演技のカラクリ:①自然な反応の仕組み

戯曲読解の回に、何回もしつこく(!)

① まず「事実」に基づいて台本を読む(ただの妄想や希望的観測や印象でなく!)、

② 事実と事実から想像できることを分ける(事実はセリフではなく、行動だ!)

③ その後、戯曲構造に矛盾しないよう戯曲に書かれている因果関係などを分析する、

と書いてきました。

で、その先はというと、

④ 役の人物の感覚、生活、行動の事実を捉え、そのあとに身体化、視覚化、具現化し、さらに膨らませよ!

というのが概要なんですが (^-^;

リクエストに応じまして(笑)サービス♥

本日はその先の演技の実際のお話を紹介しておきますネ。

演じるときの「事実」=役の人物が実際にやっていること(行動)をどう演じるためにつかったらいいの?という役の人物の「反応」のお話です💙

役の人物も私たち人間たちと同じように、世界は違えど(笑)いろいろな時間に、いろいろな場所で、さまざまな人間関係の中で、みて、きいて、感じて、考えて、交流して、行動しています。変化しているのだ。この「変化」が肝、大事。

その「みて」、「きいて」、「感じて」、「考えて」、「交流する」+「行動する」というのは、実際には(究極的には存在しえない)「事実(現実)に対して」ではなく、役の人物自身のいわゆる「内面世界・内的状態」を通しての「反応」です。

確かに、目の前で起きていること、みえているもの、きこえているものに対しての「反応」なんですが、反応が「どのように」(無意識でも意識的でも)選ばれて出てくるのかについては、内面からなんですね。そして、この反応の連続が役の人物の「変化」です。ついでに言うと劇の場合、たいてい何らかの「イベント」(出来事)が直接のきっかけになっています。(がその前に間接的な理由は多数あります)

そう、実際に生きている私たちとそこも同じなのです。

*戯曲の人物だからといって「美化」されないよ💦そこ、要注意。(^^ゞ

自分たちと同じように、

今はいつで、ここはどこで、

自分は誰で、そして誰と?いま誰に向かって?

何を?何のために?どんな風に?

過去の記憶と比べて、どうなの?

どんな気持ち?感情は?どんな考え?思考は?

心の、頭の奥底には何がある???欲求、願望、願い、恐れ、超目的……..

そ、そ。そうなのデス。😊

役の人物の彼/彼女自身の生い立ちや環境に由来する「信条」とか、

その時代や文化風習、教育や家庭内での役割や職業が故の「行動様式」やいろいろな行動の「優先順位」、行動の「価値基準」、

役の人物にだってある「偏見」や「感情のクセ」……

役の人物だって、完璧な人間じゃないんだ!😊 笑

役作りとかキャラクターと言うと、すぐ1人の人物像を「固定」してこれだ!と「保持」したがるヒトいるけど、そういう演技ってステレオタイプ。嘘で、浅く、一面的で幼稚、とにかくつまらない。(なんか人間をバカにしている感じなんですよぅ。)

何より、実際の人間の仕組みを反映していないよね。

実際の人間の「仕組み」を通して「演じる」と上手くいきます。

それが「自然」ってヤツ☆😉

簡略化すると、

刺激は「外」から来るけど、

反応は「内」から来る、

という仕組み。

だから「原因」は内にあって、外は「結果」なのだ。(哲学的には鶏と卵ですが^^;)分かったかな?そのため、逆をやっちゃうと失敗するよ、意味分かるカナ?

例えば…

初対面の人にあったとき、(勝手に)まだ特に話も深くしていないのに、なんとなく「このひと、いいな♡」とか「信用できそうだな」って思っちゃうことあるけど(笑)それは、現実世界での状況もあるけど、何より、自分が今、「あ、幼稚園の時の●●先生に似てる♪」と無意識に投影を始めていたり、(たまたま)相手が似たような趣味の服を着ていることで、同じようなグループ意識に「属している」と判断したり、その服の色や形から昨日みた映画のシーンや先週みた広告を思い出して、(自動的に)連想したり…….こうやって、イメージが出来上がっていっているのよねぇ。。で、自分の中で思い出している「記憶」からのイメージや想像に対して感じていることが「感覚」とざっくり呼ばれているのだ。

そう、直接、物質や相手や環境から感じているものではないのだ

「投影した」のも、「属していると判断した」のも、「イメージして連想」したのも張本人。そして刺激されて起きてきた「記憶」も本人のもの

=「解釈」という一種の手間がかかっているのだよ。(ほぼ無意識、習慣的なモノですが)

だから、

まるで自分の内からすべてのイメージや感覚が湧き上がってきているような「感覚」がするけれども、それは中継している感覚器官(目・耳・鼻など)が自分の身体だからであって、実際には、相手の服の色や形や相手の声や匂いなどの「刺激」は自分(俳優/キャラクター)の外から来ているのだ。

したがって、

ただ、舞台上(稽古場)にあるものを客観的な事実としてフツ―に「みて」、「きいて」、俳優自身が状況を「感じて」、ストーリーを「想像して」るだけだと…….

….

ただの「観察」

になります。

いや、ホント、文字にすると笑ってしまいますが、ホントです。いるよね、舞台上でウロウロして、ただなにかを見てるらしきヒト。。。

観察、してちゃイケない。ダメ、絶対!😡

それ、「傍観者」デス、「当事者」になってない!

さあ♪ただ「観察」してないで、「反応」しましょう。

前述の、刺激と反応の仕組みを思い出して(↑)、反応すればいいんです。

カンタン!

そう、勘の良い方々はもうお分かりですね。

「投影した」、「想像した、連想した、イメージした」、「思い出した」

の部分を

「役の人物(キャラクター)」を反映して、自分の「感覚器官を通じて」、

人間の仕組みを省かずにやればいいんだよ。😊

目の前で起きていること、みえているもの、きこえているものに対しての「反応」が俳優のままだと「自意識問題」も手伝って、苦しく難しいものなり易いです。俳優がただ「観察」しちゃってると、『個人的な感覚体験を伴ったもの』にならないです。(T_T)

反応が「どのように」選ばれて出てくるのかについては、内面からです。

そう、実際に生きている私たちとそこも同じなのです。

本日はここまででいかがでしょう?

とりあえずこの「刺激は外から、反応は内から」を整理整頓してちょーだい。

まずは自分が普段どうしているのかな、の分析がおススメ。

皆様、良い週末を~、ば~い✋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戯曲(名作)を演じ/演出するために読めないヒト達の共通点?

はい、シーンクラスもまっただ中のKaoruです。夜のエクササイズ・クラスは初めての旬なエクササイズお披露目♥あと2日でどこまで伸びるかワクワク♪

指導しているとき、つかう台本などは演技そのものを磨くためには、ジャンルはコメディーでも悲劇でもホームドラマでも良いのですが、やはり緻密に意味あるキャラクターたちが描かれていて、練られている、構造のしっかりした、古今東西の(国籍とわず)古典、近代、現代の名作・傑作と呼ばれる戯曲が良いと思っています。(演出の練習にも)

今回はみなさんよい方向へ進んでいるのでいないのですが、モノローグクラス、シーンクラスを教えていて常日頃思うことは、最終的には2つです。

一つ目は

「(セリフの国語的な表面の1つの意味ではなくて)実際の人間が『やっている』事実を認識し価値を受け入れて欲しいな」

二つ目は

もっと人間らしくなっていいよ!もっと人間の良さを、もっと人間のいろいろを信じようよ!」(綺麗ごとだけではなく)

ということ。😊

学歴、年齢、キャリアの長さや所属、関係なく、この2つは共通していつも感じます。

モノローグでもシーンのクラスでも、作品のスタイルも鑑みながら、しかし、字面の意味だけの「物語」にこだわらずに、いわゆる超目的や目的やら、サブテキストなどに取り組みことになるのですが、そこで気になるのが、ちっとも実際に役の人物たちがやっている行動の「事実」を認めない方々。妄想してたり、ただあらすじ考えてたり、セリフがすべてになっていたり、感情が動いてなかったり、目的がなかったり、自我の状態がいつもの自分のままだったり…。。(T_T)

例えば、セリフの言い換えさえできれば内容わかったつもりになっているなら、それじゃ普段、あなたは思っていること、感じていること、すべて口に出しているのかい?!と尋ねたい(笑)思考だけが、相手の前で口にできることだけが、あなたの中身なんですか?と。😠

「オトナ」になる過程でいろんな事情で、特に深い感情とかないがしろにしたり、隠す術だけうまくなっていったり、表面的な機能だけ優先したり…まあ、いろいろあるとは思います。

でもね、芸術は(演劇含め)、

「人間をより人間らしくする」

と思います。

勝手な意見かもしれませんが、「人間らしさ」の定義もいろいろで誤解もあるのかもしれませんが、私はそれでも構いません。

いろいろな人間たちが(フィクション内でも)、さまざまな時代や文化風習を越えて、普遍的な深い人間の感情や葛藤や人間の正体をサブテキストや超目的に抱えて、一生懸命、ほんとの意味でまるごと「生きている」とき、

素晴らしい!!!💮

……よく、物品のように(笑)硬くて、とてつもなく「殺伐とした心象風景」の俳優がいて、深刻に驚きます💦愛もない、許しもない、情けもない、恐怖も不安も幸福も希望もない。自分にも他人にも、何の信頼も友愛もない。(謎です、普段、どうしているの?!笑)

とってもあさ~い、その場限りの、自分勝手な思い込みと凝り固まった気分みたいなもの、そしてそれを体現しちゃってる残念な身体と、これまた浅~い思考….、癖だらけのいびつな心と体。

そんなものだけで、芝居はできないのです。

そんなものだけで、芝居しようとするから、「できない」のです。

そんなものしか信じてなくて、使ってないから、苦しいのです。愉しくないのです。

最近、ますます、この2点を改めて確信した日々です。

自分のたくさんの能力を捨てないで、諦めないで、見くびらないで、大事にしつつ、磨きつつ、「つかうこと」デスね。

もっと面白く、価値ある公演のために、もっと快適で、愉快な稽古場のためにも。

 

 

 

 

 

モノローグクラスにみる「想像力」「具体的」「観念的」のせめぎあい

おかげさまで無事に8月のモノローグクラスが終わりました♪

ご参加のみなさんお暑い中、3日間お疲れさまでした。(^^♪

毎度のことではありますが、今回は特に、

「具体的」に「想像力」を自分でつかうのだ!

ということに不慣れな方々が多かった印象です。

癖なんでしょうが、①「静止画」で想像しちゃう方、(しかも時々だけ)

取り立てて考えたことがないからでしょうが、②「観念的」な言葉しか浮かばない方(で感覚は伴ってない)

はたまた、色も、音も、匂いも、五感と関係のない③「絵図」しか浮かばないでいる方(ただ受け身とも言う)

「想像」ではなく、ただ④「記憶」を思い出しちゃってる人、、、(しかも国語の意味だけだったり 💦)

たくさんいたな。。。年齢やキャリアや細かいジャンルに関わらず。(T_T)

という方々(特に若者)を責めるのは簡単ですが、それは建設的に「想像力」を生き生きと、本当の意味で俳優として自発的に使っている先輩たちが少ない証拠でもあり、大変残念ですが、誰も教えてきてない、ということなのです。

(または①教えてはいるが伝わってない、OR ② 習ったはずの人たちが忘れてる、または聞いてなかった (苦笑)のいずれかか?!)

さておき、ワタクシの特訓に耐えたつわものたちは、次回にはそれはもう解決しているはずなので、9月にステップ・アップ♪

目指したいと思います。

それまでに戯曲読解も進むといいよねっ😊

とまだまだトレーニングモードのKaoruでした。

 

芝居/演技に特殊モードは必要か?

職業柄(?)、老若男女の芝居/公演を頻繁にみていると思うのですが、どうにも……💦

「芝居/演技する」となると、おかしなモードに入って、自ら苦しんでいる「自爆型」の俳優(やパフォーマー)を目撃します。本日はそれらの代表を勝手にカテゴリー分けしてみました(^^ゞ

モード①「忍びの者」

集中してますっ👊というアピールなんだろうけど、たいていは目を停止させて、相手をみつめている時間が長く、身体は硬くて、やけにポーズっぽい不自然な動きをしていることが多い。息をひそめている姿はまるで「忍びの者」。相手役にとっては重くて苦しい、依存型の俳優という名の甘えん坊。こうなると「交流」というより「指示待ち部下」を思い出すね。90年代に寄り目で!「いかにもオレ尋常でないですっ!」て状態をわざわざ舞台で芝居中にやる人多かったけど(笑)、健康にも悪いのでやめてもらいたいって幼心(?)に思いましたよ💦 しょっちゅう息とめながら歩き回ったり、身体を緊張させたりしてて、血管(脳)に悪くないんだろうか?自己犠牲の精神かもしれませんが、観てるだけで、サスペンスでもないのに、常に息苦しいんだよ!こういう俳優が多い公演は終演後、年齢も職業もいろいろなはずのお客様の多くがやけに伸びをしてストレッチ運動をして暗い顔をしていたら『要注意』です。「真面目=苦しい」という意味じゃないからね!そんなに苦痛だったら、ユーモアも生まれないし、リズムやテンポも悪いですよ?

モード②「休日のリビング」

それなら、その反対やればいいんだ♪という短絡的で幼稚なマインドから出てきちゃったのが、「ただ寛いでいる」人々。(笑)「オレ、人前でもあがらないで居られます」のアピール、ウザいです。「人前でリラックス(過度の弛緩)するな!」と言ってやりたい。(笑)何かと手足がブラブラしがち、下手すると骨盤までフラフラしてるので、一体何様?!と思われることもしばしば。誰に向かって何を言ってるのかもわからないし、メリハリもなく、時が日常のスピードと濃度で過ぎていく…って『ホームビデオ』だよ、ただの(-_-;)  結局、普段、自分が長い時間やっている身体のつかい方をしてしまうので、「キャラクター」とか「今はいつ、これはどこ、あなたはだあれ?」といった基礎的な要素が欠けたまま。作品について何も分からない…謎は深まるばかりです。(T_T)そして、究極的な質問で申し訳ないですが「声も好きに出せず動きまわれない環境で、『普段のあなた』(たち)を2時間みるために、時間を!お金!を払わなければならないのですか?」怒り心頭です、ホント。音楽家やダンサーを見習って欲しいわ!😡

モード③「ちゃんとしてます」アピール高じて「他人事」

学級委員じゃないんだから!(笑)背骨のカーブをなくそうとする必要ないよぉ~😭不自然でしょ~。人間の背骨のカーブの様子は縦にも横にもらせんにも動くのに、だからこそ呼吸の動きなのに…。脱力は確かにいろいろな調整が効かないので困るけど、きっと誰かに「ニュートラル(中立・中庸)が大事だ」と習ったんだろうね。もちろん大切なんですが、あの~、一体何のための「ニュートラル」だったんですか?出発点とか何かの際の参照する状態としてのニュートラルだったはず。比較の対象そのものの維持が目的になってると、いつまでも「当事者」に慣れません。あのね!フツ―に考えよう!ドラマになるような状況にいて、いろんな出来事が起きてるときに、「ニュートラル」でいる訳ないでしょう!😠冷たすぎますよあなた!「中立」のお立ち場を維持したまま、感情がうごき、思考が流れ、いろいろな決断する「登場人物」はおりません、中立で意見もないのに行動して、相手と交流する方はおりません。で、種はと言うと、稽古中やエクササイズ中から、よく自分の髪の毛やシャツを直している人いるけど、それも「ちゃんとしたい病」です。髪の毛やシャツが普段通りかどうかなんか大事じゃないときに、そんなこと気にしてる =渦中にいないんです。一事が万事。身体が自然の法則に則って動かないようなニュートラルは使えません。目的と方法を取り違えないようお願いしますm(__)m

という訳で、辛口カレー部のKaoruの分析、本日はこれまでデス。

で、「じゃあ、どうすればいいのさ!」という方々へ

「お気づきでしょうか?上↑の3つに共通していることを?」

答えは……

次回!(笑)しばしお待ちください~

明日から大好きなシーンのクラス、そして夜はモノローグ道場です♥旬なエクササイズをたっぷり楽しみながら心も思考も身体も鍛える「Play,Play,Play!♪」のクラスの参加者に1名のキャンセルが出てますので、滑り込み!お申込みも可能です♡ご希望の方は詳細をご確認の上、お申込みくださいね~

🍧

 

 

やってはイケない:演技のNG集③鏡よ鏡、鏡さん?

好評の(?)やってはイケないシリーズ。鬼軍曹の怒号(?!)が飛んだ場面…それは…

鏡!

そう、演劇では導入エクササイズとしていろんなバージョンで登場する「ミラーリング」。私も観察のため、うごきのボキャブラリーのため、反応力のため、想像力のため….といろいろな理由で使うエクササイズですが….

けど、

その「ミラーリング」(鏡のように相手がやっていることをお互いに写し取り合う)をねぇ……

ただ、そのまま使ってどーする?!

ミラーリングしちゃってる演技(とも呼びたくないが)がどうなっているかと言うと、

……劇の一部で、与えられた状況で、俳優A演じるキャラクターA1氏が、何らかの目的のために、ある手段を使う(例えば、「説得するために、強く押す」、「からかうために、軽くつつく」、「蔑むために、継続的になでつける」という働きかけをしている、

と仮定する。

イメージしてみてね 😊

……すると、ミラーリングが起きちゃってるときというのは、お相手の俳優B演じるキャラクターB1氏も、別の人物のくせに!別の目的があるはずなのに、( 同じく、「説得するために、強く押す」、「からかうために、軽くつつく」、「蔑むために、継続的になでつける」という働きかけを繰り返しているんだわ!これが!

ひ~~~~!!!

ねむ~い 💤💤 (=_=)

こんなん繰り返されたら、みんな寝ますわ。目の前でぴろんぴろんと振り子運動されてるようなもんですよ?

苦笑!

そう、お分かりになりましたか?↑の太字のところにご注目お願いしますね~☆

あ~あ。別の人間なのに、別の目的のためなのに、同じ方法を、同じ内面アクションを、同じ内面の態度を……同じ働きかけ~~~~~ 涙。

ミラー!しちゃってるね~!💦

ダメ!ぜったい!

これは楽だし、安心だし、まとまって見えるし(一見)、同調してるから、スリルも少なくて、それぞれが責任から解放されて、落ち着くんですよぅ~ 、保守なの…感覚としては。独りよがりなんだけどね、それも

でもね、とにかく演じてることにならないんです。他人(別人格)にならない。特徴がない。性格や生い立ちの違いもない、考えかたや感情にも違いがない=交流する意味がないんです。堂々巡りだから、とほほ。(T_T)

では、お分かりにならない頑固者および鈍感な方々のために(失礼?!)再度別の例でご説明いたしませう。そう、このカラクリを指摘されても、(ココロが密かに?)屁理屈なヒト(または自立してないヒト)がやってしまふのが!

残念な次のバージョン↓

俳優Cの演じるキャラクターC1氏と俳優D演じるD1氏は、とある状況にて、

C1-1「拒否するために 強く押す」、

D1-1、「(負けじと)説得するために 強く押す」、

C1-2「(疑惑を)払いのけようと軽くつつく」、

D1-2「(おどけてみせて)不意打ちしようとあちこちから軽くつつく」、

C1-3「なんとかイエスと言わせようとあちこちを継続的になでつける」、

D1-3「「軽蔑した目つきで、負けじと素早く継続的になでつける」という

と仮定してイメージしてみてね 😊

……すると…確かに前述の例よりは?違いがあるような?物語が展開しているような?交流しているような?別人物がいるような感じなんですが…

イタリックのところ+太字のところを見比べてください!

ほら!「意図」が違っているだけ!

意図が違っていても、つかっている「方法」が同じやね~~ん 😠

動機がちょいと違うだけ~!

内面の様子、ほぼ同じ!感情の乗り物も同じになりやすい、目的達成のための方法がそっくりだなんて……

まるで…

双子!

いや、双子でも個性あるしなぁ、別の自我だし….ブツブツ….

という訳で、ミラーリングが起きちゃってるときというのは、前回にお叱りしました「カベ打ち」のようにこのミラーの仕組みを繰り返しているんだ!これが!😡

「巧みなヒト」になるとず~~~~っとミラーしてるだけなのに、微妙に「早く」してみたり、「遅らせて」みたり、「ちょっと強くして」みたり、それっぽい声だけ出してみたり….形容詞で遊んでいる、って感じ?! (-_-;)

根本の「方法(うごき)」は変えてないのに、変えているフリ!ズルいっ!泣

みなさん、本当に、世の中には、そしてその鏡の一つである演劇の作品の中には、いろいろな人物が出てきます。

決して、同じ目的、同じ方法、同じ意図、同じ手段、同じ内面、同じ思考、同じテンポ、同じリズム、同じ葛藤、同じ感情の表出…..

のうち2つも3つもの項目がぞろ目すること、無いです!

前に登場人物が4人も5人もつぎつぎとミラーしてる公演みたけど……….💤

無いデス!

慣れちゃってると、出演者同志もミラー、普段からミラー(笑)、下手すると演出家もミラーに気づかない!なんてことも…

ああ、おそろしい!💦

ミラーすることで「まとまっている」とか「一貫している」と恥ずかしくも!勘違いしている演出家がいるのも確か。。(-_-;) みなさん、自分の基準を磨きましょう!

「実際にうごいて分かる、みて分かる、聞いて分かる」Kaoruのムーヴメントで切り(斬り?)込む演技クラスへお越しくださいませ。

と宣伝になっちゃった。(^^ゞ

またね~♪

 

 

「戯曲(台本)が読めない」という由々しき事態

マジメな話題💛日々、痛感していることです。☆

「戯曲をよむ」ということが、一体どういう事なのか、戯曲とは何だろう?ということが、前提からして、すでに、どうにも分かってない俳優及び演出家(+スタッフワークも)現象がやけに目立つのは何故ですか?はて、はて?

戯曲を読めてないし、読めている人達の集団が指導したり、創作したりしていること自体も稀なようなんですが…気のせいでしょうか?

私はあちこちの客席で(悪い意味で)度肝を抜かれておりまっす!😡

そりゃ、若者が戯曲を読めないのは当然なわけで……

だって「良い見本」が身近にたくさん無いんだもの!!(T_T)

で当然、憂い、嘆いているわけです、特に長く生きてきたヒトや自力で勉強してきた人達は(私も)。

演出家「どうしてちゃんと台本読んでこないのか?もっと考えてこい!」

コーチ・指導者「しっかり読みこめば、分かるだろう?読解してきて」

先生方・現場人「最近の若者は本が読めない。最近の子は台本がちっとも分かってない」

…あのね、そりゃ、そーですよ!

若きヒヨコが夢中になるほどの「優れた見本」が周りにたくさん無いんです!(T_T)

映画にしろ、TVにしろ、舞台公演にしろ…まず、素晴らしい内外の「名作」と呼ばれるものの上演がとても少ないです。(あっても高い&都市部だけだ)もちろん映画やTVでしたらDVDもあるんですが、それを大量に観て来なかった、率先して周囲へも勧めてこなかった、そして若者達のそばにいつも名作たちを置いてこなかったのは、私たちとその上の世代の責任でもあります。

そして古典に限らず、近代・現代のものでも、戯曲読解や分析に耐えうるだけの(!)、作品にチャレンジしている現場や養成機関のいかに少ないことか💦中身のない台本や半分素人みたいなテキストや、テキトーな枠組みでお茶を濁したり、自分(指導側・演出側)の不勉強を隠すことはカンタンですよ。

そんな環境を選べずに生まれ、育ってきた若者たちに、

「ほら、もっと勉強しろ!」「台本を読みこめ!」「なんで戯曲読めないんだ?」

と憂い、嘆いたって、そりゃ~、酷ってもんですぜ、兄さん(姐さん)。(笑)

なんだか理屈は分からないけど(実際は綿密に作られているのだが)とにかく面白くて夢中になれるような、魅力的な名作の、かつ素晴らしい!と言えるレベルの上演もなかなか多くない中、どうやって夢中になれと?!

この世にきて、たった20年程度のアタシに(当時)どうやってこんな山を一人で、素手で掘り下げろと?!

そう、これはかつての私が日本で大学生だった時代に、何百本か芝居を観ていて(映画も大量に)、感じていたことでもあります。(それでロンドン大へ 苦笑)

古今東西の秀作・傑作をつかっての勉強の機会や、ましてや、それを根気強~~く、長~~い時間をかけて解きほぐし、演技の実際と演出の実験をたくさん丁寧にする、基礎からの指導もできる(しかもをそれを喜んでやる)演出家がとても少ない中(彼らも苦境から独学のことが多い)….

そう、若き演劇人およびそのヒヨコたちも、憂い、嘆いています。

「今まで誰も教えてくれなかった!」

「なにも、どこから始めたらいいのか分からなくて…本は好きですけど…」

「一応(養成所やクラスや現場で)やったけど、ホントは分かってないんで困ってます」

「国語の読解ですよね?えっ、できてるつもりです。えっ?できてませんか?」

「う~ん、読めてはいるはずなんですが、演じられないんです…」

😡

これ、みーーーーんな、今までに私が直接、言われた言葉です。

なぜ、こんな悲劇が?!💦

が~~~ん!

え~~っと、まず、確かに「国語」はできた方が良いです。

常に、歴史や生物や、いわゆるフツーのお勉強はできるにこしたことはありません。

でも「小説」などの文学とも違います。戯曲は上演されることを前提に書かれていますので、「上演のためのもろもろ」を鑑みて読まないと、さっぱりイメージの湧かない、この世に初めて生を受けた新しすぎる「発明品」の取扱い説明書のように「すべてが謎!」です。

そりゃ、そーです。赤の他人が、(多くの場合一人で)「言葉」をつかって作りあげて、「文字」をつかって伝えようとしている世界です。母国語だからって分かるわけではない。生い立ちも、時代も、往々にしてまったく知らんヒトが、「文字だけでは伝わらないから」演劇の上演台本であったり(元ネタの)戯曲を書いているのにも関わらず、「文字」をつかってるんだよ~~~ぅ。最悪、それがさらに別言語に翻訳されてるっていう…(-_-;) Orz…..

そう! そこに、すでに大きな哲学的矛盾が!(T_T)

文字だけで伝わらないことのために、文字をつかって記し伝える……嗚呼、悲しき哉…

さて、じゃ、どうしたらいいのかな?

ただ、たくさん読めばいいのかな?やたら芝居をみればいいのかな?

本日のアドバイス「まず、名作と呼ばれる古今東西の小説を読んでみましょう」

最近は、フォントが読みやすいものや、新訳と呼ばれるものも増えていますので、お試しください!で、1回読んでピンと来なくても、がっかりしないで、他のものもガンガン読んでみることです。で、気に入らなかったら、別の作家のでも構わないんです。とにかく、「文字」で伝えるというモードに慣れること。

「文字」という記号を自分の「想像力」や「記憶」をつかって脳内妄想モード(笑)へ切り替える練習をすればいいの。カンタン、カンタン♪

趣味や興味あるジャンル関連の小説なら一石二鳥!ですしね!(^^)!

おって、戯曲を読むための「上演のためのもろもろを鑑みて読む」のなんたるかについては、解説していきたいとおもいま~す。

 

 

 

 

 

やってはイケない:演技のNG集②独りカベ打ち!

演技ってのはな~、「リアクション(反応)」なんだよぉ~

といううんちく(?)が流行って、はやウン十年。そう、歴史はちょい古いのデス。

その昔、私も大学やら養成所やら、あちこちで聞いた懐かしいフレーズ(笑)

で、その出典はというと(私のロンドン大学時代のリサーチによると)おそらくアメリカの一部の演技教室のActing is Reaction!という派みたいね。。でそれがActing is Believing!という想像力重視な人達とちょいとぶつかったって言う…苦笑 (-_-;)

さておき、本当にそうなの?

それで、演技できちゃう?

反応してれば、ドラマが進むのかい?反応だけで人物造形がハッキリするんですか~?戯曲の構造に堪えられるのかしら~ん???

いいえ!NO!

反応、それは、確かに大切だし、必要だし、もちろん自然なことなんですが…(◎_◎;)

どうも、多くの場面で「反応して!」、「リアクション足りない」、「リアクションが悪い」、「反応が違うよ」などと演出家や相手役やコーチに言われるとき、

それは、

「応答」を意味しているようなのですよ。。。💦

で、その「反応」しているって思ってる人達が実際にやっていることをみてみると、往々にして、

「反射」してるんだね、これが。。。

ここが、誤解の始まり、すれ違いの悲劇。。。(T_T)

Oh….no…..😭

そう、

刺激の受容(感覚器官を通じて)→ 反射(生命にかかわるような+条件反射)

だけだと、ただの「自分」です。(笑)

刺激の受容(感覚器官を通じて)→反射+「反応」しないとね~

この「+反応」の部分がいわゆる流行っていた「反応」のことなんだ。(^-^;

例:電話の音が聞こえる(刺激の耳による受容)

→予期してなかったので驚く(生命維持と学習された条件による反射)

→「誰かな?」と思う&昨日の事件(言われた事等)を思い出す

(ココが反応&情報の消化)

→相手の顔が思い浮かび、真実を聞き出そうと何らかの方法を想像し始める

(もう1段階の反応:内面のアクションへ)

→電話に向かって、不安を感じながら、歩きはじめる(身体行動へ)

かな?ちょっとおおざっぱですが(笑)

ですので、「反射」部分しかしてない人の演技は、まるで「カベ打ち」です!(T_T)

残念ながら、よく見かけるのが、ただ驚いている人達(笑)

そりゃね、驚くよね、いろんな場面で、いろいろな相手のさまざまに…..だって…

ドラマ!だから!(笑)

驚くことが多くて、当然です。

だからって、ただ驚いているだけじゃ、演技になってないのよ。😠

どういう考えを持つ人なのか、どんな様子で、何を感じる人なのか、それらがどう行動へつながっていくのか、という美味しいところを捨てちゃってるんだな。

あ~、もったいない。

「独りでカベ打ち」しててどうするの~!?確かに楽なんだけど(笑)、それって試合じゃないのよ。

ただ「願ってる」ヒトも重くてウザかったけど(笑)、ただ「驚いてる」ヒトも思考も感情も深くなくて、とっても悲しい。。。😡

その先を知りたいのに~、感じたいのに~、共感したいのにィ~ (T_T)

反射だけしてる「カベ打ち」の「驚いてるだけ」の亜種には、

ただ「困ってるだけ」、ただ「躊躇してるだけ」ってのもあるよ。

そりゃ、「困ってる」に決まってるよね、戯曲のほとんどが「問題解決」なんだから!!これまた、戯曲の構図やドラマの仕組みを考えれば分かるはずよ!

…というわけで、

ただ「驚いている」、ただ「困っている」

のは、やめましょう!

思考も感情もつかってなんぼです。条件反射だけじゃ、ダメよ。

ちゃん、ちゃん。

 

 

やってはイケない:演技のNG集①ーヘタなヒトが巧みにやっちまっていること

周りの俳優さんたち、演劇関係者たちの会話から、新しいシリーズを書いてみることにしました。その名も「やってはイケない:演技のNG集」。ひ、ひどい。。。💦

芝居が臭くなる原因、つまらなく理由がここにあると言っても過言ではないでしょう。知ってはいるものの、誤ってやっちまっているよろしくない癖も、この際、断ち切りましょう!

という勇気づけのためもあり、はっきり言葉にしてみて、分析したら、いいかな、と思いました。ま、はっきりいって…少々…

お、恐ろしい。。。(T_T)!!

さて、第1回は「よくある間違え」代表をいくつかご紹介~

①「ただ、強く、願っている」

笑!

いや、ホントです。ただ強く願っている人の演技は、無駄に重くて、遅くて、硬くて、前方向ばかりに働きかけ(?)があります。が、しかし!具体的な方法はつかってないので、伝わるものはその願いのしつこさ、くどさ、自分勝手さばかりです。

強く願っているとき、人は、息を少々ひそめ、息をひそめつつしゃべり、身体に無駄に力を入れて、目を止めたり(時にはひどく長い時間停止)、ポーズをとりながら(自然な動きがない状態)、「ひたすら、願掛け」!

そう、初詣やおまじないや祈りにも似たお姿、そんな身体の状態。

=交流する状態じゃあ、ないよっ! 😠

相手の俳優にしてみれば、「重い!」、「暗い!」、「あっちいけ!」です。

重いこと、極まりないです。、まるで呪いです。(私は信じてないけど 苦笑)

シーンの中でのキャラクターの目的や役割、目的達成のための方法が具体的に分かってないと、そして身体化、アクション化してないと、

善良にがんばる人ほど、「ただ、強く、願う」をやってしまいます。

そう、小学校のとき、国語の時間で言われた(?)「こころを込めて」というヤツに似てるんですな。ありゃ、つまらなかった、ありゃ、クサかった。(笑)

というわけで、ただ、つよく、願うのをやめましょう!

事実に即して、欲しいもの(目的)のために相手のことを想像し、実際に反応し、行動するのと、ただ自分の心の中で言葉を唱えたり、一人、頭ん中でイメージを強く思い描いているのとは違います。

一人、ダメ!

一人、キケン!⚠

演劇の基本!

願ってないで、実際に行動しましょう。

なんらかの手段(方法)をつかって、欲しいものへ向かって反応しましょう。

事実に応答しましょう、行動を起こしましょう!

そう、ダイエット!や 語学取得☆ や楽器演奏♪ と同じです。

強く願ったから、できるようになったヒトはいません、悪しからず。そう、行動から変化が起きるのが、ダイエット(笑)、できるようになるのが語学や楽器、然り。

これの亜種に②「心をこめて、セリフを大事そうに言う」、③「気持ちに浸りながらセリフを言い、所作をいかにも大事そうにやる」というのがあります。これも観念的な、情緒的な「願い」から来る、不可思議な態度。

観念があったとしても、哲学的テーマがあったとしても、「具現化する」、現実の世界で「行動する」のが演劇です。願ってて行動しない、祈ってて想像しない、交流しないのは……ニートに近いですよ。😡

いわゆる「思いこみ型」の演技は(というか演技ではないけど💦)俳優自身と周囲の人々の健康も蝕みます。そう、現実に、事実に即していないからです。浮世離れしてますよ。本人はいろいろ感じていると思っているけど、ただの妄想だし。。。

ここから、トンチンカンが、思い違い、すれ違いが、不幸が始まります。

いま、健康を害さずに、相手と交流して、人間として自然に、事実に即して反応し、交流し、行動する演技が世界のスタンダードです。

そういった演技を身につけて、活躍する方法はたくさんあります。

(ワタクシも何種類か教えておりますよ!(^^)!💛)

カルト的な心理操作や、洗脳に近い神経症を推進するような「思いこみ」作戦はおやめください!危険です!セラピー系な内容も演劇に直接関係ないです~(T_T)

というわけで、「ただ強く、結果を思い描いている(相手がこうなるといいな、セリフの気持ちが伝わるといいな、とか)」という残念な状態の演技へのアプローチはお止めください。自己暗示は演技ではありません、(ある種の治療や)病です。

想像力をつかうのも、イメージを膨らませるのも、暗示や願掛けではなく、実際に行動するためのものだったはず。

いわゆるシュミレーションやイメトレも、「事実」にどう変化を引き起こしたらいいかの下準備なはずです。下準備した上で、相手と一緒に、同じ空間で、同じ時間で、各々がどう感じ、考え、どう判断し、行動するのか、そしてどう交流するのか…そこが面白いんだよ~ぅ。(*^^)

ただ、強く、繰り返し、一人で、願っていい….ハズがない!

みなさん、願掛けの初詣は年に1回でお願いシマス。。

ちゃん、ちゃん。

 

 

 

 

 

 

戯曲読解のミソ「事実とは②」

新年度。…にも関わらず、できることを増やすための努力をしない人たちを日々みては、彼らと演劇と日本の将来が心配になるオカンみたいなKaoruです。

でウワサの「戯曲読解&分析」をカンタン♪にするコーナー(笑)

前にも書いたけど、

「事実」

これです。これにつきます。

クラスやら授業やら、はたまた外の企画などで老若男女(経験いろいろな)方々を教えたり、アドバイスしたりしていて気づくのが、熱心にメモしたであろう「事実」リストの中に、

「(本人が)○○したいと言っている」

「これは××のためだと説明している」

「▽▽のせいだから、仕方がないと●●が言っている」

という、「言った、言わない」問題に発展しかねない「発言」を「事実」リストに入れていること。

Orz…..

ダメ!😡イケナイ!ゼッタイ!

と覚せい剤撲滅キャンペーンを思い出したKaoruです。

そう、それくらい破壊力あるんですよ、この「言った、言わない」を事実に入れるという愚かな行為は💦

みなさん、弁護士や探偵や警察になった気分で考えましょう~!(T_T)

で、これの何がイケナイのか分からん方のために、下世話(?)な例をつかってご説明いたしましょ。(アホなコントです)

はい、ここにうら若き素敵な青年、Nくんがいる。

Nくん「オレさ、映画撮りたいんだ❣」

Aちゃん「え~、かっこいいね、私も映画好き~♪どんな映画好き?💙」

Nくん「ハリウッドのさ、ああいう子どもっぽいのじゃなくて、もうああいうの古いから。出尽くしてるよね、アイデアは。最近、フランス映画いいよね、落ち着いてるじゃん。俳優もうまいよね、映像が綺麗で~、よく観るよ。」

Aちゃん「そっか~、今度いくとき教えて~♪」

…….と若き二人の青春の甘酸っぱい日々ののち……

1年後、とあるミニ・シアターにて「いつもの」観劇の後…

Nくん「なかなか面白かったでしょ?でも俺さ~、こんなヤツじゃなくて、もっとすごいの撮りたいんだよね~」

Aちゃん「へ~、すごいね~、どんなの♪?」

Nくん「今は言えないけど、ああいう古いスタイルじゃなくて。もっとでかいことやるんだよ。K太とも話てたんだけど、やっぱ脚本が面白くないとね。映画で世界にさ、いろいろ問題提起っていうか?若い世代がやってかないと、じゃん?」

Aちゃん「そうだね、すごいね。そこまで考えてるんだ。がんばってね💙」

そして数年後。。。。

彼女は気づいた……..ただ映画をたくさん「観て」、映画に「ついて」ただ「話している」だけでは、「映画を撮れるよう」には誰もならないことを……(T_T)

Aちゃん「あんなに…映画好きだって言ってたのに…しょっちゅう映画、観に行ってたのに…いつも映画の雑誌もみてたじゃん!映画撮るんじゃなかったの…?!ビッグなことするって約束してくれたじゃ~ん?!」

アホ~!(笑)

あなたは騙されています、A子よ!😠 口先だけのオトコに。(笑)

そう、行動=事実

なんだな~。(^-^;

で、これはちと痛いです。(>_<)

行動=事実を考えると、実際の行動の「動機」が表面の言葉による会話と違っているのが多々見受けられます。だからドラマが生まれるのだが…(^-^;

……ということは???

Nくんは「ただの映画好き」です。ファンです。一般客です。(多少知識あっても)

作る側ではない。(笑)

いや~、だってね。ホントに映画撮りたかったら、映画学校行きなさいよ。(笑)映画史も美術史も文学史も学んだら?(笑)映画に関連したバイトしなさいよ。^^; 脚本やカメラや演技の勉強しなさいな~💦それから助監督めざしなさいよぅ、下積みして学びなさいよぅ(-_-;)、映画以外のことに時間やお金を使うの減らしなさいよぅ~~…….

はい、無限…キリがないので、やめます。キッパリ!

はい、本日のお題。

事実とは

「実際に、証拠があること。」

「客観的に、裏付けがとれること」

「通常、なんらかの行動を伴う」(=ただ「言った」はダメ)

「つもり」はカウントされません。

「つもり」を評価するのは親バカだけ、と覚えておきましょう。(笑)

本日、これにて~♪

お写真は「4人が同じソファー上に並んでいるという事実」を激写‼

 

 

ダマされちゃあ、イケナイ!-戯曲読解と分析における「事実」とは。

マスタークラス初日、無事におわりました。

…で、戯曲読解と分析には、とにかく「前提」とも言える「事実」の洗い出しが大事です!

これが分からん方、勘違いしてる方、いつまでも甘い方(笑)、あいまいなかた、多し!

日本語の文法通り、国語の意味通りの「事実」です。

「~~~したいって××が言ってる」

{●●するつもりらしい」とト書きに書いてある

はダメです!

証拠があるもの、根拠があるもの=「事実」

探偵(?)、警察(?)、弁護士(?)になったつもりで、事実だけを書き出してみましょう。そこから、自分が誰なのか、どこにいるのか、何が欲しいのか…など、戯曲読解と分析をしましょう。

ま、実際に(意識的無意識的に関わらず)やっている「行動」が主になります。(あとは時代や地理や自然現象などの変えられない事実!)

昔、「ポートピア連続殺人事件」というゲームがありました(笑)

私、子どもながらに大好きで、毎日証拠を集めては、事実を集めては、メモをとり、捜査に(笑)乗り出してました、テレビ画面の前で。(^^ゞ

まあ、それと似たようなものです。ミステリーも戯曲も、実際の現実世界と違って結末がすでに決まっていて、描かれているものがほとんどです。(例ズバリ!ではなく方向だけでも)したがって、事実からたくさんの行動の裏や動機付けや意図を手繰っていけるんですよね。本人が無意識的にやっているようなことまで….

というわけで、演劇人にはもっと戯曲そのものの中枢から、事実に基づいた読解と分析から交流へ、表現へ、つなげていってもらいたいと思っています。(それに値する戯曲の場合)

他、私のクラスでは、入門時から学んできたラバンの方法論を応用して、戯曲の構造分析、キャラクター分析もします。これまた愉し!

というわけで、つわもののみなさんとその予備軍の方々!

しっかり学習してくださいまし!(*^^)