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劇作や演出/監督や演技の前に大切なこと①1つ目の入れ子構造

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カレーフェアが終わってちょっと物足りない演技コーチの鍬田かおるです。

 

私は職業柄、テレビやCM、舞台の台本を読むことも多く、また俳優や演出家たちと接する機会もそこそこあります。

これはもちろん自戒も込めてなのですが、とにかく繰り返し、あえて意識的に、事実重視で

 

よーくみて

よーーくきいて

よーーーく読んで

よーーーーく想像して

よーーーーーく考えて

 

とにかくさまざまな人たちを観察し、自分ごととして想像してみて、立場を入れ替えてみて、かつ時代や場所や職業もあえて置き換えてみて、なんとなーく核心や中身が感じられてくることがあります。

そして終わりはないのですが…無理に終わらせず

もちろん、こう言うことに時間や労力が使える事自体が、ありがたく、恵まれたことだというご意見もごもっともです。

 

最近も観劇や読解を通じて改めて思ってしまったのですが、

いわゆる日本語で書かれている新作の現代劇(設定はいろいろな時代や国でも)を読んで感じるのは、

「何をしたい、誰の話なのか分からない」

「どこからきて、どこへ向かっているのかモヤモヤしてる」

あたりです。

 

そりゃ、世界のあちこちで翻訳され、時代を越えて残ってきた世界の名作不朽の名作ではないことは承知です。

しかし、せっかく今、書くのですから…「何者なのか、何が欲しいのか、どこへ向かうのか」は仮にでも提案としてでも、プロならば、そこは書いて欲しいのです。

自分の自分像はもちろん、他人像も浮き彫りになります。

何もないところ(というと語弊もありますが)から、ドラマを立ち上げて、世界をつくるのは映画でも舞台でもとてつもない偉業。大変なことです。だからこそ、まず自分像、そして他人像、そこから世界観へつながるので、ただ巧みな状況の描写ではドラマになりえないのですから…

 

演出についても似ていて、みなさんいろいろなアイデアや着眼点や効果の面白さやファッション的なセンスもあると感心します。

しかし、それらが本当の爆発的な力を発揮してくれるのは、中身が満ち満ちているときではないでしょうか?

誰なのか、何の事情なのか、どこからきて、どこら向かっているのか(地理的な意味だけではないです!)が柱となっていれば、演出のしがいもある訳で、腕の見せ所です。

イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなり、ナショナル・シアターなり、ウエスト・エンドでも、アメリカのあちこちで演出してきた方々から私が指導を受けたときに、一番強烈だったのは、みなさんものすごーーーーく人間をみている、とてつもなーーく動き(現象)やの言葉(と言葉になっていない部分)について、常日頃から果てしないくらい、話題も隠喩も広がって、現実の日常生活のことでも、物語とその背景に興味が溢れていたことです。

とにかく人間観察の鬼でした。

時々…というか、ほぼ毎回ドキッとする瞬間があって、心地よい緊張感がありました。

そう、演出と演出的効果は重なる面も多いですが、ちょっと違いますよね?

劇作(脚本)に書かれていることから書かれていないことを想像するのも、俳優と同じ力です。

自分の自分像もですが、他人像の他人像をさらに掘り下げるから、演出や監督にはさらなる洞察力が問われます。

その上、他人(劇作家/脚本家など)の世界観の世界観を演出(方向づけ)をするのですから、一人の人物(か2役か?またはそれ以上?)を演じる俳優のプロセスを理解する以上に難しい局面もあるかと思います。

ですから、学生レベルでもいいので、俳優として数本でもいいから、まず一人の人物を演じる体験をオススメします。

これがあるかないかで、当事者性と引きのお立場の違いが感覚的に磨かれます。

 

言わずもがな、俳優は自分からスタートするが、自分の他人像と自分像を行き来しつつ、役と言う他人を当事者として疑似体験する。

その上、劇作家の他人像、世界像の中、演出家や監督の他人像と世界観の内に行動する….ああ、すごい!

そうです

この

・自分像

・他人像

・世界像

の入れ子構造が面白くもあり、骨の折れるところです。

だから舞台は恐ろしく、作品は分身でもあり、映画は子どもである、と世界中の先輩方が憧れ、怯え、尊敬してやまないのです。

 

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面白くてためになる、独特の世界観ですが、ありがたい本です。

9月のラバンクラスはもうすぐ〆切です。

お悩み中の方、その時間がもったいないですよ!笑

スタートしてから、考えましょう。

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