演技のカラクリ④ リアルで自然で「生きている」感情は…

「感情が足りない」😿「気持ちが入ってない」!
「もっと気持ちが欲しい」「ちょっと違う。もっと●●な感情が欲しい」
「気持ち、動いて!うごかして~」💦「もっと気分あげて!気持ち出して」
など…….

なんとも困った要求、不思議なダメ出しや怒号や(苦笑)アドバイス、そして度重なるフィードバックの数々…

ほぼ「耳にタコ」🐙

そう、生き生きとした、個人で、

リアルで、現実ばなれしておらず、内容にあっていて、

自然で、うそっぽくなく、状況にあっていて、

(かつ神経症的に(アブナイ)、悪い意味で憑りつかれていない💦)

そういう、

いわゆる(実は)スタンダードな☆

あたえられた劇の状況の中で、「役の人物」という他人と共感した上で、

役の人物の立場から、みて、きいて、感じて、考えて、

交流しながら、本当に「生きる」!

名作映画や素晴らしい舞台で体験できる!

言葉にすると大げさというか陳腐というか💦

不可思議ではありますが、

実際に(ただ)生きている人よりも、「より人間らしく」存在できるのも映画や演劇やオペラやダンスならでは、と思います。

さあ!

じゃあ、どうしたらいいのよ?!

「感情」

このやっかいなる、ちょっとおもろいけど、よく分からない、直接に触ったり見たりできないけれど、

どう考えても存在する「いきもの」🐕🐈🐥🐒

①感情は原始的な脳のおかげで存在するらしい
=したがって、「生存」とほぼ関係ないような、その人物にとってスケールの小さすぎる、当事者にとって価値の低い、重要度の低い一過性の「気分」や「状態」を作ろうとしてもうまくいきません。

②第一次感情(最初に気づくたくさんの感情)が溜まっていくときに、第二次感情(他人にも分かる程度に表に出て、声や身体に反映されるもの)が溢れるらしい
=ということは、ト書きやセリフに書かれていたり、(すぐ文学的な意味から)想像できるような感情や気分を『直接』狙っても上手くいかない、という事。

③ただし「刺激に反応」したときに、☝が活発に起きる
=なので「集中」を勘違いして情報を遮断したり、状況や事実を無視して「御独りさま」していると、難しい。。

Orz…

④第二感情が溢れるためには、「器」も決定要素になっているよう
=身体のリアリティー、思考、想像力、記憶、全部の感覚….なにもかもが交わり合って、影響しあって、作用しているのだね

と言う事は、隠喩表現で書きますが、

・「器」を用意して(自分の慣れているのでなくていい)
・第一次感情をいろいろ入れて、いっぱいにして(想像力と記憶の賜物)
・刺激を受け取りつつ(敏感、鋭敏、解放が要)
・第二次感情が溢れるように、「いれば」良い

1⃣この「器」を用意する部分を明瞭にしてくれるのが、ラバンで呼ぶところの感情の「エフォート」❤

2⃣「いっぱいにする」(想像と記憶の)練習が私のクラスで言うところの「モノローグ」での作業

3⃣「刺激を受け取りつつ」、の部分はエクササイズのクラスで鍛えながら、

4⃣「いれば」良いの部分はアレクサンダー・テクニークのレッスンなどで、磨きつつ、洗練しつつ

こんな様子でございます😊ちょいと時間をかけて、お試しください。

…と宣伝はさておき💦

つまり、いっぱいになっていた自分の中に入っていたものが、

「溢れるから」、「結果的に外へ出る」

ということ。

🐈🐈🐈

うまくいっていないとき、自分の思いどおりにマネージメントしたいとき、

上のどの段階でつまづいているか、チェックしてください。

演出家や監督の希望とズレているとき、
自分ではやっているつもりなのに、結果が出ていないとき、

上のどの段階で、実際に「具体的に」自分が何をしているか、振り返ってください。

「思考」の流れをたどっていくと、つかみやすいです。

お試しあれ♪

明日から3月末の4クラスが始まります!大慌てで滑り込みっ!できるのは「ラバン入門」とキャンセル1名の出た「身体をみなおす」のみです。
4月はクラス開催はないので、このチャンスにスタートをきってください。

🌸🌸🌸

コメントを残す