
それなのに、立ち上がると止まる。
無難になる。
説明っぽくなる。
似た芝居になる。
こういうことは、珍しくありません。
しかも多くの場合、怠けているからではありません。
むしろ逆です。
真面目に読もうとしている。
ちゃんと整理しようとしている。
わかりやすくしようとしている。
だからこそ、演技に必要なものまで、きれいにまとめてしまうことがあるのです。
ちゃんと読んでいるのに、なぜか演技がつまらない
このタイプの俳優は、読んでいないわけではありません。
むしろ、かなり読んでいます。
人物像も考えている。
関係性も見ている。
気持ちの流れも追っている。
でも、読んだものがそのまま演技に変わらない。
それは、読解が足りないからではなく、読解の向きが違うからです。
台本を、演じるために読んでいるつもりで、
実際には、うまくまとめるために読んでしまっている。
ここでズレが起きます。
説明としては整っている。
でも、演技としては動かない。
その結果、ちゃんとしているのに、つまらない芝居になります。
まとめる読み方では、演技は動きません
台本を読むとき、多くの俳優は無意識にまとめる方向へ進みます。
この人はこういう人物。
この場面はこういう場面。
ここでは悲しんでいる。
相手は冷たい。
関係は悪くなっている。
こうして整理していくと、一見ちゃんとして見えます。
説明としても整います。
頭の中でも把握した感じが出ます。
でも、演技は説明ではありません。
演技で必要なのは、情報をきれいに並べることではなく、その場で何が起きているのかを使える形にすることです。
何が引っかかっているのか。
何を変えたいのか。
相手に何をしたいのか。
何を失いたくないのか。
そこまで行かないと、相手への矢印が立ちません。
矢印が立たないと、やり取りになりません。
やり取りにならないと、演技は動きません。
まとめるとは、一般化することです
ここで言うまとめるとは、ただ整理することではありません。
もっと正確に言うと、一般化することです。
この人物はこういう人。
この場面はこういう場面。
これは悲しみのシーン。
この相手は冷たい。
こうして言い換えた瞬間に、出来事はわかりやすくなります。
説明としては整います。
でも同時に、固有の感覚体験、個別の感情体験、個人の事情が薄まっていきます。
本来、演技の仕事は一般化ではありません。
個人化です。
個別化です。
この人物にとって、何がこんなに引っかかるのか。
なぜこの一言だけは流せないのか。
何を失いたくないのか。
何を守りたいのか。
相手に何を認めさせたいのか。
そこには、その人物に固有の感覚体験があります。
個別の感情体験があります。
他の誰とも入れ替えられない事情があります。
演技は、そこから始まります。
まとめるほど、人物の固有性・特徴は消えていきます
まとめるということは、見えているものの単位を大きくしていくことでもあります。
最初は、一人ひとりに名前がある。
その人ごとに事情がある。
その人ごとに、怒る理由も、傷つくポイントも、見ているものも違う。
でも、まとめ始めると、単位が大きくなっていきます。
一人ひとりの名前で見ていたものが、A組になる。
A組だったものが、三年生になる。
三年生だったものが、高校生になる。
高校生だったものが、学生になる。
学生だったものが、十代になる。
こうやって単位が大きくなっていくと、個人差が消えていきます。
個別の違いが平らになっていきます。
平均に近づいていきます。
もちろん、説明や分類としてはわかりやすくなります。
でも、その人物である意味は薄くなります。
演技の仕事は、そこを大きくまとめることではありません。
逆です。
大きくされた単位を、もう一度ほどいていくことです。
平均に寄せることではなく、その人物の固有性に戻っていくことです。
単位を大きくすると、台本読解はどんどん荒くなる
単位が大きくなるということは、読解が荒くなるということです。
荒くなるというのは、雑になるという意味だけではありません。
見えなくなるものが増えるということです。
たとえば、悲しい、怒っている、寂しい、冷たい、つらい。
こういう言葉は、一見わかりやすい。
でも、それは大きな単位の言葉です。
どんな悲しさなのか。
何に対する怒りなのか。
どういう種類の寂しさなのか。
なぜその冷たさがこの人物には刺さるのか。
そこまではまだ見えていません。
つまり、まとめるほど読解は荒くなるのです。
きれいに見えても粗い。
整って見えてもまだ大きい。
俳優がやるべきなのは、そこからさらに小さく見ていくことです。
細かくすることです。
ほどくことです。
“あるある”で読むと、実は作品から離れていきます
まとめる読み方には、もう一つ危うさがあります。
それは、あるあるを探す読み方になりやすいことです。
こういう親ってこうだよね。
裏切られたら悲しいよね。
恋人にこう言われたら傷つくよね。
こういう場面ってつらいよね。
こういう読み方は、一見わかりやすい。
共感も生まれやすい。
でも、それは俳優自身の思うあるあるで読んでいるだけかもしれません。
本当に見るべきなのは、そこではありません。
その作品がどの時代に書かれているのか。
作家がどんな世界を立ち上げているのか。
その人物が属している共同体はどういう文化を持っているのか。
その人物にとって、この一言やこの行動はどういう重さを持つのか。
そこを見ずに、自分の感覚だけであるあるに回収すると、作品から離れていきます。
自分ではわかった気になる。
でも実は、作品の時代とも、世界観とも、その人物のコミュニティや文化とも、ずれているかもしれない。
これはかなり大きな問題です。
演技は、自分が納得できるあるあるを出す仕事ではありません。
その人物が生きている世界の中で、その人物として反応する仕事です。
まとめると、相手の言葉が刺さらなくなります
まとめることの怖さは、ただ情報が薄まることではありません。
もっと深いところで、相手の言葉や行動が自分に刺さらなくなることです。
本当は、その人物にとって意味のある相手の一言がある。
本当は、その人物にとって見過ごせない相手の態度がある。
本当は、その人物にとって、触れられたくないところに触れてくる瞬間がある。
でも、まとめてしまうと、それが刺さらなくなります。
つるつるして、滑ってしまうんです。
本来なら引っかかるはずのものが、引っかからない。
本来なら傷になるはずのものが、通り過ぎてしまう。
ささくれに何かが引っかかるみたいな、あの個人的な痛みがなくなるのです。
でも、演技はそこがないと動きません。
人が深く傷つくのは、一般論に対してではないからです。
自分にとって意味のあることが、自分の事情に触れてきたときに傷つくのです。
だから、まとめていたら、深く傷つくこともできません。
つるつる滑る読解では、深く感じ、深く傷つくことができません
よくあるのが、
私は悲しい
私は怒っている
この場面はつらい
で止まってしまうことです。
これらは間違いではありません。
でも、まだ説明です。
本当に必要なのは、
何がそんなに刺さったのか。
なぜその言葉だけは聞き流せないのか。
相手のどの態度が、自分のどこに触ったのか。
どこにささくれがあって、そこに何が引っかかったのか。
そこを読んでいくことです。
痛みは、きれいにまとめた言葉の中にはありません。
もっと個人的で、もっと具体的で、もっと言いにくいところにあります。
そこに触れられないままでは、深く傷つくことができません。
深く傷つけなければ、深く反応することもできません。
深く反応できなければ、演技はどうしても平らになります。
演技に必要なのは、きれいな要約ではなく引っかかり
わかりやすくまとめられた読解は、一見きれいです。
筋も通っています。
説明としても成立します。
でも、演技に必要なのは、きれいな要約ではありません。
引っかかりです。
この人物がどこで止まるのか。
どこでざらつくのか。
何をなかったことにできないのか。
何を言われたら平気ではいられないのか。
その引っかかりがあるから、相手への矢印が立ちます。
矢印が立つから、働きかけが生まれます。
働きかけが生まれるから、演技になります。
逆に言えば、まとめることで全部がつるつるになってしまうと、反応が浅くなります。
痛みも浅くなる。
欲求も浅くなる。
切実さも浅くなる。
すると、ちゃんとしているのに動かない芝居になります。
俳優の仕事は、まとめることではなく、解きほぐすことです
俳優が台本を読んでやるべきことは、情報をうまく一般化して要約することではありません。
その人物の中に入っていけるところまで、個人化し、個別化していくことです。
せっかく台本を読んで、情報を広げて、想像を膨らませても、最後にまとめてしまうと、全部が平均化されます。
どこにも引っかかりがなくなる。
バックグラウンドが見えなくなる。
必然性が薄くなる。
伏線が見えにくくなる。
相手の言葉が刺さらなくなる。
だから、まとまっているのに、つまらない。
理解しているのに、動かない。
そういうことが起きます。
俳優の仕事は、まとめることではありません。
解きほぐすことです。
ばらしていくことです。
あらわにしていくことです。
その人物にとって、何が起きているのか。
その人物にとって、何が刺さるのか。
その人物にとって、何が許せないのか。
その人物にとって、相手に何をしたいのか。
そこまで見えてきて初めて、演技は動き始めます。
台本を読んでいるのに、なぜか動かない。
整理しているのに、なぜかつまらない。
そう感じているなら、足りないのはまとめ方ではないかもしれません。
必要なのは、もっと上手に要約することではありません。
もっと具体的に解きほぐすことです。
この記事を書いた、講師プロフィール 鍬田かおる
指導歴20年以上。桐朋学園芸術短期大学演劇科、新国立劇場演劇研修所・オペラ研修所、劇団青年座研究所、映画スクールなどで長年指導。
ロンドン大学ゴールドスミス校卒。Royal Central School of Speech and Drama 修士課程ムーヴメント科修了、卒業。教育学・演出専攻。
イギリスSTAT認定アレクサンダー・テクニーク教師。日本演出者協会会員。
俳優や歌手の技術と身体の理解を統合し、現場で使える“交流のある演技”へ導く専門家。大学や映画スクールの講師を務める傍ら、個人レッスンで一人ひとりの強みを伸ばし、基礎力からアップさせる本格的なプロのトレーニングを中心に活動しています。
小学生から中堅、そして芸能の舞台や映像で活躍する俳優や歌手の方のアクティングコーチであるだけでなく、プロを目指す若手の育成も務める。
IDC認定インティマシー・コーディネータ(ディレクター)として映画や舞台の現場も入ります。
これまで触れてきた演技のなんとかメソッドや、〇〇式に疑問を抱かれた方へ
あなたの違和感は、もしかすると「役」にとってのリアリティーではなかったからかもしれません。
また文化的にも、ヨーロッパで過ごした20代がある私、そしてバイリンガルである私が言うのもなんですが、日本を中心に活躍してらっしゃる方、日本語を母国語として多くの時間を過ごしてる方に向き不向きという傾向はある気がいたします。
物語、演技と言うものが、文化に根ざしている以上、やはり言語の壁もあり、また生活様式や基本的なコミュニケーションのスタイルが大きな誤解をむこともございます。これはクラシックバレエやオペラの輸入、様々な業種での変遷を見ても、お分かりいただける課題だと思います。。
不可思議な単発ワークショップやらの誇大広告に疑問を持たれた方、なんちゃらメソッドばかりのプロモーションに違和感を持たれた方、ご自分のせいだと責めないでくださいね。
「今月、どうしてもスケジュールが難しいけど、次回のクラスを知りたい」「個人レッスンの相談をしたい」という方は、
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こちらからのトークのスタートはできませんので、一言ご挨拶かスタンプお願いします。
まとめたい病の記事、こちらにもございます。
何らかの気づきが深まるならば、幸いです。
演出も演技もまとめたい病が元凶

演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching



