旬のエクササイズ☆クラスは「つわもの向き」だったようデス

8月の「Play~」のクラス三夜間も無事に終了しました、お暑い中、皆様お疲れ様でした、ありがとうございました。

今回の目玉(?)はなんと言っても、新しい旬なエクササイズ♪私が発明し続けているエクササイズのうち、最新のものをお届けする挑戦と実験の時間💙 至福♡

…のはずが、日ごろいろいろとやってきていない若者たちには少々難しかったようです。本人がどこまでできていなと認識するか、指摘を認めるか、練習して納得するか、などは別ですが(辛口 🍛デス)

さて、エクササイズのクラスは夜3時間ずつだけだったのですが、シーンのクラスで朝10時半から、いろいろなエクササイズと課題シーン(しかも今回は古典の名作から)に取り組み続けている方々が、一番元気👊 でしたよ。(-_-;) 💦

どういうことなんだ、一体?!(彼らがスタミナありすぎなのか?!)

今回は、いろいろな動きをかなり

「意識的に」

「選択的に」

「マルチタスクで」

「交流しながら」

と言ういわば『永遠の課題』♪

の組み合わせでしたので、思考も感情もつかいつつ、運動も選びながら、声もつかいながら、リズム&テンポも意識しながら、の「ながら」の極致!(笑)でしたので、

「自分の能力をまるごとつかう」

ことに慣れていない方にはちょっと苦しかったかもしれないネ (^^ゞ

とにかく挫けずに、言い訳せずに、いろいろな提案を受け入れて、練習してみることでっす。

また新しいエクササイズ、別タイプのエクササイズ、番外編なども発明して行こうと思います♪

また次回まで~~~おつかれさまでした~あ~~~

🍉

 

戯曲(名作)を演じ/演出するために読めないヒト達の共通点?

はい、シーンクラスもまっただ中のKaoruです。夜のエクササイズ・クラスは初めての旬なエクササイズお披露目♥あと2日でどこまで伸びるかワクワク♪

指導しているとき、つかう台本などは演技そのものを磨くためには、ジャンルはコメディーでも悲劇でもホームドラマでも良いのですが、やはり緻密に意味あるキャラクターたちが描かれていて、練られている、構造のしっかりした、古今東西の(国籍とわず)古典、近代、現代の名作・傑作と呼ばれる戯曲が良いと思っています。(演出の練習にも)

今回はみなさんよい方向へ進んでいるのでいないのですが、モノローグクラス、シーンクラスを教えていて常日頃思うことは、最終的には2つです。

一つ目は

「(セリフの国語的な表面の1つの意味ではなくて)実際の人間が『やっている』事実を認識し価値を受け入れて欲しいな」

二つ目は

もっと人間らしくなっていいよ!もっと人間の良さを、もっと人間のいろいろを信じようよ!」(綺麗ごとだけではなく)

ということ。😊

学歴、年齢、キャリアの長さや所属、関係なく、この2つは共通していつも感じます。

モノローグでもシーンのクラスでも、作品のスタイルも鑑みながら、しかし、字面の意味だけの「物語」にこだわらずに、いわゆる超目的や目的やら、サブテキストなどに取り組みことになるのですが、そこで気になるのが、ちっとも実際に役の人物たちがやっている行動の「事実」を認めない方々。妄想してたり、ただあらすじ考えてたり、セリフがすべてになっていたり、感情が動いてなかったり、目的がなかったり、自我の状態がいつもの自分のままだったり…。。(T_T)

例えば、セリフの言い換えさえできれば内容わかったつもりになっているなら、それじゃ普段、あなたは思っていること、感じていること、すべて口に出しているのかい?!と尋ねたい(笑)思考だけが、相手の前で口にできることだけが、あなたの中身なんですか?と。😠

「オトナ」になる過程でいろんな事情で、特に深い感情とかないがしろにしたり、隠す術だけうまくなっていったり、表面的な機能だけ優先したり…まあ、いろいろあるとは思います。

でもね、芸術は(演劇含め)、

「人間をより人間らしくする」

と思います。

勝手な意見かもしれませんが、「人間らしさ」の定義もいろいろで誤解もあるのかもしれませんが、私はそれでも構いません。

いろいろな人間たちが(フィクション内でも)、さまざまな時代や文化風習を越えて、普遍的な深い人間の感情や葛藤や人間の正体をサブテキストや超目的に抱えて、一生懸命、ほんとの意味でまるごと「生きている」とき、

素晴らしい!!!💮

……よく、物品のように(笑)硬くて、とてつもなく「殺伐とした心象風景」の俳優がいて、深刻に驚きます💦愛もない、許しもない、情けもない、恐怖も不安も幸福も希望もない。自分にも他人にも、何の信頼も友愛もない。(謎です、普段、どうしているの?!笑)

とってもあさ~い、その場限りの、自分勝手な思い込みと凝り固まった気分みたいなもの、そしてそれを体現しちゃってる残念な身体と、これまた浅~い思考….、癖だらけのいびつな心と体。

そんなものだけで、芝居はできないのです。

そんなものだけで、芝居しようとするから、「できない」のです。

そんなものしか信じてなくて、使ってないから、苦しいのです。愉しくないのです。

最近、ますます、この2点を改めて確信した日々です。

自分のたくさんの能力を捨てないで、諦めないで、見くびらないで、大事にしつつ、磨きつつ、「つかうこと」デスね。

もっと面白く、価値ある公演のために、もっと快適で、愉快な稽古場のためにも。

 

 

 

 

 

モノローグクラスにみる「想像力」「具体的」「観念的」のせめぎあい

おかげさまで無事に8月のモノローグクラスが終わりました♪

ご参加のみなさんお暑い中、3日間お疲れさまでした。(^^♪

毎度のことではありますが、今回は特に、

「具体的」に「想像力」を自分でつかうのだ!

ということに不慣れな方々が多かった印象です。

癖なんでしょうが、①「静止画」で想像しちゃう方、(しかも時々だけ)

取り立てて考えたことがないからでしょうが、②「観念的」な言葉しか浮かばない方(で感覚は伴ってない)

はたまた、色も、音も、匂いも、五感と関係のない③「絵図」しか浮かばないでいる方(ただ受け身とも言う)

「想像」ではなく、ただ④「記憶」を思い出しちゃってる人、、、(しかも国語の意味だけだったり 💦)

たくさんいたな。。。年齢やキャリアや細かいジャンルに関わらず。(T_T)

という方々(特に若者)を責めるのは簡単ですが、それは建設的に「想像力」を生き生きと、本当の意味で俳優として自発的に使っている先輩たちが少ない証拠でもあり、大変残念ですが、誰も教えてきてない、ということなのです。

(または①教えてはいるが伝わってない、OR ② 習ったはずの人たちが忘れてる、または聞いてなかった (苦笑)のいずれかか?!)

さておき、ワタクシの特訓に耐えたつわものたちは、次回にはそれはもう解決しているはずなので、9月にステップ・アップ♪

目指したいと思います。

それまでに戯曲読解も進むといいよねっ😊

とまだまだトレーニングモードのKaoruでした。

 

芝居/演技に特殊モードは必要か?

職業柄(?)、老若男女の芝居/公演を頻繁にみていると思うのですが、どうにも……💦

「芝居/演技する」となると、おかしなモードに入って、自ら苦しんでいる「自爆型」の俳優(やパフォーマー)を目撃します。本日はそれらの代表を勝手にカテゴリー分けしてみました(^^ゞ

モード①「忍びの者」

集中してますっ👊というアピールなんだろうけど、たいていは目を停止させて、相手をみつめている時間が長く、身体は硬くて、やけにポーズっぽい不自然な動きをしていることが多い。息をひそめている姿はまるで「忍びの者」。相手役にとっては重くて苦しい、依存型の俳優という名の甘えん坊。こうなると「交流」というより「指示待ち部下」を思い出すね。90年代に寄り目で!「いかにもオレ尋常でないですっ!」て状態をわざわざ舞台で芝居中にやる人多かったけど(笑)、健康にも悪いのでやめてもらいたいって幼心(?)に思いましたよ💦 しょっちゅう息とめながら歩き回ったり、身体を緊張させたりしてて、血管(脳)に悪くないんだろうか?自己犠牲の精神かもしれませんが、観てるだけで、サスペンスでもないのに、常に息苦しいんだよ!こういう俳優が多い公演は終演後、年齢も職業もいろいろなはずのお客様の多くがやけに伸びをしてストレッチ運動をして暗い顔をしていたら『要注意』です。「真面目=苦しい」という意味じゃないからね!そんなに苦痛だったら、ユーモアも生まれないし、リズムやテンポも悪いですよ?

モード②「休日のリビング」

それなら、その反対やればいいんだ♪という短絡的で幼稚なマインドから出てきちゃったのが、「ただ寛いでいる」人々。(笑)「オレ、人前でもあがらないで居られます」のアピール、ウザいです。「人前でリラックス(過度の弛緩)するな!」と言ってやりたい。(笑)何かと手足がブラブラしがち、下手すると骨盤までフラフラしてるので、一体何様?!と思われることもしばしば。誰に向かって何を言ってるのかもわからないし、メリハリもなく、時が日常のスピードと濃度で過ぎていく…って『ホームビデオ』だよ、ただの(-_-;)  結局、普段、自分が長い時間やっている身体のつかい方をしてしまうので、「キャラクター」とか「今はいつ、これはどこ、あなたはだあれ?」といった基礎的な要素が欠けたまま。作品について何も分からない…謎は深まるばかりです。(T_T)そして、究極的な質問で申し訳ないですが「声も好きに出せず動きまわれない環境で、『普段のあなた』(たち)を2時間みるために、時間を!お金!を払わなければならないのですか?」怒り心頭です、ホント。音楽家やダンサーを見習って欲しいわ!😡

モード③「ちゃんとしてます」アピール高じて「他人事」

学級委員じゃないんだから!(笑)背骨のカーブをなくそうとする必要ないよぉ~😭不自然でしょ~。人間の背骨のカーブの様子は縦にも横にもらせんにも動くのに、だからこそ呼吸の動きなのに…。脱力は確かにいろいろな調整が効かないので困るけど、きっと誰かに「ニュートラル(中立・中庸)が大事だ」と習ったんだろうね。もちろん大切なんですが、あの~、一体何のための「ニュートラル」だったんですか?出発点とか何かの際の参照する状態としてのニュートラルだったはず。比較の対象そのものの維持が目的になってると、いつまでも「当事者」に慣れません。あのね!フツ―に考えよう!ドラマになるような状況にいて、いろんな出来事が起きてるときに、「ニュートラル」でいる訳ないでしょう!😠冷たすぎますよあなた!「中立」のお立ち場を維持したまま、感情がうごき、思考が流れ、いろいろな決断する「登場人物」はおりません、中立で意見もないのに行動して、相手と交流する方はおりません。で、種はと言うと、稽古中やエクササイズ中から、よく自分の髪の毛やシャツを直している人いるけど、それも「ちゃんとしたい病」です。髪の毛やシャツが普段通りかどうかなんか大事じゃないときに、そんなこと気にしてる =渦中にいないんです。一事が万事。身体が自然の法則に則って動かないようなニュートラルは使えません。目的と方法を取り違えないようお願いしますm(__)m

という訳で、辛口カレー部のKaoruの分析、本日はこれまでデス。

で、「じゃあ、どうすればいいのさ!」という方々へ

「お気づきでしょうか?上↑の3つに共通していることを?」

答えは……

次回!(笑)しばしお待ちください~

明日から大好きなシーンのクラス、そして夜はモノローグ道場です♥旬なエクササイズをたっぷり楽しみながら心も思考も身体も鍛える「Play,Play,Play!♪」のクラスの参加者に1名のキャンセルが出てますので、滑り込み!お申込みも可能です♡ご希望の方は詳細をご確認の上、お申込みくださいね~

🍧

 

 

初めてのラバン、無事におわりました!

猛暑の中のラバン入門になってしまふか?!と心配していた気候も幸い涼し目。(^-^;

涼しい気候に助けられて、平和にラバン入門(&おさらい)クラスが修了しました、ありがとうございました。

感覚を育てるためにも、最初はどうしてもたくさん動くので、運動が得意な方でも、初めての方は、

「とにかく運動がツライ!」(笑)

「普段と違うところが筋肉痛」💦

「いろいろ意識しきれない」(^^ゞ

という体験をしてしまうのです。しかし、それは裏を返せば、

「今までやったことのないことをやってるよ!」

「普段つかわないところも沢山使ったゼ (^^)v」

「からだも頭も心も同時に鍛えたよ!」

ということなのです。

な~んてお得♪(筋肉痛はちとツラいけど💦)

そう、一つのエクササイズで一つの目的や目標を目指していては…

日が暮れてしまいまふ!(T_T) 夜が明けてしまいますぅ~

ラバンの良いところは、1つの方法で、空間へのことだったり、時間への感覚だったり、強弱やテンポ・リズムのことも、同時に意識するマルチタスク練など、いくつもの演劇やパフォーマンスに必須の要素をいっぺんに目覚めさせられ、鍛えられること(^^♪

運動の記憶は必ず残ります

一番ツライ(笑)のは最初だけです。ご安心ください。

で、

今回のKaoruのお小言:

若者は特に、わざとでなくても、「ちょっぴり油断してしまう」、「うっかり省エネ」してしまう傾向を戒めましょう。

壮年・中堅は「今までの経験に頼りすぎ」、「すぐ比較してしまう」傾向を捨てましょう。

モノローグクラスへ進む方は、ぜひ課題をご準備くださいね!♪

なにはともあれ、誰もケガもなく無事に、みんながたくさん学んだ時間でした、お疲れ様でした~😊

 

 

 

 

 

 

充実したアレクサンダーテクニーク応用クラス

アレクサンダー・テクニークの応用クラスが無事に終了しました💙

今回はたった2日間の短い時間でしたが、4つのエクササイズとそれぞれの課題(歌、モノローグ、シーン)に取り組む時間との2部構成で、有意義な時間になりました。ご参加のみなさん、ありがとうございました。

・エクササイズを漫然とやらないこと!

・エクササイズの目的を意識しつづけること!

・エクササイズでやっていたことを「減らさずに」、歌や芝居へ応用すること~

この重要性をひとりひとりが再認識した建設的なクラスでヨカッタです、ホッ。

そう、私たちは、なぜだか「エクササイズ」をただのウォームアップのようになんとなく使ってしまいがち……助走がよくないとジャンプができないことを知っているのに。(T_T)

一般的に、エクササイズというものの価値が低いのかな???(-_-;)

そして、「エクササイズ」でやっていたことの、せっかくのいろいろを「捨てて」、

突然、「いつも通り」!課題に取り組んでしまうのです。。。💦

だから、なかなか上達しない、頭打ちになる、マンネリする。。。という仕組み。涙

以前、ロンドンの演出家と話していたときに、日本には「エクササイズ」と「公演のためのリハーサル」との「あいだ」の作業や学習内容を指導できる人も、有意義に橋渡しできる人がいないね~、という半ばお小言(?)的なコメントがあったのですが…

いや、そんなことないです! 💦

少ないかもしれませんが、数名はいます。演出家でも指導者でも個人的に知っております♥そして自分もその一人であると自負しております!!☆

好評だったアレクサンダー・テクニークの応用クラスは俳優のみならず、オペラ歌手の方、音楽家の方も一緒に学ぶ(その方がお互い学ぶこと多い)素敵な時間です。

せっかくの練習や訓練が実を結び、自分の仕事に誇りを持ち、選んだ職業に「個人的な意味」を加えるためにも…😊

次回もそれぞれが輝く「方法」をみつける良い時間にしたいと思います☆

ひとりひとり「どうやって練習したらいいか」もはっきりして、

あ~、よかった、よかった❤

ご参加のみなさま、お疲れさまでした~ (^_^)/~

 

 

 

 

やってはイケない:演技のNG集③鏡よ鏡、鏡さん?

好評の(?)やってはイケないシリーズ。鬼軍曹の怒号(?!)が飛んだ場面…それは…

鏡!

そう、演劇では導入エクササイズとしていろんなバージョンで登場する「ミラーリング」。私も観察のため、うごきのボキャブラリーのため、反応力のため、想像力のため….といろいろな理由で使うエクササイズですが….

けど、

その「ミラーリング」(鏡のように相手がやっていることをお互いに写し取り合う)をねぇ……

ただ、そのまま使ってどーする?!

ミラーリングしちゃってる演技(とも呼びたくないが)がどうなっているかと言うと、

……劇の一部で、与えられた状況で、俳優A演じるキャラクターA1氏が、何らかの目的のために、ある手段を使う(例えば、「説得するために、強く押す」、「からかうために、軽くつつく」、「蔑むために、継続的になでつける」という働きかけをしている、

と仮定する。

イメージしてみてね 😊

……すると、ミラーリングが起きちゃってるときというのは、お相手の俳優B演じるキャラクターB1氏も、別の人物のくせに!別の目的があるはずなのに、( 同じく、「説得するために、強く押す」、「からかうために、軽くつつく」、「蔑むために、継続的になでつける」という働きかけを繰り返しているんだわ!これが!

ひ~~~~!!!

ねむ~い 💤💤 (=_=)

こんなん繰り返されたら、みんな寝ますわ。目の前でぴろんぴろんと振り子運動されてるようなもんですよ?

苦笑!

そう、お分かりになりましたか?↑の太字のところにご注目お願いしますね~☆

あ~あ。別の人間なのに、別の目的のためなのに、同じ方法を、同じ内面アクションを、同じ内面の態度を……同じ働きかけ~~~~~ 涙。

ミラー!しちゃってるね~!💦

ダメ!ぜったい!

これは楽だし、安心だし、まとまって見えるし(一見)、同調してるから、スリルも少なくて、それぞれが責任から解放されて、落ち着くんですよぅ~ 、保守なの…感覚としては。独りよがりなんだけどね、それも

でもね、とにかく演じてることにならないんです。他人(別人格)にならない。特徴がない。性格や生い立ちの違いもない、考えかたや感情にも違いがない=交流する意味がないんです。堂々巡りだから、とほほ。(T_T)

では、お分かりにならない頑固者および鈍感な方々のために(失礼?!)再度別の例でご説明いたしませう。そう、このカラクリを指摘されても、(ココロが密かに?)屁理屈なヒト(または自立してないヒト)がやってしまふのが!

残念な次のバージョン↓

俳優Cの演じるキャラクターC1氏と俳優D演じるD1氏は、とある状況にて、

C1-1「拒否するために 強く押す」、

D1-1、「(負けじと)説得するために 強く押す」、

C1-2「(疑惑を)払いのけようと軽くつつく」、

D1-2「(おどけてみせて)不意打ちしようとあちこちから軽くつつく」、

C1-3「なんとかイエスと言わせようとあちこちを継続的になでつける」、

D1-3「「軽蔑した目つきで、負けじと素早く継続的になでつける」という

と仮定してイメージしてみてね 😊

……すると…確かに前述の例よりは?違いがあるような?物語が展開しているような?交流しているような?別人物がいるような感じなんですが…

イタリックのところ+太字のところを見比べてください!

ほら!「意図」が違っているだけ!

意図が違っていても、つかっている「方法」が同じやね~~ん 😠

動機がちょいと違うだけ~!

内面の様子、ほぼ同じ!感情の乗り物も同じになりやすい、目的達成のための方法がそっくりだなんて……

まるで…

双子!

いや、双子でも個性あるしなぁ、別の自我だし….ブツブツ….

という訳で、ミラーリングが起きちゃってるときというのは、前回にお叱りしました「カベ打ち」のようにこのミラーの仕組みを繰り返しているんだ!これが!😡

「巧みなヒト」になるとず~~~~っとミラーしてるだけなのに、微妙に「早く」してみたり、「遅らせて」みたり、「ちょっと強くして」みたり、それっぽい声だけ出してみたり….形容詞で遊んでいる、って感じ?! (-_-;)

根本の「方法(うごき)」は変えてないのに、変えているフリ!ズルいっ!泣

みなさん、本当に、世の中には、そしてその鏡の一つである演劇の作品の中には、いろいろな人物が出てきます。

決して、同じ目的、同じ方法、同じ意図、同じ手段、同じ内面、同じ思考、同じテンポ、同じリズム、同じ葛藤、同じ感情の表出…..

のうち2つも3つもの項目がぞろ目すること、無いです!

前に登場人物が4人も5人もつぎつぎとミラーしてる公演みたけど……….💤

無いデス!

慣れちゃってると、出演者同志もミラー、普段からミラー(笑)、下手すると演出家もミラーに気づかない!なんてことも…

ああ、おそろしい!💦

ミラーすることで「まとまっている」とか「一貫している」と恥ずかしくも!勘違いしている演出家がいるのも確か。。(-_-;) みなさん、自分の基準を磨きましょう!

「実際にうごいて分かる、みて分かる、聞いて分かる」Kaoruのムーヴメントで切り(斬り?)込む演技クラスへお越しくださいませ。

と宣伝になっちゃった。(^^ゞ

またね~♪

 

 

学ぶことの「☆歓び/喜び/悦び♪」を知らない不幸なヒトたち。

数年前、とある事務所の小部屋で事務方の教養ある素敵な才女と、何という事もなく、珍しくただお茶を飲みながらテレビをみていて、驚いたことがある。

Kaoru「?!」

たんたんとテレビ画面をみている二人、そして…

Kaoru「…….あの~、この方、○○の●●さんですよねえ~?」

才女「ああ、そうですよ、ちっとも変わってないですか…..?」

Kaoru「この感じ、そうですねえ、落ち着くといえば落ち着きますけど、ははは(笑)(-_-;) 水戸黄門みたいなもんですかねぇ…」

才女「まあ、そうなんでしょうねえ、面白きゃないデスけどねぇ…同じことばっかり…..」

Kaoru「飽きないんでしょうか?やってて面白いんでしょうか、本人は?」

才女「さあ?もう、そういうんじゃないんじゃないですか?何かを学んでるってわけでもないでしょうし….つまんないデスよねぇ…..」

Kaoru「…つまんないまま平気でいるって、ある意味スゴイですよね、ははは(苦笑)💦感じないんでしょうか?」

才女「興味ないんでしょうね、そういうことに。ただやってるというか…考えないんでしょうね、何にも。」

お茶をすする二人。そして….

Kaoru「いや~、まさか私が小学生の時と同じままの芝居のヒトがいるとは….笑 ただ生きてるだけで、好き嫌いはさておき、学んじゃうもんですけどねえ、いろいろと。」

才女「そうでもないでしょうねえ。ただ生きてるだけじゃねぇ。さあねえ。何にもしてないんじゃないですか?」

と、ここから、周囲の方及び一般的な若者たちの雑談へ展開していった…

それもピリ辛の 🍛 (^^;

そんな昼下がり。

結論①「ただ死なないでいるだけで、何かが学べたり、身についたり、ましてや何かができるようになったり、使えるようになる人はいない」

結論②「学びたい!勉強したい!試したい!というような(知的)好奇心は教えられない、与えられない」

😡 文字にしてみると、至極当たり前で恥ずかしいが、忘れてるヒト、やたらいるみたい。

この「何にもしてないんじゃないですか」にグサッときた私は、ロンドンでもうるさく言われた(笑)「生涯学習」への決意を新たにしたのだった。な、なるほど…専門家でなくても、他人に伝わるのだな….ひいいいいィ~ (T_T)

***

演劇の恩師たちの一人に、日本では特にお世話になった今は亡き俳優のA先生がいるのだが、その先生は特に「勉強の鬼!」であった。

私邸の半分しか私は立ち入ったことがないので知らないが、それでも、どの部屋もまるで書庫であり、資料室であり、実験室であり、稽古場であった。演劇とその周辺だけに留まらない膨大なコレクションは、先生の演劇、舞台芸術への追求の証であり、先生の知的好奇心の溢れんばかりの現れで、私たち若手が勝手に読みあさって(有り難い!)、糧にしてよい素晴らしい栄養であった。そして60過ぎて(通信制だが)大学へ入学し、卒論を書き、卒業した!しかもバリバリ毎日働きながら!体力ありすぎ、センセイっ!(笑)

A先生はよく言っていた、

「おまえたちねぇ、学べるってことは、すごいことなんだよぅ。戦争で勉強できなかったからね、学びたいんだ、もう一度。ちゃんと学びたいんだ。学べば、いろんなことが分かるんだから、芸の肥やしにだって、なるんだから。知るってなぁ、調べるってねぇ、面白いんだよぉ~☆文章だってさぁ~、学ぶってなぁ、楽しいんだよぉ~♪」

と目を輝かせて、少年のように夜な夜な演劇クラスの合間に熱くホクホク語る先生。

未熟者(当時17歳~20歳)の私は、その度に言葉を持ち合わせておらず、ただ、

「そ、そうですか。」とか「へ~え」とか「ふ~~~~ん」

などとしか言えなかった。

….愚か者!Kaoruよ!

今、分かります、先生の言っていた言葉の真意が、そしてその価値が。感謝!!!

時間は平等に流れます。

無駄はないとは言わないけれど、学ばなければ、当然、多くの知識や教養・素養、数々の能力は体力とともに放っておくだけなら衰えるでしょう。自分にがっかりすることも増え、愉快でない時間も増え、つまらない方法ばかり使うように、その場しのぎになります。

そう…レベルはさておき、スポーツやダンスと同じで、

「楽しむにも(何らかの)継続的な学習が必要」

こんな勉強好きのA先生に感化されたのか、その後、ロンドン大へ進学したKaoruでしたが、そこで出会ったのは、さらに輪をかけて勉強好き・学習好きな演劇&舞台表現学科の先生たち仲間たちでした。

日本の大学や養成所で教え始めて、はや十年以上が経ちますが、

・新しいことを学ぶ嬉しさ、

・異なった方法を学ぶ楽しさ、

・学ぶことで、自分がより自由になっていく解放感、

・何か(語学でもダンスでも歌唱でも知識でも)を身につけることで、新しい感じ方、ものごとの見方、いろいろなものの聞こえ方、その他、世界とのつきあいが変わる感覚、

・できないと思っていたことができるようになる快感、自尊心

・苦手なことが減る安心感、信頼感、自信

・他人と共有できることが増える喜び、愉快さ

などなど….を味わったことがない人は(個人的な意見ですが 笑)「不幸」だと思います。(断言。)

で、8年の留学を経て、日本に帰国して驚いたのが、

8年前と同じ内容で悩んでいる人、8年前に現状の把握が済んでいたはずの人々が…

何もせずにいたこと!!

問題たち、解決してな~~~~い!

😠

養成所を出たときが能力開発&能力発揮のピークだったと思しき方々をみるととっても残念な気持ちになります。うごき、声、演技の質、交流、感情のこと、想像力、その他…..学生や見習い期間が(公式に)過ぎた後、何にもしてないと、「つかえる方法」が減ります。そうです、工夫してないのですから、負荷がかかってないのですから。

筋肉が落ちるのと同じように、脳もつかわないでいちゃうよね。で、退化する、と。

でも、退化している本人は気づかない。慣れていっているから、徐々に。老いと同じです、残念ながら。身体なんて、特に目立ってそう、見えづらいだけで、心も同じ、頭も同じ。

よく、子どもの幼稚園や小学校の運動会で数年ぶりに運動をがんばっちゃった父母がケガしているけど(笑)、それと同じよね。無理できない体になっているし、無理できる余地もない。無理を感じ取る感覚も鈍っているのだから。

😢

そう、ワタクシごとですが、

数年ぶりに、無理やりがんばって(笑)つくった母のお正月用の煮物は超!まずかった。

母曰く「だって、こんなの何年も作ってないもん!忘れちゃったわよ!」

不味い煮物を肴に…..

そう、何事も練習が大事。

つかわなければ、一度身につけたはずのスキルも感覚も衰える。

と改めて確信した日々です。

かく言うワタクシも、ピアノは8年近く(毎週レッスン)習っていましたが、現在、まったく弾けません。そう、20年以上練習していないからです!(◎_◎;)💦もったいないことをしました。反省。。

 

 

 

 

 

「戯曲(台本)が読めない」という由々しき事態

マジメな話題💛日々、痛感していることです。☆

「戯曲をよむ」ということが、一体どういう事なのか、戯曲とは何だろう?ということが、前提からして、すでに、どうにも分かってない俳優及び演出家(+スタッフワークも)現象がやけに目立つのは何故ですか?はて、はて?

戯曲を読めてないし、読めている人達の集団が指導したり、創作したりしていること自体も稀なようなんですが…気のせいでしょうか?

私はあちこちの客席で(悪い意味で)度肝を抜かれておりまっす!😡

そりゃ、若者が戯曲を読めないのは当然なわけで……

だって「良い見本」が身近にたくさん無いんだもの!!(T_T)

で当然、憂い、嘆いているわけです、特に長く生きてきたヒトや自力で勉強してきた人達は(私も)。

演出家「どうしてちゃんと台本読んでこないのか?もっと考えてこい!」

コーチ・指導者「しっかり読みこめば、分かるだろう?読解してきて」

先生方・現場人「最近の若者は本が読めない。最近の子は台本がちっとも分かってない」

…あのね、そりゃ、そーですよ!

若きヒヨコが夢中になるほどの「優れた見本」が周りにたくさん無いんです!(T_T)

映画にしろ、TVにしろ、舞台公演にしろ…まず、素晴らしい内外の「名作」と呼ばれるものの上演がとても少ないです。(あっても高い&都市部だけだ)もちろん映画やTVでしたらDVDもあるんですが、それを大量に観て来なかった、率先して周囲へも勧めてこなかった、そして若者達のそばにいつも名作たちを置いてこなかったのは、私たちとその上の世代の責任でもあります。

そして古典に限らず、近代・現代のものでも、戯曲読解や分析に耐えうるだけの(!)、作品にチャレンジしている現場や養成機関のいかに少ないことか💦中身のない台本や半分素人みたいなテキストや、テキトーな枠組みでお茶を濁したり、自分(指導側・演出側)の不勉強を隠すことはカンタンですよ。

そんな環境を選べずに生まれ、育ってきた若者たちに、

「ほら、もっと勉強しろ!」「台本を読みこめ!」「なんで戯曲読めないんだ?」

と憂い、嘆いたって、そりゃ~、酷ってもんですぜ、兄さん(姐さん)。(笑)

なんだか理屈は分からないけど(実際は綿密に作られているのだが)とにかく面白くて夢中になれるような、魅力的な名作の、かつ素晴らしい!と言えるレベルの上演もなかなか多くない中、どうやって夢中になれと?!

この世にきて、たった20年程度のアタシに(当時)どうやってこんな山を一人で、素手で掘り下げろと?!

そう、これはかつての私が日本で大学生だった時代に、何百本か芝居を観ていて(映画も大量に)、感じていたことでもあります。(それでロンドン大へ 苦笑)

古今東西の秀作・傑作をつかっての勉強の機会や、ましてや、それを根気強~~く、長~~い時間をかけて解きほぐし、演技の実際と演出の実験をたくさん丁寧にする、基礎からの指導もできる(しかもをそれを喜んでやる)演出家がとても少ない中(彼らも苦境から独学のことが多い)….

そう、若き演劇人およびそのヒヨコたちも、憂い、嘆いています。

「今まで誰も教えてくれなかった!」

「なにも、どこから始めたらいいのか分からなくて…本は好きですけど…」

「一応(養成所やクラスや現場で)やったけど、ホントは分かってないんで困ってます」

「国語の読解ですよね?えっ、できてるつもりです。えっ?できてませんか?」

「う~ん、読めてはいるはずなんですが、演じられないんです…」

😡

これ、みーーーーんな、今までに私が直接、言われた言葉です。

なぜ、こんな悲劇が?!💦

が~~~ん!

え~~っと、まず、確かに「国語」はできた方が良いです。

常に、歴史や生物や、いわゆるフツーのお勉強はできるにこしたことはありません。

でも「小説」などの文学とも違います。戯曲は上演されることを前提に書かれていますので、「上演のためのもろもろ」を鑑みて読まないと、さっぱりイメージの湧かない、この世に初めて生を受けた新しすぎる「発明品」の取扱い説明書のように「すべてが謎!」です。

そりゃ、そーです。赤の他人が、(多くの場合一人で)「言葉」をつかって作りあげて、「文字」をつかって伝えようとしている世界です。母国語だからって分かるわけではない。生い立ちも、時代も、往々にしてまったく知らんヒトが、「文字だけでは伝わらないから」演劇の上演台本であったり(元ネタの)戯曲を書いているのにも関わらず、「文字」をつかってるんだよ~~~ぅ。最悪、それがさらに別言語に翻訳されてるっていう…(-_-;) Orz…..

そう! そこに、すでに大きな哲学的矛盾が!(T_T)

文字だけで伝わらないことのために、文字をつかって記し伝える……嗚呼、悲しき哉…

さて、じゃ、どうしたらいいのかな?

ただ、たくさん読めばいいのかな?やたら芝居をみればいいのかな?

本日のアドバイス「まず、名作と呼ばれる古今東西の小説を読んでみましょう」

最近は、フォントが読みやすいものや、新訳と呼ばれるものも増えていますので、お試しください!で、1回読んでピンと来なくても、がっかりしないで、他のものもガンガン読んでみることです。で、気に入らなかったら、別の作家のでも構わないんです。とにかく、「文字」で伝えるというモードに慣れること。

「文字」という記号を自分の「想像力」や「記憶」をつかって脳内妄想モード(笑)へ切り替える練習をすればいいの。カンタン、カンタン♪

趣味や興味あるジャンル関連の小説なら一石二鳥!ですしね!(^^)!

おって、戯曲を読むための「上演のためのもろもろを鑑みて読む」のなんたるかについては、解説していきたいとおもいま~す。

 

 

 

 

 

やってはイケない:演技のNG集②独りカベ打ち!

演技ってのはな~、「リアクション(反応)」なんだよぉ~

といううんちく(?)が流行って、はやウン十年。そう、歴史はちょい古いのデス。

その昔、私も大学やら養成所やら、あちこちで聞いた懐かしいフレーズ(笑)

で、その出典はというと(私のロンドン大学時代のリサーチによると)おそらくアメリカの一部の演技教室のActing is Reaction!という派みたいね。。でそれがActing is Believing!という想像力重視な人達とちょいとぶつかったって言う…苦笑 (-_-;)

さておき、本当にそうなの?

それで、演技できちゃう?

反応してれば、ドラマが進むのかい?反応だけで人物造形がハッキリするんですか~?戯曲の構造に堪えられるのかしら~ん???

いいえ!NO!

反応、それは、確かに大切だし、必要だし、もちろん自然なことなんですが…(◎_◎;)

どうも、多くの場面で「反応して!」、「リアクション足りない」、「リアクションが悪い」、「反応が違うよ」などと演出家や相手役やコーチに言われるとき、

それは、

「応答」を意味しているようなのですよ。。。💦

で、その「反応」しているって思ってる人達が実際にやっていることをみてみると、往々にして、

「反射」してるんだね、これが。。。

ここが、誤解の始まり、すれ違いの悲劇。。。(T_T)

Oh….no…..😭

そう、

刺激の受容(感覚器官を通じて)→ 反射(生命にかかわるような+条件反射)

だけだと、ただの「自分」です。(笑)

刺激の受容(感覚器官を通じて)→反射+「反応」しないとね~

この「+反応」の部分がいわゆる流行っていた「反応」のことなんだ。(^-^;

例:電話の音が聞こえる(刺激の耳による受容)

→予期してなかったので驚く(生命維持と学習された条件による反射)

→「誰かな?」と思う&昨日の事件(言われた事等)を思い出す

(ココが反応&情報の消化)

→相手の顔が思い浮かび、真実を聞き出そうと何らかの方法を想像し始める

(もう1段階の反応:内面のアクションへ)

→電話に向かって、不安を感じながら、歩きはじめる(身体行動へ)

かな?ちょっとおおざっぱですが(笑)

ですので、「反射」部分しかしてない人の演技は、まるで「カベ打ち」です!(T_T)

残念ながら、よく見かけるのが、ただ驚いている人達(笑)

そりゃね、驚くよね、いろんな場面で、いろいろな相手のさまざまに…..だって…

ドラマ!だから!(笑)

驚くことが多くて、当然です。

だからって、ただ驚いているだけじゃ、演技になってないのよ。😠

どういう考えを持つ人なのか、どんな様子で、何を感じる人なのか、それらがどう行動へつながっていくのか、という美味しいところを捨てちゃってるんだな。

あ~、もったいない。

「独りでカベ打ち」しててどうするの~!?確かに楽なんだけど(笑)、それって試合じゃないのよ。

ただ「願ってる」ヒトも重くてウザかったけど(笑)、ただ「驚いてる」ヒトも思考も感情も深くなくて、とっても悲しい。。。😡

その先を知りたいのに~、感じたいのに~、共感したいのにィ~ (T_T)

反射だけしてる「カベ打ち」の「驚いてるだけ」の亜種には、

ただ「困ってるだけ」、ただ「躊躇してるだけ」ってのもあるよ。

そりゃ、「困ってる」に決まってるよね、戯曲のほとんどが「問題解決」なんだから!!これまた、戯曲の構図やドラマの仕組みを考えれば分かるはずよ!

…というわけで、

ただ「驚いている」、ただ「困っている」

のは、やめましょう!

思考も感情もつかってなんぼです。条件反射だけじゃ、ダメよ。

ちゃん、ちゃん。