ついつい気づくシリーズ
演技コーチのくわた かおる です
本日は、レベルを問わず、老若男女からあちこちで聞く
「まとまっていなくて、すみません」
「まとめてきます!」の功罪
…というと大げさですが、考察です
さて、映画や舞台公演の後、誰かが
「なんか、まとまってなかったよなぁ」と言うような残念さや、落胆を示すような言い方であったり
「もっとちゃんと言いたいことまとめて欲しいよね」のようなお小言や、愚痴のようなマナーで、
「まとまっていない=よろしくない、問題がある、ネガティブ」を示唆している場面に出くわした事はないですか?
私は演出家からも、俳優の演技がまとまっていないだとか、台本の読解が、てんでバラバラだとか、しょっちゅう聞きます
また、プロであっても、学生レベルであっても、台本の読解や映画の分析、自分がキャスティングされている役についての話をする時など、みなさん遠慮がちなのか、学校生活の名残なのか、
「まとまってなくて、すみません」、「もっとまとめてきます」を申し訳なさそうにつぶやかれる場面に遭遇します
そして実は心の中で「別に、まとまってなくていいのになぁ…」とちょっと残念なというかもったいなく感じてます
みなさんは、こういった文章を聞いたこと、書いたことはないでしょうか?
そもそも、「まとめる」ってなんのため?
まとめることで、何を得て、まとめることで何を失うのか?
考えたことあるのかなあと、とイギリス育ちの演劇人、私は思います
さて
「まとめる」とは、そもそもなんぞや???
意味の整理から
①バラバラのものを整えて、または揃えて1つにするという意味
②物事の筋道を考えて、整えるという意味
③決まりをつける、互いの意思を一致させる
のおおよそ3つのカテゴリに分けられると思います
①バラバラのものを整えて、または揃えて1つにするという意味
確かに、ジャンルの統一であったり、世界観の方向付け、そして全体を通しての意思表明と言いますが、
立場や、シーンのテーマを1つに絞っていくことで、作品として不特定多数の他者へ向けて行けるのは納得です
演技のスタイルがバラバラであったり、同じ時間のはずが別々の時代設定になっていたり、特定の場所の共有がなさんでなければならないのに、異なる身体の様子や声の表情では、確かに1つの作品として発信する事は難しく感じます
まさに、「まとまっている」と言うよりは「世界観を統一させる」、「方向性を決定しておく」に近い気がします
俳優の方で気をつけねばならないのは、やはり演技のスタイルであったり、作品のテーマを共通認識として持っておくことではないでしょうか?
ただ、気をつけなくちゃならないのは、そもそもの俳優の仕事は「まとめる」ではなくて、一人ひとりの役をそれぞれの演じ手さんが担当するわけですから、「解きほぐす」方であること
いろいろな考えやご事情にその記憶、それこそ癖も価値観も異なる、様々な凸凹のある役と言う他者を「まとめる」ではなく、1回解きほぐしてみなければならないプロセスが大切だなと思います
解きほぐすと言うのは「まとめる」、の逆かもしれません…ここを勘違いされないと嬉しいです
例えば、自分がキャスティングされた「役」と言う他人が、どこから来て、どこに向かっているのか、これは役の人物が来ている世界の中で一貫している必要がある、サイファイフィクションとラブコメが混ざって、サスペンス満載のシーンで、急に生い立ちや犯人や人ガン関係までが変わってしまっては困るわけです
しかし、この「役」の人物が、何の前に、そして何の後で、ここにいて、具体的に、本人にとって何の日であり、どういう意味があって
どんなふうに周囲の人々や世界を見て感じているかは解きほぐしたい!
極端な例を言えば、年老いていくのは当たり前だが、これまで仕事を遂行してきたはずの、社会的な心を持た高い地位にある父親が、
認知症の兆候を見せ始めてから18ヶ月経った今週、と言うように解きほぐしたい
自分の父親が、急に自分とその夫の家を訪ねてくると言い始める。2ヶ月前、と言うように、具体的に行動しやすいように決めて設定しておきたい
②物事の筋道を考えて、整えるという意味
これはそれほど異論はないかもしれません
ただ、私が時々危ないなと感じるのは「整える」と言うコンセプト
私たちが緊急で重要な問題を解決しようとしている時、つまり渦中にいる時、「整ってない」ですよね?
もし役の人物たち自身が整えたいと感じていても、そして一環させたいと願っていたとしても、それどころじゃないかもしれません
ましてや、映画や舞台になるような出来事が起きているのですから…
こうやって、文章に書くとアホらしいかもしれませんが、これを忘れてしまう方の多いこと…
「整える」が、具体的にどういう行為を自分は示しているのか、確認しておくと良いかもしれません
もし万が一、「整える」が自分が見たいものを表に出すとか、都合の悪いものを隠すと言う意味を含んでしまっているとすると、演技もおかしな方向に行ってしまう気がします
③決まりをつける、互いの意思を一致させる
これは、俳優であっても、スタッフであっても、演出家であっても、(仮)で具体的な内容を決めていって、ストーリーなり、テーマを掘り下げたり、切り口や立場を表明すると考えると、確かに大事だなと思います
「互いの意思」については、誰と誰のあいだで何が合意されてなければならないのか、どことどこの意思の話をしてるのかは検証すると役立つと思います
確かに、演出家であっても、俳優のすべての準備を事細かに把握する必要はありませんが
特定の(仮)の目的や特徴、解釈の意味などが、構築したいシーンの内容に貢献しているかどうか、「望む効果」が上がっているかをチェックする必要はあるかもしれません
逆に、もしかすると、すべての俳優がすべてのシーンを稽古場で目にする必要はなく、場合によってはそのシーン見たことがない方が、ふさわしい可能性があります(衛生や安全のための合意を除く)
という事は、演出家や舞台監督(映画の監督や進行、制作さん)は、リハーサルや稽古の展開も、欲しい結果から逆算していくことになるんでしょうね…
もちろん、全てが予想通りに行くわけがないのは、現実も同じですが
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演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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