「台本の読み方」なるお題目をあちこちで目にする演技コーチくわたです。
よくもわるくも、気にされている事は多いんだなあという印象です。
先日、書類を片付けていて、Google登場以前の世界で学んでいた頃のノートを見直しました。
まだいたいけな(?)20代の演劇学校修士課程時代に、ジャーナルなる課題が毎日あり、常日頃メモっていたものです。
その後、イギリスの演出家の通訳をするようになり、さらにこれに磨きがかかったのだが、
今の指導内容を振り返ると、ほぼココを外すことはなく、年々説明や具体例も変えつつやっている気がします。
かつて、日本では曖昧にしか言語化されず(私が聞いていない学生だったら先生方ごめんなさい)
徹底して「演じるため(作品づくりのため)に読む」に魅力を感じる私にとってはテッパンです。
「台本を受け取ったらまず何をすべきか」7ステップ
① よむ環境を選ぶ
この台本とどう出会いたいか、大袈裟な言い回しかもしれないが、特に、当事者として演じる方には重要なはずです。
すぐその場でなりふり構わず読むのもいいが、第一印象を左右することをお忘れなく。
はやる気持ちをおさえ、冷静に環境を気にする余裕は、身体をおきざりにして、頭でっかちで読まないためにも大事なはず……
② 何のために読むのかを言語化して明記する
日記にでもいいが、「何のために」読むのかを書きましょう。
なにも意識したくないほど魅力的な作品かもしれないが、
はっきり監督、プロデューサー、演出家らに言われないと「ただ読んでしまった」事はないだろうか?
もちろん、自分の楽しみのためや知的好奇心、それこそ寝る前に読書する習慣のある方もいるだろう。私もその一人です。
しかし、同じように文章だからといって、同じように扱っていていいのだろうか。
演じ手は「書かれている文章から、書かれていない文章も想像でき、描かれているシーンはもちろん、描かれていないシーンをも(プロは必ず)想像できるだろう」と仮定しているから、
キャスティングされている場合がほとんどです。
それにも関わらず、「楽しみ」だけではもったいない。
もちろん、俳優だけではないが、読みながら、適切な手応えを促すような、書かれていない内容を浮き彫りにするためにも、「何のために」をはっきりさせよう。
この「目的」から決してそれない努力が、仕事の重責を助けてくれます。
③ まず読む(1回目)
環境と目的が整った(と判断するにも練習が必要だが)して、まず第1回目です。
この「ただ読む」が私(たち)には難しい。
「え?どういう意味?」「なんだっけ?」とペラペラ別のページや冒頭に戻ったり、ご丁寧な解説や図を熱心に凝視してはいないだろうか?
これらが悪いわけではない、ただ、最初にやってていいのか、です。
ましてや、この第一印象が大切だったりもする。
例えば、あなたがA氏とB氏をごちゃまぜにして読んでいたとする。
ほんとうに似ているのかもしれない。いや、あなたが似ていると分類したのかもしれない。はたまた、意図してそう描かれているのかも….
こういった点は最初しか体験できないので、「第1回目」を大切にしてもらいたいものです。
また「この人ひどーい!」「こいつは最悪だ」「わー、かわいそうな人」、「こんなこと自分だったら絶対しない」などと心の中でつぶやいてはいないだろうか?
どうしても、生きてきてこのかた、記憶もあれば知識もある。勝手に投影もするし、期待もする。
自分の条件反射に注意しましょう、この反射を保留する意識を持つ事で、はじめて「ただ読む」へ近づくことはできる。
「まっさらな状態」になんて、決してなれはしないが、「贔屓目」だぞ!という自覚は持つことができる。
④ 身体の状態に留意する
込み入った人間関係、異なった時代や文化背景はこちらも疲労しやすい。覚えにくいロシア語の名前に私も目がシパシパします。
どんなに面白くで夢中になって興奮していても、身体は疲労していきます。
③の条件反射のチェックもだが、内容のどこに、自分が「思わず歯を食いしばった」のか、どのシーンの誰の部分で「じめーっとした生理的嫌悪をおぼえた」のか…
どういった展開で、どのリズムや強さで、「ハッとし驚いて、爆笑へつながった」のは…
こういった初めての時の反応ほど、のちに再体験は叶わず、またリハーサルで行き詰まったときに助けてくれます。
特に「自分が演じる予定の役」の部分は、あっという間に感覚も感情も慣れていってしまうことも多い。
手遅れにならないためにも、ベテランや中堅も「慣れ」は禁物。
日頃から身体のベストなうごける状態、ニュートラルな状態、そして活発モードの時、興奮している自分、
ちょっとしょんぼりな自分、疲れているときの自分などを確認して、敏感に感じ取れるようにしておきたい。
ちなみに、違いがわからなくなるほどの寝不足、運動不足、栄養不足は解決できません。
体調は「万全」でなくてもいいですが、不調は「ほどほど」にキープしたいところです。
可能な範囲で、健やかな姿勢を助けるイスやデスクにも留意したいところ….作品は良かったはずが、腰が痛くて面倒くさい印象になったという結果につながりかねません。
⑤ 2回目の読みー事実と事実から推測できることを分ける
別記事でも書きましたが、これがどうにも難しく感じる方が多いらしい。
台本読解や解釈、脚本分析など10年以上教えてきたが、老若男女が、「こんなふうに読めるって誰も教えてくれなかった!」
「研修所(研究所)では教えてくれなかった、もっと早く知りたかった」とご不満を聞く場面も多い。
ばらつきのある国語の時間の弊害や学校教育、はたまた個人のクセもあるのだろう。
事実というものの定義からおかしな方でも、それなりに現場はあるから不思議だ。(失礼!)
事実から推測できるもの、という意味をすり合わせるのに苦労したこともあるくらいだ。(さらに失礼!)
かくいう私も、その昔、トンチンカンな読みをしていて、ロンドンのセントラル・スクール・オブ・スピーチ&ドラマの修士課程に教えてきてくださっていたRSCの演出家に
「え?どういう意味?」と真面目かつ感じよく、素で聞き返されたことがあります。
この事実と事実から推測できることについての特集記事
https://kaorukuwata.com/factcheck2022mar/
思っていた以上に書かれている部分が少なく、書かれている事実から推測していくと家系図や年表がないと全体像がなかなか把握できない超大作だったという例もあります。
当初の印象と違って(興奮してお客様として読んでいたときよりも)はるかに時間がかかることも多い。
このベースの作業に早めに取り掛かることをおすすめします。
⑥ 仲間と協力して「ただちにアプトプット」
どんなに「やる気」に満ち溢れていたとしても、読んでいくそばから、人の記憶は薄れていく。
学んだことも翌日には70%近くは誰しもが忘れていく、そんな仕組みが、悲しき哉、人間です。
悪意とは関係ないので、とにかく「出し入れ」して、記憶の定着を図りつつ、事実と事実から推測できることの取りこぼしがないか、再チェックを重ねる。
一人では気づかない点に、別の俳優やスタッフが気づいている場合も多くある。
「みんなで読んで、仲良く足並みを揃えましょう」などという悠長なことを言いたいのではない。
一人では限界があるからこそ、一緒にやるのだ。3名程度で、事実と事実から推測できることのチェックを行うことをお勧めします。
意見が合わなくていい、共感しなくていい。
だって、まったく別の人物を演じるということは、多くの場合、敵対した関係性や言えないことや我慢していることがある関係でもある。
出来事の個人的な意味合いはこのあと一人ずつやるべきなので、解釈の「合意」は必要ない。
とにかく⑤の事実と事実から推測できることを丁寧にやるだけの仲です。
よく日本のリハーサル(なぜか稽古と呼ばれがち)で、お稽古場で全員が常に揃って、机を囲んで座ったまま、イスにクセ丸出しで座って、ずーーーっと長時間、監督や演出家の「解釈」を全編聞かされることがある。特に何名かの役の行動の原因や動機、個人的な意味についてだと厄介です。
「知らない方がいいこと、かつ知らなくても危なくないこと」
「この役の人物は知り得ないが、俳優は知っていた方が安全であったり安心であったりすること」
「特定の人物には知らないでいてもらった方が、ある役にとっては効果的かつやりやすいこと」
など多種多様にある。
この判断がちょっと難しく感じる方もいるので、すべてを何から何まで全員に聞かせることになるのだろうが、時間もかかるばかりか、「固有の感覚体験」や「個別の事情」がなくなってしまい、効果を損ねる場面もある。
安全や衛生、人権やプライバシー問題やハラスメントにつながる隠蔽やサプライズは絶対にNGだが、
それ以外の点については、役ごとや単位ごと(単位は後述)個別対応が望ましい。
それこそ、台本の頭から稽古するのが適切か、どのシーンから撮るのが効果的かを吟味することへもつながります。
⑦ いったん休憩そして「リサーチ」へ
真似たくないとか、似せたくないという理由で、関連した映画をみるのを避けたり、文献をみたがらない人がよくいるが、これはよくわからない。
実際、私たちはありとあらゆるものから、意識的/無意識的に関わらず、常に影響を受けているので、避けきれないのだから。
意図的に他人のアイデアを真似て黙っているのは盗みだが、残念ながら、往々にして素晴らしいものほど安易には真似できない。
そして、あらゆるものを参考にしても、あなたの深みある独自性や根っからの個性は消えない。
そんなものです。
1本映画をみたくらいで消えてしまうなら、それは個性ではない。
ちょっと音楽を聴いたくらいで、飲み込まれてしまって、「自分らしさ」が出ないというなら、そりゃ、「飲み込まれる」のが自分らしさ、かもね。
と冷たく毒舌を書きたいが
とにかくあらゆる資料や文献や先人たちの知恵や経験を吸収してでも、より良い作品にするにはまだまだ足りないというのが、率直なところでありたい。
そして、休憩。この休憩が大切です。
そうです、熟成の時間。
夜中に書いた手紙(やメール/メッセージ)がその時にどんなに輝かしくオリジナルで素敵に感じられても、それは夜の魔力です。
恥ずかしい文章を誰しも書いたり、はたまたもらったりしたことがあるのではないでしょうか。
いったんスポーツやダンス、別ジャンルの音楽や園芸、登山や乗馬、陶芸や歌唱でも、なんらかの全身をつかう活動に没頭してみてもらいたい。
とにかくまったく別の活動に1日くらいは勤しんでみて、リフレッシュしてから、改めて台本をみてみてください。
事実と事実から推測できることメモから、疑問が確信へ、また何か気になる点が浮かび上がってくるはずです。
最後に…
なるべくはやく台本はもらいたいものですね。
結末が変わると、準備も変わります。
1から7を生かすためにも、作家のみなさまの締め切りもなんとか….がんばってもらいたいです。
お知らせ
11月23日(祝水)クラスの時間が午後だけ、13:00-15:00 15:30-18:30に変更になりました。
お悩みの方、4種のアプローチの組み合わせを試しにいらしてください。感覚が変われば、考えも変わります。
実際に変わる体験を通じて、納得して、現場へ向かいましょう。初めての方も、歓迎しています。
演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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