ただいま~♪
おかげさまで無事に台湾から戻りまして通常営業!開始です😊
唐突ですが….
役の人物は(特殊な例を除き)『他人』です。
(例えあてがきだって、他人からみた「あなた」なのですから、あなた自身ではありませんよね?)
しかも、「他人」(劇作家・脚本家)が書いた『他人』ですので、二重に(本格的な)『他人』となります。
その上、その二重構造から生まれた『他人』を演じるのが俳優、つまり俳優(歌手・ダンサー)であるあなたなので、
劇作家(生みの親)他人①
キャラクター(役の人物)他人②
俳優(演じ手)他人③
という少なくとも3人の「他人」が協力して❤創造することになります。
ふえええええ~~~💦
したがって理論的にも、
まず生みの親である劇作家の傾向と対策といいますか(笑)、どういう子を育てるか、育てたがるか、そしてそんな彼(劇作家自身の親がどんなヒトだったか!)という、特徴を理解しようと努めると役に立ちそうですよね。
そう、心理学でいう「生育歴」!(笑)
ということは、同じく環境も影響大ですから、作品の設定が「いつ」で、「どこ」であるなどが大切であることは否めません。
本日はこの『他人』について、私の見解をちょいと書きます。
より豊かに、より深く、より意味あるものへ、生き生き演じるヒントになるといいな~♪
シリーズ化の予感….笑
まず、他人。
そう、自分とは「違う」ひと。
自分と同じように(ここ、日本語間違えないで)、それぞれが固有の「感覚」「身体」「思考」「記憶」などを持っている
『個』
です。
ということは、
「私なら●●する」
「僕だったら、▽はしない」
「たぶんオレの場合は今まで▲だから、○○が自然だろうな」
「一般的にはこういう『状況』なら△▽だろう」
は参考にはなるし、出発的としてはOKなのですが、最終的には
「通用しない」
ってこと。
ここ、OK? 😊
そうです。
「通用しない」
そう思いたくないけど、自分の考えも感覚も記憶も、常識も文化も!通用しない。
それが「他人」というものです。
固有の感覚や思考やクセや文化がある。
あなたと同じように人間なのです。
人間であるが故の「違い」。
優劣でも善悪でもなく、「差異」です。
なので、言葉一つの意味にしても、どういう定義(個人的な意味合い)で使っているのか、
そこを理解するのに「時間」がかかります。
理解できたとして、それを自分の「一部」に消化して、かつ行動できるか….
「歩み寄り」といいますか….一種の「妥協点を探る」というか…
異文化に染まる覚悟といいますか (笑)
寛容さというか、柔軟性と言うヤツでしょうかね?
そういった「俳優(歌手/ダンサー)自身の態度」が要になります。
かつ、一種の異種交流、異文化の飲み込みを「スリリング」「面白い」「興味深い」と腹の底からユーモアをもって笑えるか、飛び込んでも戻ってくる勇気があるか、
このあたりの「自己洞察」が勝負の分かれ目な気がします。
マジメなモードで書きました。
同じ刺激でも、
つまり他人という異種との交流、他者という異文化体験でも、
ストレスフル⚡に感じる方、負担に思う方、ムリ難題のように解釈する方がいますので💦
そう、「刺激への反応」はひとそれぞれ=個人的な意味づけ
って話に戻るんだな、これが。苦笑
例えば、同じソファーがあっても
①「柔らかくて気持ちイイ♥」
って感じる人と
②「あ、これ自分の腰にはダメなやつだ」😢
って記憶と照合して判断する人と
③「あ、高級な皮革!すご~い」(笑)
などとそちらの方向へ想像を膨らませる人と、まあ、無限にいろんな人々……いますよね💦
で、どれも間違いではなく、悪くもなく、優劣も、善悪もない。
「違い」があるだけ。
ここ、腹の底から理解しましょう。
レスペクト!固有の感覚、思考、記憶、想像力、その他すべての違い!😡
みんなちがって、どーのこーのというきれいごとではなく、笑
本当に違うのだ、ということ。
したがって、よく稽古場で繰り返される
1⃣「どれが自然(条件付けされた反応のパターン)だろうか」
2⃣「どれが常識的(その特定の文化や時代において)であるか」
は比較の際の「指針の一つ」としては使えるけれども、
比較の対象がいくつもなければ効果的な比較もあまりできず 苦笑
指針が一つでは、ズレているかもしれず、ブレがあるかもしれず、
いくつかの指針を複合的に、
いわば「組み合わせ技」するのが、望ましいかと思うのです。
「指針のずれ」を少しでも減らそうという、涙ぐましい(?)努力ね💦
でも、それ含めて、演劇や音楽やダンスの面白味でもあるかなと♪
そんな風に思います。
それをストレスの素と思って排除したい方、それなら…
演劇・音楽・ダンス、たぶんあまり向いてないかもしれません。。
というか、ストレス自体は刺激だから、取り除けないね、あはは 苦笑
🐈🐈🐈
自分なり過ぎる1⃣「どれが自然(条件付けされた反応のパターン)だろうか」
自分なり過ぎる2⃣「どれが常識的(その特定の文化や時代において)であるか」
この2つから適度に離れつつ、参考までにとどめつつ、
「私なら●●する」
「僕だったら、▽はしない」
「たぶんオレの場合は今まで▲だから、○○が自然だろうな」
「一般的にはこういう『状況』なら△▽だろう」
は出発的だけにして、最終的には
「通用しない」を思い知りつつ(笑)、
ヤジ馬ではない態度で、
共感的に(同情じゃないよ!😡)、他人のことを想像して、実際に他人の立場から立体的に、自分のこととして、差し迫った「いい緊張感」をもって、「まるごと行動」できるか。共感、勇気、想像力、自尊心…たっぷりつかいたいところです。
依存や甘え、やじ馬や利己的で幼稚なその場しのぎの欲求ではなく….
週に数回は思い出したい基本です。
よ、ろ、し、く!
🐈🐈
本日のおまけ写真は他人と行った他人たちばかりが溢れる他人の国の、他人撮影による他人からみたワタシの後ろ姿…。自分のことより、面白いよね😊 素敵なことがいっぱいです。
演技コーチ/ムーヴメント指導・演出・振付/IDC認定インティマシーディレクター/STAT認定アレクサンダー・テクニーク指導者/スピーチ&プレゼンテーションコーチングActing Coach/Movement Direction/IDC qualified Intimacy Director/STAT certified Alexander Technique teacher, mSTAT, Movement Teaching/Speech and Presentation Coaching
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