演劇や舞台表現、はたまた映画やテレビでも俳優や俳優のやっていることを指して、さまざまな場面で、
「うそっぽい」
「白々しい」
「わざとらしい」
などど言われてしまうときがあるのですが 😢
これ、そろそろ減らしたくないですか?💦
私は、減らしたいです。
だって、恥ずかしいから。みているのも、やっているのも。
台本/脚本というものの性質上、順序としては確かに実際に結末や展開を俳優自身は(おおよそ)「知っていて知らないふり」をすることには事実としてはなるので(本当の即興でもない限り、しかしそこでは事故や構造や方法の吟味が練れていない可能性も含む)、ある意味、仕方がないのではあるが、
役の人物(キャラクター)自身は「瞬間瞬間ごとに、本当に『新しく』感じ、考える」ので、俳優自身がそのようなゾーン(無意識と意識的な調節の重なるところでしょうか)に想像力や感覚や身体をつかって入っていくことになるのですが….
そのためには、
①一人称からの感覚体験と思考をつかう
②状況の説明や描写に終始してばかりいないで、「誰(たち)なのか」を明らかにする
③事前に決めたこと(知っていること)をなぞりにいかずに、手間とちょっとした工夫を省かずに、実生活でやっていることを減らさないで、「行動」へ向かうこと
が使えます。
ピンと来ない方、入門からクラスへデビューしてください(笑)
なんとなく分かってはいる方、イメージは分かる方、「ウソっぽい」のプロセスを明らかにして「活かせる」ように、クラスで明瞭化、洗練化しませんか?(笑)
🐈🐈🐈🐈
さて、
日常生活でもほぼ同じですが、
結末が分かっていなければ、確かに新鮮で、(ウソをつきたいなどの特殊な事情を除き)わざとらしく誇張することもなく、説明過多をすることもないのですが、
実際に感じていることと異なる内容や、腹の底で実は納得していない意味など、実はよく考えても選んでも理解してもいないの場合(例え、自分にとっては直感的でも)、隠したくなったり、減らしたり、増やしたりしたくなる….らしい….よね?
実際に「感じる」、本当に改めて「考える」ほうが早いです、帳尻合わせよりも💦
なぜって、
ちょこちょこ修正の繰り返しは、ニキビにお化粧しているようなもんで(笑)
よけいに目立つよね、ムラが、凸凹が、そして元々の種も悪化しますね(ニキビなら炎症、菌、角栓、傷など)
そう、
「他者をに共感して、自己のことかのように同調して『感じるために』考える」が俳優側の仕組みです~★
防衛や習慣からの「感じないために」へりくつ捏ねる、ではないんだね。
そこ、OK?
「うそっぽい」とはほど遠い作風で有名な社会派(というのも映画というものと向き合うと実際はおかしいのだが)ケン・ローチ監督の近年の名作。
素晴らしい脚本と俳優陣、「へりくつ」も「ねらっている」も「白々しい」も「うそっぽい」誇張もない面白い作品
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恣意的でないから、感動できる、疑問を共有できる、不正や構造への怒りや問題の根っこの深さに個人が自分の考えや感情をつかい始めるんですよね~
本日、ついでにケン・ローチ監督の昔の大作のおススメも↓
これまた状況の説明や環境の描写も過剰ではなく、「誰なのか」からの映画。
主人公とハヤブサがあまりにも麗しい、そして、現実はとても悲しい。この無責任に楽観しないところも「ウソ」と無縁でいられる理由と思います。安易なこじつけ設定がないのも「白々しさ」フリーでいるための秘訣と思います。
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ちなみに私のケン・ローチ監督作品のお勧めといえば、コメディーですが、これも味わい深いです。
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美男美女が出てくるわけでもなく、環境に恵まれたひとたちが揃っているわけでもなく、ただ甘辛ぶりが現実的で、それでも希望がある。
「ウソっぽさ」の原因でもあるお説教調でもなく、「白々しい」の素になり易い啓蒙でもない良いバランス。
巨匠の映画は繰り返し観ても引き込まれる。
感謝★★★★★
土曜日は「ワルキューレ」を観に行予定なので、どこかで私をみかけたら、ほどよいタイミングでお声がけください♬
演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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